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テーマ:暮らしを楽しむ(384464)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
「どうしたら毎日掃除ができるようになりますか?」
そう聞いてもらえることがあります。 習慣だから? まじめだから? 強い意思があるから? それとも根性があるから? どれも違うのだとわかりました。 わたしが毎日掃除をできる理由。 それは。 今日の日記の、「いちばん最後」に あります。 ************************************* 1年後。半年後。 かつてワニで話題になったのは「100日後」でしたね。 自分が死んでしまうなら。 というお話。 ワニくんのお話があれほどまでに人々の心を震わせたのは。 おそらく、その「死」の設定が、 「もしも」の話なのではなく、「必ず」であったから。 *************************************** 何もそう物騒な深刻なお話、としてではなく、 そういうことって、 楽しい時であっても、そうでない時であっても、 どなたさまもが時々は ふと考えることなのではないかな、と想像するのです。 わたしはしょっちゅう考えています。 こんな今だからこそ余計に。 仮に100日後、1年後に死ぬのだとしたら、 わたしは何をしたいか。 何をすべきか。 リースから落っこちた葉っぱと、ちょっとだけカットしたユーカリ。 小さなクリスマス。 *************************************** 人の抱く悩みや迷いの多くは。 このままの人生がこれからもずっと永遠に続く、という 不確かな確信が大前提な場合がほとんどなように思うのです。 「100日後に死ぬ」という仮の前提に立ってみると、 たいていの悩みは驚くほど「どうでも良いもの」となり・・・ 一瞬で消え失せてしまうのかもしれません。 だから、しょっちゅうそう思っていることは、 わたしにとっては 物騒なことでもネガティブなことでもなく むしろ、余計な悩みから解放され、 日常がとても楽しく、心も軽くなるのです。 残された時間のありがたみに、気づく。 服でも、家電でも、何か「もの」を買うのは。 「何かを真剣に選んで買う」ということは、 まさに「生きることへの意欲や希望」なのだろうと思います。 それを今日買うのは。 明日も、明後日も、それこそ「100日後」も。 わたしは(きっと)生きていると信じているから。 100日後に死ぬとわかったら。 わたしは「もの」は、買わなくなるだろうな。 買うことをやめ、今以上に捨て始めることでしょう。 少ないもので暮らしているとはいえ、 いざそういうこととなれば、 わたしの持ち物は、まだまだ「いらないものだらけ」です。 残された人が。 「生きてゆく人たち」がどうか困らないように捨てる。 & 自分があの世で赤面しなくていいように捨てる。
そして、 たとえば「犬を飼おう!」とか 「今の仕事で出世しよう!」とか、 100日こっぱでは責任を果たせない、達成できないことに対する思いは自ずと低下し、 「いまできることだけをしたい」と思うはず。 なのです。 わたしは何をするかな。 「なんでもない毎日の暮らし」を、やっぱり大切にするのかな。 椅子を上げたこの景色の気持ちよさ。 一人で過ごす日中なら、夕方まで上げっぱなしです。 ************************************** もしも100日後に死んでしまうなら。 それなら要らないや、 それだったら持たなくていいや、と思うものって たくさんたくさんありますね。 ずっと欲しかった何かを買ってしまって 「形見の品」を残されるより、 おとーさんだってお子だって「現金」の方がいいでしょ?(笑) なかなかいつもそんな風に思うことは難しいけれど。 ときどきそんな風に思うだけでも、 不要なものって、むやみには増えにくくなります。 あと100日で死んでしまうと宣告されたなら、 わたしは、このブログを毎日書くと思います。 伝え残したことを、思い切り書くのだろうと思います。 今は。 ずっと生きていられると思っているから。 書けないことも実はたくさんあるんだよ(笑) *************************************** 特別なことは、何もしないんだろうな。 いつも通りの好きな服を着て、エプロンをして。 ご飯を作って、この部屋の掃除をして、 ブログを書く。 残り100日でも、そうでなくても、このままを続けたい。 そう思えるくらい・・・わたしはこの暮らしが好きです。 今、こうして日記を書きながら、 そのくらいかけがえのない日々の中にわたしはいるのだ、と気づく。 このブログを書けることの幸せに、気づく。 わたしのブログを今日もお読みくださるあなたがいてくれること。 あなたさまとここで会えることは、 今しかできない本当に幸せな、 そしていつか「終わり」があるということにも、気づく。 この景色をただ見たくて、今日も掃除するわたしがいます。 床に反射する「光の柱」が、 こちらまで長く長く伸びるこの感じが、 たまらなく好き。 100日後に死ぬのなら、 わたしは100日、毎日掃除をしたい。 あと99回。 あと98回。 あと50回・・・ ううう、あと3回ー・・・・・ (;_;) と。 残り少なくなればなるほど、 わたしは「掃除」を、きっと、 日に日に愛おしく思うことでしょう。 それをできる日が1日1日減ってゆくことは。 たとえ「残り100日」であろうとなかろうと、 今日だって。 今だって。 わたしにとっても、どなたさまにとっても 誰一人として例外のない「真実」でありますのに、ね。 少しずつ「ドライ」になり始めていますよ。どれだけ眺めていても飽きることがありません ♪( ´▽`) ************************************* 人の行動の出発は「愛」か「怖れ」かのどちらかで。 何かが目障りだから掃除する。 家族から文句言われたから掃除する。 誰かが訪ねてくるから掃除する。 運気が下がるのが嫌だから掃除する。 散らかっていては(誰かに対して)恥ずかしいから掃除する。 それらはきっと「怖れ」の掃除で。 怖れがあると、やはりあまり楽しくはないのです。 自分の心が喜ぶから、掃除する。 これが「愛」の掃除、なのかもしれません。 それがわかるまでに。 わたしは何十年もかかっちゃいました。 わかったのだから。 ああ、せっかくわかったのだから。 できれば元気で、 少しでも「長生き」して(笑) 1日でも長く、わたしは掃除をしたいです。 ************************************ そして今日は。 自由を満喫できる日。 願わくば。 「美味しい昼ビール」も、1回でも多く飲みたいです(笑) おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ 「読んだよ!」と、いつもポチッと知らせてくださってありがとう。 このワンピースが「はげはげ」になるまで自分は必ず生きられると信じて買いました(笑) にほんブログ村 さて、いちばん最後のお話。 わたしが毎日掃除をできるのは、根性があるから? 意思があるから? いいえ「いのち」があるから、です。 今日の命があるから、わたしは掃除することができる。 最後までお読みくださったあなたの「今日」が・・・どうぞお健やかな1日でありますように。 読者登録をしてくださっている928名もの皆さま・・・本当にありがとう! 今日も、書けたよー ( ´▽`) : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.20 17:45:05
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