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2009.02.09
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カテゴリ:お薦めの本

今日は佐野洋子著作「100万回生きたねこ」
ロングセラーの絵本です。

百万回死んだねこ

購読している新聞にこの絵本の評価が有った時、私は幼い時に読んだことを思い出しました。
本というのは、読者が同じでもその世代によって感動が違います。
子どもの頃読んで感動した作品が、大人になってつまらなく感じることもあるし、
子どもの頃に意味が分からなかったものが、改めて読むと納得したりします。
「100万回生きたねこ」は 私にとって後者でした。少年の頃は作者のメッセージが分かりませんでした。

この絵本のストーリーは、一匹のトラ猫を主人公にして展開されます。
この猫は死んでも生き返る力を持っていて、100万回の再生を繰り返したのです。
猫は自分が生き返るという事を知っていましたから、死への恐怖や悲しみはありませんでした。
育ててくれた人間も100万人居ましたが、トラ猫は飼い主をみんな嫌いでした。
嫌いというより正しくは、関わり合う他人に関心がありませんでした。いつの時代も。
この猫が死ぬ度に全ての飼い主は悲しむのですが、ねこは全く悲しくありませんでした。また生きる事を知っている猫は悲しみなんかなったのです。
やがて猫は自分の事が大好きになりました。だって自分だけが永遠の人生を持っているのですから。
でも、100万と1回目の命の時、白い雌猫に恋をしました。はじめて自分以外を愛したのです。
白い猫はトラ猫に興味を示しませんでしたが、一緒に居る事を許したのです。
念願叶って白い猫と幸せに結ばれるトラ猫でしたが、やがて数年後、愛する白い猫は死んでしまいました。
悲しみ果てたトラ猫は沢山泣いた後、死んでしまいました。
そして、もう生き返らなかったのです。


愛というのは、3段階に分けられます。

一番底辺が「自己愛」、自分を愛する事です。生命欲が自己愛の範ちゅうならば、とても原始的な愛です。自己愛は獣にも出来ます。
自己愛が過ぎると、他人を愛することが出来ません。悲しいことです。

その上の愛が「交換の愛」です。くれるなら与える愛です。
素晴らしいのですが、相手が愛してくれなくなった時に破綻が生じます。
あんなに愛し合っていたのにわかれてしまうカップルは、見返りを相手に求めていたからかもしれません。

一番崇高な愛は「見返りを期待せず 与える愛」です。
相手がどういう気持ちであろうと愛を与えることです。
子どもに対する母の愛もこれに位置するでしょう。


彼は、百万回という生命を得ましたが、ずーっと自己愛だけでした。
最期の命で白い猫をはじめて知って、見返りを期待せず 与える愛を知ったのです。
一番崇高な愛を知った猫は、同時に本当の生命の意味も知ったのです。

永遠の命があったとしても幸せとは限りません。
世界一のお金持ちになったとしても幸せとは限りません。
地位と名誉を得たからといって幸せでない人もいます。

しかし、見返りを期待しない愛を知った人は、たとえ泣くほどの事があっても
幸せになれるのです。


博学研究家 横尾けいすけ Yokoo・D.B.Keisuke
mail to yokoo@mopera.net






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最終更新日  2010.08.20 23:42:02
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