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先月、1月23日に竹蔵龍さんにて「銘仙おはなし会」というイベントを行っていただき、銘仙についてお話しさせていただきました。 秩父の紬さんが送ってくれた「仮織りした経糸に捺染しただけのもの」や新しい反物。古い銘仙の端布や資料になる本などをお持ちし、こういったことを話そう。と考えていたのですが、行き当たりばったりのとりとめのない話になってしまい、せっかく参加してくださった方に申し訳なく思っております。 その反省点を補うために、銘仙についての基本的な情報を書きたいと思います。
「銘仙」はもともとクズ繭からとれた紬糸や熨斗糸で織られた「太織り」。
その丈夫さから人気が出、女性が着る着物にふさわしいネーミングとして「銘仙」と名が付きました。その頃は無地や縞、絣。(明治の中頃) 明治末期になり、当時の女学生の着物が華美のため、勉学にふさわしい着物ということで「銘仙程度の質素なもの」とのおふれが出る。 しかし、若い女学生に地味な縞や格子だけでは気の毒と考えられたものが、型紙を使って柄を出す「解し銘仙」。後に「模様銘仙」と呼ばれるようになる。 群馬の伊勢崎、栃木の足利、埼玉の秩父でそれぞれ特許を取ったのが明治41~42年頃。 大正末期、特許の期間が解除されるとあっというまに全国に広まる。 大正7年。伊勢崎で経糸、緯糸両方に型紙で捺染し、織り上げる「併用絣」が発明され、より鮮やかで華やかな銘仙の生産が可能に。 昭和に入り、平織りの銘仙が飽きられてくると撚糸を使った御召銘仙が作られる。 平織りの銘仙を加工ししぼを付けた御召風ものや、撚糸を使ったものは、当時、撚糸を使える織機が桐生にしかなかったため、桐生が御召銘仙の代表的な産地となる。 足利では昭和9年、経糸を解しで緯糸に括りで絣模様を入れる「半併用」の技術が発明される。 また、足利織物の第一人者がヨーロッパ、フランスのリヨンの技術、イタリアのコモのデザインセンスを銘仙に活かし、より大胆で奇抜なデザインの銘仙を生産。 東京の八王子ではカピタン織りを用い、変わり織りの銘仙を発明。 このように産地ごとに個性を競いあっていたが、当時のセールの目玉商品に使われたため、粗製濫造の製品が出回り、また人気商品の模造や盗作も多々あったため、産地を特定することは難しい。 昭和10年を過ぎると戦時色が強くなり織物の規制も厳しくなり、派手な銘仙は作れなくなって行く。 戦後、織物税の廃止、朝鮮戦争による軍需景気、高度成長期などの時期、景気回復とともに銘仙の生産も復活するが、洋装化の波に押され、ウール、寝具などの形を変えていったが激減する。 その後、古着屋で見かけることがあっても「庶民の安価な着物」ということで、安価で取引されていた銘仙が、20世紀末~21世紀初頭の「アンティーク着物」ブームで見直され、また産地で少しずつ作られるようになり、現在に至る。
私が話したことが間違ってしまって伝わってしまったら、今まで取材させてくださった方々に申し訳がたちません。 今回の失敗を教訓に、次回、もしこのような機会を与えていただけましたら、レジメのようなものを準備し、最低限の情報はきちんとお伝えしたいと思います。 それでもこれもやってみなければ分からなかったことです。 直接お話しすることにより、銘仙って何?どうやって作られるの?というような、ことについて興味を持ってくださる方がいることを知り、心強く思いました。 これからはそういった方を代表するような気持ちで心して産地に向かおう、と思います。 機会を設けてくださいました竹蔵龍さんに心から御礼を申し上げます。m(__)m この日のレポートも少しずつアップしてくださっておりますので、ぜひ、ご覧ください。→こちら それから、新作の銘仙絵葉書031~035は竹蔵龍さんの銘仙が中心です。 (送料無料キャンペーンは終了しました。絵葉書は基本メール便で送料80円です。ご注文確認メールにて変更いたします。
より多くの方に銘仙について知っていただきたいのです。
最終更新日
2010年02月03日 20時08分38秒
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