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テーマ:■南の島の過ごし方■(814)
カテゴリ:パラオ旅行記 2011
「案内 11 KBブリッジ」 「明日に架ける橋」 往復サザンを聴きながらK君が運転する車で渡った橋、パラオに着いた時も、そしてこれから帰国時に空港へ向かう時も渡る、KBブリッジの話です。 コロール島「K」と空港のあるバベルダオブ島「B」を結ぶ橋、KBブリッジ。 正式名称は、「Japan-Palau Friendship Bridge」「日本パラオ友好の橋」といいます。 全長412m、主塔の高さ41m、幅10mの橋は、2002年1月、日本の政府開発援助で、鹿島建設よって再建されました。 橋の下の広場では、子供たちが、楽しく遊んでいる姿をよく見かけます。掃除をしている学生もいます。毎年、独立記念日の式典もここで行われています。 緑色の円のところがKBブリッジです。旧KBブリッジは、1977年に建設された、コンクリートの橋、設計上は風速67mの暴風や激震に耐えられるようになっていました。1996年9月26日、突如、大音響とともに中央部から真っ二つに折れて崩落し、2名が死亡、4名以上が負傷しました。 橋はコロール島から空港へと向かう唯一の道路、また、ライフラインが通っていたため、水道、電気、電話が一気に不通になり、住民の生活上の手段がことごとく奪われました。 当時のクニオ・ナカムラ大統領は訪日し、資金と技術協力の緊急援助を要請しました。日本はこの要請に応じて、総額32億円を超える無償資金を供与しました。こうして再建された橋は2002年1月、竣工式を迎えたのです。 旧KBブリッジについては、建設当初から手抜き工事の疑惑が指摘されていたようです。建設直後から橋の中央部がへこみ始め、20年もしないうちに4フィートも陥没、パラオの人たちは、橋を渡る時には、窓を開け、徐行するなどして注意していたようです。 このことについては、ネット上でも、ちょっとした騒ぎがありました。「建設後、半年で崩れた」という間違った情報から始まり、「建設したのは違う国だ」とか、「日本が安全だと言った直後に崩れた」等々。私は、旧橋の表示も見ています。土台のコンクリートは、1977年に作られたものとは思えないようなものであることも見ています。そして、表示から、国名だけが、何者かによって削り取られていることも。 崩壊した橋を作った国について、ここで述べるのはやめておきます。ちょっとググったらわかることだし(笑) それに、私はパラオの人から、前の橋を作った国に対する非難の言葉などは聞いたことがないからです。日本人のガイドさんから、手抜き工事の話は聞きましたが(笑) 2002年1月、橋の渡り初めの日には一目見ようと多くの人が詰めかけ、その数は国民の約1割に及んだそうです。私も、直後にパラオに行きましたが、多くの人から、「ニホン」「カシマ」「アリガトウ」「トモダチ」の言葉を聞きました。 もし、海に落ちても助かるようにと、窓を全開にし、最徐行で渡った橋は、今は、安全できれいな橋になりました。でも、観光客を乗せた車は、橋の手前で必ず速度をゆるめます。そして、日本とパラオの国旗が並んだ表示をさして言うのです。「この橋は、日本が自分たちのために作ってくれた、友好の橋です」と。 2012/10/12 バナー追加 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2012.10.12 12:03:45
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