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テーマ:暮らしを楽しむ(384467)
カテゴリ:ミニマルに暮らす
みなさん こんにちは。 すずひです。
昨日は雨でした。 今日も雨ですね。 10月の台風、強い台風「14号」は、 週末には九州や四国、 進路によっては本州にもかなり接近するおそれがあるとの予報も。 ************************************** さて。 人生には「不快に耐える力」が必要です。 何もかもが自分の思い描いた通りになるわけではないという当たり前のことを わたしたちはしばしば忘れてしまいます。 思い通りではないことが起こると、 がっかりしたり、腹が立ったり、 ショックだったり、自信を失いそうになったりします。 手放したものが 再び必要だと感じる日がくることは、 わたしの「思い描いた未来」では 確かに、なかったのだけれど。 自分の捨てや手放しの。 「判断力」や「想像力」の限界を知ること。 思い通りにならないことや、予想に反すること。 そういった不快に対する葛藤を乗り越える力が、 ミニマルライフには、必要です。 **************************************** ところで。 長靴は、靴ですか? それとも「雨具」ですか? そう。昨日の「予告」の白い箱の中身は・・・・ もうおわかりですね ( ´▽`)ノ ************************************** このブログを始めた2016年7月の時点で。 すでにわたしは長靴は持っていませんでした。 長靴持たないライフ、でした。 長靴(レインブーツ)という このブログにおいては初!の持ち物を、 靴なのか、防災なのか、ワードローブなのか、 どこのカテゴリに属させて良いものなのかが、 今はまだ、だから、決めかねています。 うやうやしく1足ずつ布に包まれていました。 赤ちゃんの「おくるみ」みたいですね。 ************************************ 「ブログなんだから、こうなった経緯をちゃんと言葉で説明してくれないと納得できません」 と言われてしまうかもしれませんね。 けれど、言葉で伝えようとすればするほど、 今のこの、せっかくの気持ちが 言い訳がましくなってまうのが、悲しい。 うれしい気持ちを、ただうれしい、と たぶん、今わたしは。 本当は、感じていたいのだと思う。 真違っていたらごめんなさい。 お仲間だった楽天ブロガーの memikoさんが きっぱりとブログを「捨て」てしまわれて、 はや1ヶ月あまりが経とうとしています。 memikoさんの「ブログめんどい?」という気持ちは、 たとえば欲しいもの素直に欲しいと感じ、 要らなくなったものを、ただ要らないと感じ、 うれしい気持ちをただうれしいと感じたかったのに、 自分が納得していれば、 本当ならそれでいいはずなのに、 それをその都度「言葉」で(ブログで) 自分ではない他の大勢の方にもわかるよう、 正しく伝わるよう説明しなければならない、というところに 良きにつけ悪しきにつけ、 疲れ果ててしまわれたのかなあ、と感じました。 ブログを書くことや、 ご自分の気持ちを文章に綴ることは、 彼女は本当は。 きっととても好きだったのではないのかなあ、と。 ハンサムな後ろ姿。以前持っていた「HUNTER」より筒高が低く、脱ぎ履きしやすいです。 **************************************** ある時頼んだネットショップの梱包がね、 あまりにも丁寧すぎて、プチプチが過剰すぎて、 日頃そこまで気にしないわたしでさえも 「さすがにちょっとこれは」とびっくりして。 ああ、memikoさんだったなら、これ見たら、 「こんな過剰包装ありえません!!」ってなって、 きっと怒りに震えて送り返すんだろうな、って(笑) 彼女の日記のエピソードを、懐かしく思い出しました。 *************************************** あの雨の日。 「長靴があれば・・・」と思った。 冷たい雨の中を歩くことが、 わたしの人生にはまだあるのだ、と知った。 土砂降りの日は出かけなければいい。 そうすれば長靴なんてもう要らない。 そう思っていたわたしの、 どうしても出かけなければならなかった朝に。 誰にも代わってもらえない、 おとーさんの手術の付き添いの日の朝に。 土砂降りの、横殴りの、台風みたいな大雨が降った。 タクシーに乗りたかったけれど、 あの時はコロナが怖くて、乗れなくて。 強い雨は1日中降り止むことがなく、 ずぶ濡れになってしまった靴下を、 行きの早朝も、疲れ切った帰りも、 駅のベンチに腰掛けて、わたしは履き替えた。 濡れた靴下というのはそう簡単には脱げなくて、 新しい靴下も、なかなかうまくはけなくて もたもたしていたら、 乗れたはずだった電車を、1本逃してしまった。 わたし何やってるんだろう、と。 緊張した付き添いの1日の疲れも相まってか、 たった今出てしまった電車の最後尾の灯りを、 誰もいないホームで見送りながら、 泣きそうになりました。 なんだかうまく言えませんが・・・ とても「みじめな気持ち」になったのです。 この、絶対に滑らないぞ!というソールの頼もしさ。ここに惚れたと申し上げても過言でない。 ************************************ 人生には、不快に耐える力が必要です。 それは正しい。 けれど。 「こんな不快にもひた耐えろ」と、わたしに命じてるのは、一体誰? それは。 「少ないもので暮らそうと無理しているわたし」だ。 それを買って良いよ、ともしも言われて嬉しいのなら。 買わないでいることを無理している証拠だし、 やめて良いよ、ともしも言われて嬉しいのなら。 ホッとするのなら。 それを本当は無理してやっていることの証拠。 