まほろ駅前狂騒曲(週刊文春連載のベータ版)三浦しをん
直木賞受賞作で映画化にもなった『まほろ駅前多田便利軒』の続編。しをんさんによると、このシリーズは『~狂騒曲』で終了とのこと。大好きなシリーズなので素敵な終演を願うばかりだ。また、しをんさんにとっても大切な小説であるはず。素晴らしい作品に仕上げてもらいたい。以前に、『~多田便利軒』に対する感想で、>欲を言えば、しをんさんは、チンピラと交友を囓ると良い。チンピラって古い言葉だが、いわゆる本当のろくでなしを生で知ると描写が生きると思う。と、記載したのは訳がある。ワルの描き方が極端すぎたのだ。例えば、不良少年の星が覚醒剤を扱っているのは有り得る事なのだけれども、改造拳銃で多田の車のフロントガラスを壊したのはB級映画みたいで良くない。横浜御三家出身のしをんさんには、この感覚が分からなかったのかもしれないけれど、違法薬物は有っても拳銃が無いのが最近のアウトローなのだ。銃声なんかさせたら一発で刑務所だからだ。ここのところは映画化されたときには監督さんは分かっていて、拳銃が金属バットに変わっていた。しかし、そういう背伸びも、外伝である『まほろ駅前番外地」ではだいぶ大人しくなり、『~狂騒曲』では読んでいてとても居心地がイイ。ワルの描き方に無理がないのだ。『~狂騒曲』が発刊になったときの要望は、行天の実の娘である“はるちゃん”に対する対処の変化をもっと明確に描いてもらいたい。行天は親から歪んだ愛され方をされた。そのせいで、人を愛するということ自体を知らないのだ。愛することをしないのではなく、知らないのだ。そういう自分をあきらめながらも誰かとだったら解決できるかもしれないと感じたのか、匂いを嗅ぎつけ多田の近くに居る事となるのだ。そう、多田が親子関係のトラウマを解決するのを一緒に体験することで行天は己を泥沼から脱出させたいのだ。ここの描きがとっても淡泊。「多田が朝に変えると、驚く事にはるは行天と仲良くしていた。」では物足りない。ついでに言えば、この晩に多田は憧れの女性と寝るのだが、はると行天を二人だけにするというギャンブルをしかけて、それをすっかり忘れて行為に集中できるような男なのかな。未来永劫に残るしをん作品になるのだから、素敵に仕上げていただきたい。横尾けいすけ Yokoo Keisukemail to keisuke450@gmail.com