091455 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

い   ょっと前までは、まだ北海道に居た。

土地柄なのか、業種なのか、
北海道のスピードに、
私はついていけなくなっていた。
北海道の風土が成すワザなのか。

もともと「処理能力の速さ」
そこにしか長所がない私に、
業務スピードが都内の半分以下-
という状況は、辛くのしかかった。
それは互いに長所であり、短所だった。

「できるだけ急ぎで」
「はい、では10分で」
「明日まででいいわ」

仕事量が、足りない。
その分実務を伴う学ぶ事が減った。


私がした決断は正社員登用時に、再度都内で勤務する事。
とりあえず一社、会長秘書の試験を受けて、そのまま内定をいただいた。
すぐに私は都内へ戻った。また、秘書の始まりだと思ってた。

「処理能力の速さ」

どこの会社でも褒められた。
筆記試験で出るのだろうか?
いつもそれを面接で聞かれていた。新卒の頃からずっとだ。

会長秘書は、それほどスピードは要らなかった。
もしくはスピードだけでよく、丁寧さは必要ではなかった。
私は同時に両方を追求できる秘書になりたかった。

半年くらい経った頃、私はいったん異動した。それが今のボスとの出会いだ。
スピードは倍速、丁寧さ、確実さ、意思決定の正確さ。
これまでよりずっと、
多分今までで一番、辛い秘書業と、私は今闘っている。


「ももさんほど辛い立場の秘書さんを見たことがないよ」


先日、コンサルティング系の業務から転職した方に言われた。
他人から見てもそうらしい。
辛さなんて測れるものではないけれど、だけどあるとしたら、
求められる事の多さは尋常ではなかった。だから毎日終電になった。
ボスからお叱りを3時間近く受け、終電がなくなった事もあった。

それでも必死でダメな自分と戦い続けて、大事な人を失ってなお、
私は絶対に「補佐型秘書」から抜け出し、右腕になれるような秘書を求めて、
いつもいつも勉強ばかりしていた。

そうして流れた月日の中で、だんだんと私にも、
ボスの考えや意思決定の方向性が蓄積され、
さすがにアポイント調整で説かれる事は月に一度くらいになった。
それもこれも見放さずにご教示くださったボスのおかげだ。



その代償に、私は「こうしたらボスが喜ぶ方法」を
いつのまにか自然に、無意識に、身につけてしまっていた。


ココロが、そこに、ない。


一瞬、忘れていたことが蘇ってきた。自分の基盤を作り上げて、必死で走って来過ぎた。
素直に自分でココロを込めて仕事をするという一番大事なものを、
私はどこかに忘れてきてしまった・・・



楽天に再度URLを発行し、日記を書き、タグと苦戦しながら、その事を痛感した。

開設して3日。アタリマエが嬉しい。
帰宅して、ただいまと言える場所が嬉しい。励みに仕事に頑張れる自分が嬉しい。

毎日毎日「ありがとう」を書いてた。

そうしたら、この3日で自分も変わった。
言葉のチカラを、誰かに会える嬉しさを、
それに無意識に感動しては、目が潤むことも、
私は1年の間に、いったいどこに忘れていたんだろう。

裏日記を見てはメールをくれていたお友達。
たまに受け取るあったかい気持ちに、まだ、
「復活するんだ!」という思いだけは
忘れないでいることができた。

2007.2.24.

本当に帰ってくることが出来た事を、今も、
まだたった3日しか経っていないけれど、想う。




一期一会を、絶対に忘れちゃいけない。
自分の原点を見失っちゃいけない。
かなえたい目標は、いくら変わったって構わないと思う。
だけど、出発した場所だけは絶対に忘れてしまっては、どこにも行けない。

すぐに感動して涙が目に溜まってしまう自分を、
カサカサしてた心がちゃんと機能し始めたことを、
たった数日で、仕事の中でも取り戻すことができた事を、
本当に本当にとても嬉しく思う。

私らしい私を、ちゃんと受け止めて、今の仕事に加味できることを。




本当に、ありがとうございます。

どこに告知したわけでもなく、
更新すら止まっていた裏日記やmixiをご確認くださった方。
私の足跡を見つけて、早速追ってくださった方。

様々な場所でご縁あって、ここでまたお会いできましたことを
心から嬉しく、またありがたく思っております。
相も変わらず、若輩者の私ではございますが
どうぞこれからも皆様とご一緒できますよう。







© Rakuten Group, Inc.