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われらが母校であります沖縄国際大学の、 われらが母サークルであります文芸部が、 まてよ、われらが生み出したサークルですのでわれらが子サークルというべきか、 沖縄国際大学文芸部が昨年末に発行した「沖国大文学」第15号。 2月10日の琉球新報教育面に記事が掲載されております。 328ページの大冊。 沖国大文芸同好会を発足させたのが1999年で、文芸部となったのが2000年。 そこから数えて、はや12年。「沖国大文学」の号数も15を数えるまでになった。 創刊号は学祭直前にサークル棟の文化団体連合会所有の輪転機を借りて徹夜で印刷、 印刷所に運び込み、急いで製本してもらって学祭に間に合わせたのが昨日のようだ。 号を重ねて内容は充実し、第4号の時には部員3人が詩集を発行し、特集を組んだ。 その後、松永朋哉が山之口貘賞を受賞。後輩らも相次いで詩集を手作りした時期も。 ここ数年はライトノベル全盛の情勢を反映し、小説の書き手が競い合っている状況。 裾野を広げ、詩壇や文壇、社会との接点としての機能を果たすよう今後も期待する。
第7回おきなわ文学賞の表彰式が5日、那覇市のパシフィックホテル沖縄でありました。 詩誌「1999」に新たな同人として加わった、西原裕美さんが二席を受賞し、表彰されました。 今回、詩部門は一席が該当者なしですので、最上位入賞となっております。 琉球新報の記事 沖縄県文化観光スポーツ部長の平田大一さんが知事あいさつを代読。 ただ平田さんは南島詩人。「肝高の阿麻和利」を率いていた人で、 昨年まではおきなわ文学賞にシナリオ戯曲部門の審査員として参加していました。 あいさつ末尾には詩人として18歳のころに書いたという詩を朗読し、 新たな書き手たちにエールを送っておりました。
琉球大学付属図書館が主催する朗読会 Voice -詩の響きを求めて が18日にありました。 第5回びぶりお文学賞詩部門受賞者の小山響平さんや兵頭茂さん、 第10回山之口貘賞受賞者の松原敏夫さんにまじり、 1999同人から トーマ・ヒロコ、西原裕美、宮城隆尋 が出演しました。 来場者アンケートには「言葉がまっすぐでおもしろかった」などの声が寄せられました。
「琉球新報」の連載「復帰40年 変わるウチナーンチュ像 5」(1月7日24面)に 1999同人のトーマ・ヒロコがでています。 (以下画像と記事の一部抜粋) ![]() 山之口貘賞を受賞した詩人、トーマ・ヒロコさん(29)はNHKのドラマ「ちゅらさん」で主人公の恵里の「沖縄は最高」との言葉に、友人が「よその県と比べないでなぜ分かるの」と突っ込んだ言葉が頭に残り「自分の実験」として大学卒業後、東京に出て印刷工場で働いた。 思いの外、言葉で苦労した。沖縄で聴いていたラジオが無性に聴きたくなった。だが「本土で違和感を感じるのは分かるが、沖縄にいて違和感を感じるのは言葉ではなく米軍基地や教科書問題などへの見方、報道のされ方ではないか」と語る。沖国大4年生の時、大学に米軍ヘリが墜落。基地の危険性を痛感した。 東京にいるころ会社の研修旅行が6月23日にあった。沖縄では慰霊の日。宴会に出る気になれず、社長に直接不参加を伝えた。沖縄のことで最も受け継ぎたいのは沖縄戦のことだ。「子どもたちに説得力を持って語り継ぎたい」と思っている。 (抜粋終わり) 連載は1972年の沖縄施政権返還から40年を経て、沖縄の人々の意識の変化などを扱っています。 よく復帰後世代の若い人が出るのがいいかんじです。
詩の朗読会があります。 ![]() 日時は、2012年1月18日午後1時30分から。 会場は、琉球大学付属図書館。 琉大びぶりお文学賞詩部門入賞者の方々や詩人の松原敏夫さんらにまじり、 詩誌「1999」同人からも出演します。 出演は 小山響平 兵頭茂 松原敏夫 宮城隆尋 トーマ・ヒロコ 山原みどり 西原裕美 宮城信太朗 それぞれ自作詩を朗読します。 こうご期待。
