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隠れキリシタンとは、今から四百年ほど前にわが国にもたらされた信仰を、あの徳川幕府による弾圧の下でひそかに守り続けてきた人々である。彼らは表向きは踏み絵を踏んでキリスト教を棄てたことを装いながら、実は潜伏して信仰を守り、明治以降になって再興されたキリスト教会にも復帰しようとはしない。
しかし正統な信仰を指導する司祭や宣教師たちが殉教してしまったため、長い潜伏の間にその信仰は仏教や新道や迷信などと混淆して、キリスト教とは異なった一種の汎神的な土俗信仰に変容してしまった。 (中略) 現在隠れキリシタンは、長崎県の西彼杵半島の西部、平戸島、生月島、五島などに定住し、地域ごとにグループを作り、それぞれ地域特有の礼拝方式、組織、行事、慣習などを保っている。 彼らが納戸神にいのるその祈りは、オラショ、ウラッショ、オラッシャ、ごしょう、御経文などと呼ばれる。ラテン語のoratio(祈り)が転訛したものである。 そのオラショを唱える場合、ほとんどすべての地域の隠れキリシタンたちは低い声でつぶやくか、あるいは黙唱するかのいずれかである。ところが生月島の隠れキリシタンだけは声高にオラショを唱え、時には節をつけて歌いさえする。 もともと私は西洋音楽史、とくに中世末からルネサンスにかけての宗教音楽を専攻しているの抱かせ、その研究はおのずから、当時のヨーロッパ音楽がどのような形で日本に導入されたかという問題に立ち向かわざるを得なくなった。隠れキリシタンのオラショもその探究の一環としてすくいあげられたわけである。 しかし私の関心は、・・隠れキリシタンそのものに向けられるようになってきた。 生活と信仰、日本人と宗教、外来文化の摂取と日本化、伝統と現代、音楽のはかなさと強さ、祈りと歌、集団と個人、弾圧と自由、抵抗と順応、掟と罪、人間の強さと弱さ・・。 『オラショ紀行』皆川達夫 日本基督教出版局 の最初に、皆川さんは以上のように記している。 この本は、皆川さんと、遠藤周作(作家)、海老沢有道(キリシタン史研究家) 田北耕也(隠れキリシタン研究家) H・チースリク(イエズス会司祭) 間宮芳生(作曲家) G・ギッシュ(宣教師・琵琶奏者) 小泉文夫(音楽研究家)の諸氏との対談集で、間に、皆川さんの文章が挟み込んであります。 歌オラショの例を紹介しましょう。 <ぐるりよざ> ぐるりよーざ、どーみの、いきせんさ O gloriosa Domina excelsa すんでら、しーでら、きてや、きやんべ super sidera qui te creativ ぐるりーで、らだすで、さあくら、をーべり・・ provide lactasti sacro ubere この<ぐるりよざ>は、「16世紀の頃スペイン、ポルトガル地域で歌われていたマリア賛歌なのである。・・・本国のヨーロッパではすでに死滅してしまった聖歌が、アジアの果てのこの日本の西端の孤島の住民たちによって今なお歌い継がれている。これこそ、ひとつの音楽の奇蹟とよばれてよいのではないだろうか」(p157)。 「歌オラショ」について知ったのは何がキッカケであったのか憶えていません。新聞の記事であったのか、読んだ本の一部に書いてあったことなのか・・。ただ、その「歌オラショ」なるものを聞いてみたいと強く思ったことだけは憶えています。 その頃、本当に偶然ですが、長崎に旅行する機会があり、長崎市内を散策していたときに目の前に教会が現れました。飛び込んで、この本と、そして、「歌オラショ」を録音したテープを買い求めました。 「天の配剤」「神のお導き」・・どんな言葉でもいいのですが、「出会い」と言うものがあることを心に刻みました。 私の手元にある本は1981年初版の本ですが、「オラショ紀行」で検索してみますと、何冊か引っかかってきます。 『長崎・生月島のオラショ』で検索すると、CDもでているようです。 最後に、隠れキリシタンたちがオラショ全文を唱え終わった後に斉唱する歌を二つ紹介して終わりとします。 さんじゅあん様のうた あー前はなあ泉水やなあ 後ろは高き岩なるやなあ 前もな後ろも潮であかするやなあ あーこの春はな この春はなあ 桜な花かや 散るじるやなあ また来る春はな 蕾ひらくる花であるぞやなあ じごく様のうた あー参ろうやな 参ろうやなあ パライゾの寺にぞ参ろうやなあ パライゾの寺とは申するやなぁ 広いな狭いは わが胸にあるぞやなあ あー しばた山 しばた山なあ 今はな涙の先き(谷)なるやなあ 先はな 助かる道であるぞやなあ それぞれの対談もまことに心に染むものがありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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