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テーマ:暮らしを楽しむ(384625)
カテゴリ:ミニマルに暮らす
絶対的な宝物だと思い込んでいたバッグを手放してから、かれこれ2週間が経ちました。
淋しいか。 困ったことはあったか。 後悔しているか。 全くの、皆無です (`・ω・´) キリッ キリッ!! むしろ、なにか「憑き物」が落ちたような、心が、肩が、軽くなったような気持ち。 もう、持っていたことの「記憶」や「執着」が、日に日に薄れ、溶けて消えてゆく感じ。 で。 先ごろ選手交代となった、この旧・お財布も、トラちゃんの日のあと、さっそく宅配買取の旅に出しました。 そしたら!そしたら! このお財布の「仕事」も、すごかった! お別れに、華を添えてくれた! 「いま手放して良かった」と・・・ セリーヌの2つのバッグと同様、心から、そう思いました。 だって、まるっと2年使ったお財布の買い取り価格・・・ 14300えん! (たい焼き68匹!) ← この換算は もう、いい・笑? 大切に使って、そして きちんとケアして 心を込めて、手放す。 一括りに「モノを大切にする」と言っても、そこには、ひとそれぞれ、非常に様々な考え方や ポリシーみたいなものが存在し、 もう、だれの貰い手も、次の買い手など一切つかないところまで 限界までこてんぱんに使い倒すことこそ、が、正解・正義なのかな、と 思うこともあるけれど・・・ わたしは、今まで、それをしたことが ほとんどありません。 自分のなかでの「完結」と、モノとしての「完結」は、必ずしも一致しない。 わたしは手放す。 けれど、それを求めてくださる、これからも使って下さるかたが、いる。 ボロッボロに、ゴミ同然となるまで使い果たすよりも・・・その方が「モノへの敬意」が感じられる気がするのは、わたしだけ? ボロボロにしてしまったら、ほんと、それは単なる「ゴミ」でしかなく、捨てるしかない。 リサイクルショップへ持ち込むのも憚られるような、「衣類ゴミ」。「「財布ゴミ」。 リサイクルショップを利用する際に・・・ ゴミ袋に入れられた、ほんと、これ、衣類ゴミの「資源ごみ」をそのまま持ってきちゃったの!?と見紛うような状態の衣類を車に積んできて、何袋も何袋も持ち込むひとを見かけたことが、何度もあります。 あの衣類を見ると、惨(むご)いな、と 思うのです。 あれに携わった「すべて」が、惨い。 異国で縫製した人も、お店に陳列した人も。初めに買った人も。持ち込まれて、その「ゴミ」を 査定しなきゃならないお店の人も。 それを次に買うことになるお客さんも。 そして、もちろん「服」自体も。 このゴミ袋に入った大量の衣類に、幸せな瞬間は はたしてあったのだろうか、と。 大切に思われた瞬間は、一瞬でもあったのだろうか、と。 次に買う人は、これが「ゴミ袋」に入れられてきたってこと、知ってるのか、と。 それを お金払って、自分の大切なお金払って 誰かのゴミを買うなんて 悲しくないのか、と。 さんざん服を買い、手放したわたしが言えた義理ではないのですが・・・ 少なくともわたしは、買った服を「大切」にはしていたんです。常時そこらへんに山積みにしていたことはなかったし、大切に、清潔に、クローゼットやタンスに仕舞っていた。 買いすぎたことがそもそもの罪でしたが、大切にし過ぎて着られなかった、と言うのが相応しい。 買った衣類を無駄にした、という意味では、全く同じことなのですが・・・ だから、せめて 手ばなす時は・・・ なるだけ状態よく、査定する方がなるだけ不快な思いなどをなさらないように、 そして次の持ち主となって下さる見知らぬどなたか様が少しでも気持ちよく着られるように・・・ 出来る限り「きれいな」状態に整え、ケアをし、手放すことを心がけています。 (だからこうして「タグ」を保管しているんです、の話 → ★ ) もう自分のモノじゃなくなるんだから こんなのどうだっていいわ、とは、思わない。 心の中に 手放そうかな・・・という気持ちが湧き起こったなら、なるだけ状態の良いうちに、 商品価値のあるうちに、商品として人気と需要のあるうちに 手放そう、と いつも思う。 服でも、バッグでも、靴でも、だから、まるで「売る前提」で・・・ 「いつか手放す前提」「期間限定」で持っているみたいな 自分の所持品に対して妙な気持ちになることが、実は 常に あります。 けれど、それでいい と わたしは思っている。 なぜなら、その感覚のおかげで、モノを大切に、丁寧に扱うことを心がけられるから。 少ないモノで暮らすようになってからは なおのこと。 数少ない大切な持ち物を、服を、靴やバッグを「雑」に扱う、とか・・・ちょっと考えられない。 それに、もう誰も欲しがらないような、見向きもされないような、査定に出しても1円にもならないような、一体いつの服!?というような、それこそ「ゴミ寸前」の服をいつまでも最後まで着ていたとしたら・・・ この年齢で、それは・・・ちょっと、あまりにも悲しすぎる。 「愛着」とは、また別の問題。 いつも状態のよい品物ばかり送ってくれるお客様、として、贔屓のリサイクルショップの方との とても良い「信頼関係」が、わたしは築けています。いつも安心してお願いすることができます。 先方も、すずひに目いっぱいの、精一杯の査定額を提示できるように、と、いつもとても頑張ってくださるのが、わかる。 会ったことはないけれど、温かいメールのやり取りで、わかる。 ミニマリストですが、だから、箱やタグは大切に保管しています。 フリマアプリなどを使って自分ですべてした方が、もしかすると もっと多くの金額が手元に入るのかもしれませんが、それには まったく興味がありません。 個人的に売買のやり取りをするのは(値下げ交渉とか、発送業務とか、評価とか大変そうで) わたしにとってそれは・・・ 恐らくストレスでしかない。 プロに、専門の方にお願いしたほうが・・・トータルの労力を総合した場合、きっと、お得。 何と言っても、「ありがとうございます」と言われる、言っていただける「お客さん側の立場」 として 品物を手放せるのですから。 多少手取りが減ろうとも、総合的に気持ちがよく、心が潤うような気が わたしは するのです。 ↓ にほんブログ村・ミニマリストランキングに参加しています。いつもありがとうございます。 (靴やスニーカーの箱も、だから、もちろんちゃんと とってあるよー) にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.10.25 16:54:58
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