お仕事でも。 ミニマルライフでも。 それはきっと、 こうして今日「ブログを書くこと」であっても。 失敗の写真です(笑) レインブーツをはいた足を撮ることの難しさを知った朝でした。 ************************************* ミニマリストとか、ブロガーとか。 そういう自分の評価や、評判や、結果や、 他者の視線や自分の在り方のようなものを気にするもう一人のわたしが、 時々わたしを苦しめる。 疲れて早く帰りたかったのに。 乗りたかった20時25分発の電車に、 ずぶ濡れの靴下履き替えてたせいで乗れなかった。 こんな風じゃ。 「気持ちの良い暮らしをしている人」だなんて、とても言えないよ (;_;) ああ、もうよそう。 こんなこと。 気持ちよく、暮らそう。 わたしはわたしだ。 わたしは誰からも「自由」だ。 一旦は要らなかった。 泥まみれになる芋掘りも。 雪の降り積もった朝の交通当番も。 大雨の中での遠征の付き添いも。 全てやりきって「卒業」したわたしがいる。 長靴ライフの第1章は、 わたしの中で、確かに終焉を迎えた。 5年後におとずれる大雨の朝のために、 邪魔にしながら捨てることなくもしも持っていたなら、 わたしはよほど嬉しかったのだろうか。 「見たか!やったぞ!」と歓喜にわいたのだろうか。 ほこりまみれの「古い長靴」を履いて。 30代の頃のわたしに似合っていた長靴を、 50代直前となった今になって履いて。 持っている服も。 顔も、体型も、行動範囲も、そして「心」も。 あの時とはもう、何もかもが変わっているのに。 *********************************** 新しい長靴で、第二章の始まりです。 こうして眺めて、履いて、今、こんなにうれしい。 言葉では表現できないうれしさと、49歳の安心。 これまで通りの聞き知った安心、じゃなくて これからやってくる、まだ見ぬ未来への安心、のような。 心のあり方や、自分の変化というのは、 言葉で説得できるものばかりではありません。 ずぶ濡れになった靴下の冷たさと、 20分に1本しかない電車が行ってしまったあの悲しさを、 今はもう覚えていないのだけれど。 今度同じことや、 もっと長靴なしでは出歩けないような大変な状況に見舞われた時、 ああ、あの時「お知らせ」があったのに、と。 「長靴が必要な日はこれからもありますよ」というお知らせ。 それを無視した自分を、 悲しく悔やむのでありましょう。 かかとの形も大好きです! まるでレザーのジョッキーブーツのような「かかと」です。 *************************************** 買い直す、という行為。 買い直しは、悔しいことなのか。 買い直しは、愚かなことなのか。 「ああ、捨てなければよかった!」と、 自分を責め、悔やまなければならない・・・ それは「罪」なのか。 買い直すことは、わたしは悲しかった? 買い直すことは、悔しかった? 買い直すことは、自分や誰かに対し、恥ずかしかった? いいえ。 わたしは。 うれしかったです。 手放したものを買い直すことは・・・まさかの、うれしかったです。 いま改めて必要になったものを。 今のわたしに。 49歳になったわたしに一番似合うものを選ぶことができました。 *************************************** 買い直しは、不快なミス(失敗)、なのではなく。 「あの時のわたしと今のわたしが変わった」という出来事。 生きていれば、誰しも必ず起こること。 5年前「もうこれっきりわたしは変化しないぞ!」と決心していれば、 ずっと長靴はいらなかったのかもしれません。 必要なものがもう変わることのないように、と、 これから自分に起こる変化を止めてしまうことを目指すとすれば、 それはちょっと違う。 **************************************: わたしは5年間で、5歳、齢を重ねました。 濡れた靴下がこたえた。 こんな靴下ずぶ濡れの人いたら近寄りたくない。と、 自分で自分の足元を見て、そう思った。 これが正直な気持ちです。 グレーのタイツを合わせて、この長靴を履こう。 大雨も、水たまりも、もう平気! 買い直しは。 恥ずかしいことではなくて。 ただただ愚かで情けないことなのでもなくて。 自分の決定を信頼し直す「再出発点」なのだと 今、わたしは、そう感じています。 つまりは、悲しいんじゃなくて、 その時、その時が、すごくうれしい再出発! ってこと。 これからも生きてゆく! ということ。 この思いをここで打ち明けて。 読者さんに聞いてもらえて。 今、とっても清々しい気持ちです。 おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 我が子は今日、20歳になりました。 成人として、一人でもちゃんと生きてゆける青年に、彼は育ってくれました。 育てられたのは、わたしの方ですね。 まだまだダメな母親です。 ↓ 20回目の誕生日。 親も子も。今日まで一緒に、一生懸命生きてこられたと思います。 にほんブログ村 いつもポチッと、読んだよ! と 知らせてくださって、ありがとう。 20年は、あっという間な筈はないのだけれど。 やっぱり「あっというま」でした。 絶対に忘れることのないこの日に、レインブーツを下ろそうと思います。 彼の誕生日に「雨」が降るのは、20年間で、初めてのことなのです。 雨の誕生日です。 長靴をはいて、さあ、ケーキ買いに行こう! 読者登録をしてくださっている845名もの皆さま・・・本当にありがとうね。 今日も、書けたよー ( ´▽`)ノ : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.10.09 14:42:17
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