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テーマ:暮らしを楽しむ(384420)
カテゴリ:ミニマルに暮らす
わたしは。
ブログの写真を撮ることが、とても好きです。 ですから いろんな方のブログの画像を見ることも好きで、 その1枚に、この方のどんな思いが込められているのかな? その方の暮らしの様子に想像を膨らませながら拝見するのが大好きです。 写真から、その時の心の中の様子や、 撮っている方の表情さえも伝わってくるような。 そこには「相性」のようなものがどうやら必ずあって、 なかなか相性が合いませんと、 「その人の撮った画像からどんな思いも全く感じ取れません」ということが やはり、あったりします ( ´▽` ) 直接会って話す、というコミュニケーションにおいても、 わたくしたちはお相手の発する「言葉(文章)」だけでなく、 表情や服装や雰囲気など、様々な視覚的要素から 言葉以上の、とても多くの情報を得ているでしょう? それと似た役割を果たすのがきっと、 ブログやSNSにおける「画像」なのかな。 まるでその日会った第一印象がその画像、であるような。 買出し前の野菜室。 最後の朝食でほうれん草を完璧に使い切って・・・お餅だけ(笑) ****************************** 大切な人に、何か言葉をかけたくても、 言葉が見つからない時って、ありますね。 そういう時って、何か言わなきゃ、何か気の利いたことを・・・って お相手のことを大切に思えば思うほど、 お相手のことを大好きであればあるほど、 わたしはすごく焦ってしまいがちなところがあります。 あなたさまは、いかがですか (;_;)? 差し込む日差しにとても「春」を感じたこの日。このあと、うれしくエアコン切っちゃいました。 ******************************** けれどそんな時って。 本当は、ね。 「かける言葉が見つからなければ、そのままでいい」のだそうです。
「言葉が見つからない」という素直な気持ちこそを大切に。と。 たとえ言葉が見つからなくても、 その場にあなたが居てくれること自体がうれしいはず。 あなたが心配してるんだったら、 無言でも寄り添って、 その場で一緒に佇んでいるだけでも、 その気持ちは十分に伝わります。 と。 「かける言葉が見つからなければ、そのままでいい」 ああ、本当にそのとおりなのだと思います。 言葉が見つからないのに 無理やりひねり出して失敗してしまった経験は、 きっとどなたさまにもおありなのかもしれません。 何かを無理に喋ってしまうとすれば・・・ 黙っていられない、とすれば・・・ きっとそっちが「嘘」なんだ。 とても不自然な、本当の気持ちとかけ離れた姿。 言葉が見つからないけれど、 あなたを とても大切に思っています。 わたしはここにいます。 言葉にならない思いがあるなら。 強いふりした器用さよりも、 たとえ弱く頼りなくても・・・ せめてその思いを、ただ「素直」に伝えられたなら。 ******************************* こんなことを言ってしまっては身も蓋も無いのですが。 こと「ライフスタイル」や「ファッション」の提案においても そういうところって往々にしてあって、 「全然服が減らせないです!」 「痩せません!」 「家族が片付けてくれません!」 そういうたぐいのお悩みに対しての場合も、 なんて言ったらいかわからない、かける言葉が見つからない、というのが わたくしの「素直な本音」だったりするのです。 どんなに言葉を尽くしてお伝えしたとしても それはあくまでも「わたしならこうする」「わたしはこうした」という話なのであって、 その方にとってそれがベストな方法となりうるか、と言ったら、 割と高い確率で、 残念ながらそうではなかったりするんですね。 ですから、お答えさせていただきながら、 きっと無意味なのだろうと、何処か静かに分かってる。 (これを分からずにお話しすれば「強烈な押し付け」になってしまいます。) 自分ではない「どなたか」のなさっていることって、 実のところ、ほとんど参考にはならないのよ(笑) 多少似ていることや共通点があったとしても、 「全く同じで OK!」ということは、まずあり得ないのです。 なぜならば、 ライフスタイルの答えや本当の満足は、その人の中にしかないから。 そしてその時に欲している言葉も、 その時の心の状態も、 おひとりおひとり、全く違いますもの、ね ( ´▽`)
ネット上では特にむずかしくて。 「アドバイスのフリした攻撃」なのではなくて、 そうではない、たまたま見かけたアドバイスや異なる考えの発信であったとしても、 それを「自分への攻撃」と感じてしまう時って、 きっとどんな人にもあることなのだと思います。 買出し前最終日の冷蔵庫の様子。ハムと卵と冷やご飯。大切なチーズケーキ1切れ(笑) ****************************** ブログというツールは、 公に認められた「自分語り」の場、のようなところがあって、 自分の言葉で自分自身の日常を語ることで成り立つ、 ちょっと独特な世界。 他者のことを語っていたのでは続かないですし、 盛大に自分を語らないことにはなにも始まらないのだけれど、 簡単なようでいて、これは意外と勇気のいること。 何をどう語るか、常に自分を試されている。 けれど。 日常の中で感じたことや気づいたことを こうして写真を撮ったり、 文章にしたためることがわたしはとても好きです。 「自分のことを文章にして語る」という行為には、 自分の中の歪みや偏りのようなものを徐々に修正してゆくような・・・ ちょっと「セラピー」みたいな力があるように わたしは日々感じるのです。 思いを文章に、まずは一気にしたためる。 ゆっくりと読み直す。 そうじゃない、いやこうじゃない、と書き直す。 それを繰り返すうち、 感情の軌道みたいなものが修正されるのか、 自分の心の奥に隠された「本当の気持ち」「素直な気持ち」に ようやく辿りつけたことが、 これまで。 何度もありました。 パンはどこから出てきたのかといえば、冷凍庫から。 冷凍していたパンの耳の最後の1枚。 美味しい食パンは、耳もとっても美味しいのです! 1)トースト(またはパンの耳・笑)を、グリルでまず片面だけ焼く 2)焼いていない面にハム・半熟目玉焼き、ほうれん草ソテーをのせる。 3)マヨを斜めにしゃしゃっとして、溶けるチーズを散らす。 4)再びグリルに戻し、こんがり焼き目をつけて、 ブラックペッパーを散らしたなら・・・はい出来上がり ( ´▽`) ******************************* ひとりで考えていると、 どうしても「自分の枠の中だけ」の思考だから、 同じところをぐるぐる回るだけで 煮詰まってしまうことってあるでしょう? ブログって、そこからちょっと抜け出せるのです。 心を包む境界線や枠のようなものをふわりと越えて、 感じたことや経験を、 ここで出会えたあなたと共有できる可能性。 読んでくださったかたのそれぞれの解釈を経て、 自由な発想となって広がってゆくような、 それぞれの心地よさや安らぎを見つける「きっかけ」。 決して同じことをしなくても、全然違うやり方であっても、 みんなの暮らしが、それぞれの形で、 いつの間にか、あれれ!? 自分の心地よさを見つけてしまったぞ! というような・・・ そんなきっかけを。 そんな日記を。 そんな優しい日記を。 そんなブログを発信をできる人になりたいなあ。 おわり ↓ こうして最後までお読みくださったことを・・・ にほんブログ村 ポチッと知らせてくださるあなたさまのお気持ち・・・ にほんブログ村 今日も、いつも、ありがとう ( ´▽`) フォローをしてくださっている たくさんのみなさま・・・ 更新を楽しみに待っていて下さること、とてもうれしいです。 ありがとうね : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.05 15:15:27
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