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カテゴリ:百人一首ゆかりの地
朝ぼらけ 有明の月と みるまでに
吉野の里に ふれる白雪 坂上是則 み吉野の 山の秋風 さよふけて ふるさと寒く ころもうつなり 参議雅経 百人一首には、吉野が舞台になっている歌が二首ある。 吉野の代名詞「桜』が題材ではなく、秋と冬が詠まれている。 桜が植えられたのは平安時代からとあるので、作者である坂上是則(?〜930)、藤原雅経(1170〜1221)の頃は、まだ今ほど全山ピンクに色づくような〈桜の山〉ではなく、深山奥深き寂しい場所、寒々しい所という捉え方だったのかもしれない。 源義経、後醍醐天皇と、中央政権から外れてしまった人が隠れ棲む場所。侘しいという言葉が似合うのだろう。 しかし、侘しい寒々しいというだけなら、別に吉野でなくてもかまわない。 霊場への参詣道の入口という吉野の土地としての役割が、歴史上名のある人々の隠遁の場として選ばれた理由だろう。 吉野の山の向こうには、大峯山、熊野三山がある。 吉水神社参道から金峯山寺蔵王堂が見えた。 山岳信仰とは切っても切れない役行者。 謎多き役行者さんは修験道の開祖といわれ、金峯山寺の創立者と伝えられる。 金峯山寺は「きんぷせんじ」と読むのね。「かねみねさんでら」だと今まで思ってた(恥) 大峯山が「おおみねさん」だから、思いこんでた。 小学校5年の林間学校は天川村の洞川だった。 男子は大峯山山上ヶ岳、女子は稲村ヶ岳登山で、男子は絶壁から身体を突き出される「西の覗き」という行がセッティングされていて、誰それは絶叫泣きしたとかどうとか、ぎゃんぎゃん喚いていた記憶がある。女子は女子で、山上ヶ岳より稲村ヶ岳のほうが高いやん、とブーブー文句を言ってたっけ。高いといっても何メートルかの差で、低いほうの山上ヶ岳に女子は登ることはできない。女人禁制のお山だ。 林間学校での〈なぁ〜んちゃって行〉だったが、修験道が脈々と生きている山々なのだ。 そんな山々への入口が吉野山。 吉野を詠んだ歌をもう一首 よき人の よしとよく見て よしと言いし 吉野よく見よ よき人よく見 天武天皇 この早口言葉のような歌を詠んだ天武天皇(大海人皇子)は、壬申の乱直前に、家族と一緒に吉野で隠遁生活をしたことがある。 天武天皇は吉野に逃げた後、一発逆転、中央政権の場に躍り出て、権力の中枢に上り詰めた。 一緒に逃げた奥さんは後の持統天皇。 義経、後醍醐天皇は、そんな天武天皇の吉野からの逆転人生に憧れたのかしら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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