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その他編アメリカ★レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻) 「歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それがアメリカ黒人だった。 この本を読んでいただければ、日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、心から理解してもらえるはずである。 かつて、黒人から同じ有色人種として敬われていた日本人。そんな日本人が、今ふたたび、その尊厳と親愛の念を取り戻せることを、私は心から祈って止まない。おごりのない、謙虚な日本人-それが私の願いである。」 ★太平洋戦争当時、黒人兵士の間で流行ったジョーク 「墓石にはこう刻んでくれ。白人を守ろうと、黄色人種と戦って命を落とした黒人、ここに眠ると。」 マレーシア ★ソムアン・サラサス(タイ側交渉団) 「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。 そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。 アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」 「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。 けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」 マレーシア ★マハティール首相 黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より 日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」 インドネシア ★インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチの歌詞 「“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす 連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず 進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ 古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る 進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”」 ★ アリ・ムルトポ准将の発言。名越二荒之助 「日韓2000年の真実」国際企画 「今から十五年前ほどの前、アジア各国の軍部代表がマニラに集まった時のことだ。例によってフィリピンと韓国の代表が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在の日本企業を罵倒する演説を打った。列席のアジアの親日家たちは「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに堪えなかった。だが、列席の日本代表(自衛官)は一言も発しなかった。」と悔しがった。そこで、インドネシアのは韓国の軍人に向かって次のように日本を擁護した。彼はASEAN(東南アジア諸国連合)結成の仕掛け人である。 <日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。 (中略) ここで、インドネシアの日本民族の価値についての見方を申し上げる。今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。その時に韓国が一番困ると思う。韓国は工業大国日本と競争したから、立派な工業国になれたのである。 (中略) もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人は少なくとも百万人が日本に住み、日本人と同等の教育を受けるから、その人間関係から日本の技術、市場、金融、スタッフ等活用することができる。だから企業の成功は容易である。つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。 (中略) つまり、我々インドネシア人は「日本はなにもしてくれなくてもよい」と考えている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、アジア・アフリカにつくしている、と考えている。だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体とは言えないし、対等のパートナーとも言えないのではないか」 ★「オランダが日本に太平洋戦争での賠償を求めてきたことに対しての新聞記事 『祖国と青年』平成7年4月号P、37より 「日本政府は、1958年に賠償と援助で8億ドルを出してくれた。ハッタ副大統領は“日本軍はインドネシア独立の恩人だから、賠償という名称は不適当だ。独立達成を記念する祝賀金として戴く”と言っていた。日本政府が3年半の占領の分として8億ドル払ってくれたのだから、オランダは350年分の賠償として800億ドル支払うべきだ。それに独立戦争の死者は80万人だから、一人当たりの補償金を1万ドルとすれば80億ドル、10万ドルとすれば800億ドルになる。つまり、オランダは最低1600億ドルぐらいは支払うべきである。その前に、まず女王に謝罪してもらいたい。」 インド ★スバス・チャンドラ・ボースのこの世で最後の言葉 1945年(昭和20)8月18日 享年48歳 「天皇陛下と寺内さん(寺内寿一・南方総軍総司令官)によろしく」 ★インド国会議員にしてインド独立運動家 マハンドラ・プラタップ 「(連合国は)日本に対してこそ賠償を払うべきだ」 ★グラバイ・デサイ インド弁護士会会長・法学博士 1946年、デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶より 「このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。」 |