・ 金子みすゞ展が那覇市ぶんかテンブス館の3階ギャラリーで開かれている。 作品はいくつも読んだことがあるが、夭逝の背景に悲劇的な晩年(といっても20代)があったことを初めて知りました。 人生を作品とともに時系列に追う展示内容に加え、死後数十年を経て日の目を見た手帳(詩が書きつけてある)などが展示されている。 幼い娘の言葉を書き留めた「南京玉」がよかった。 24日の琉球新報に1999同人の松永朋哉が寄稿しています。 ![]() 金子みすゞ展は12月10日まで。 12月3、4、9、10日に朗読会(いずれの日も午前11時から正午)があるらしい。 ・
詩誌「1999」Vol.8 の 表紙画像をアップロードいたします。 ![]() アップロードいたしました。 こんにちわ。 わたしが表紙です。 よろしくお願いいたします。 ちなみにたべられません。 不可食用。 ではまた。
本サイト「投稿掲示板」に寄せられた作品から詩誌「1999」本誌に作品を掲載する「つぎの琉球詩壇」。 本誌発行に先駆けて、本サイトで先行公開いたします。 今回はhoroさんの「ぎぃぎぃ」ほか。 本誌発行が2年以上遅れたこともあり、このコーナーもだいぶ古い話になってしまいました。 投稿してくださった方々にはまことに申し訳ない限りです。 では 第4回「つぎの琉球詩壇」 です。 ぎぃぎぃ horo あなたがね 吸って、 って言うものだから 小さな、歯並びに、花束を 贈るかのような、矛盾が ぼくの脳を縛り付けている わけ、なのです。 そのせいで、ひどく、痺れてくる 舌を切り、取って 同じみどりいろの、痺れを さぁ あなたにも。 枯渇した網膜が、破裂しようと、して 心臓の奥に、 生まれた猜疑心 耳 を塞ぐのではない ぼくには、 いらないのです、よ。 ぎぃぎぃ鳴く舌なんぞ いらないのですよ。 (ああ、なんてくだらないたわごと) 評「みどりいろの、痺れ」宮城隆尋 二〇〇九年の三月末までに詩誌「1999」ウエブサイトの投稿掲示板に寄せられた作品を見ていきたい。まずは冒頭で作品を紹介した「ぎぃぎぃ」(horo)。題名にも、書き出しにも引き込まれる。密度の濃い詩行が展開され、中でも〈みどりいろの、痺れ〉〈ぎぃぎぃ鳴く舌〉などの表現に独自性が際立つ。 猜疑心が生まれ、拒絶するまでが描かれるが、「猜疑心」や「矛盾」とは何かを考えた時、身近な人間からの思いがけない働きかけに、幼い頃の自分の姿を重ね合わせてしまった、それによって現在の自分を形作るもの、自分という形をつなぎとめる要素が揺らいでしまった存在が思い浮かぶ。または自分を形作っていると思っていた要素自体がもともと漠然として希薄なものだったということに気付いてしまった存在、と言い換えた方がいいかもしれない。大人と子どもの境界にいる年代の心情ととらえてもいいのではないか。 〈ぎぃぎぃ鳴く舌なんぞ/いらないのですよ。〉の終結部には、潔癖な感覚が表れる。〈(ああ、なんてくだらないたわごと)〉と作品を締めくくるのは、結局は誘惑に勝てないということを斜めに見ている「あなた」または語り手のせりふに思える。望郷も思わせるような幼さへの回帰願望と、それを許容する存在がいたときに試される自己、分裂する自己を描いたとも読める。イメージの喚起力に富んだ魅力的な作品だ。 「(No Subject)」(椎音ルイ)はイメージの広がりを妨げない短詩。〈血に塗れた手〉を真っ赤な空に伸ばし、笑っている〈きみ〉の姿は非常に凄惨な情景。〈無性に痛む〉胸は押しつぶされているが、〈きみ〉は笑っている。ただ、手を伸ばす行為は〈必死〉である。過酷な状況下で足掻いた経験があれば、恐らく多くの人が自分の心情を託して共感できる作品だろう。同じテーマを扱った作品を連作で読ませて欲しくなる作品で、詳しい情景が思い浮かぶほどに共感の度合いは高まるだろう。 「長文になってしまった・・・。」(ゆう)悲しみの涙は雨や嵐に紛れ、晴れていれば胸を貸す。「愛する君」への想いが溢れ出る作品。恋愛の詩を書く上で「恋」や「愛」とは何かということが、作者の中で明確であればあるほど作品の魅力は際立つ。具体的で説明的すぎず、また大げさにならず、バランスを保って等身大の「愛」を描くことが大事だ。〈いつか君に 愛しているといえるまで〉とある。「愛している」と打ち明けた後であれば悲しんでいる泣き顔を見ることができる、と理解すれば、悲しみの涙を見れば「笑っていられるから」が笑っていられなくなるのだろう。愛し合える関係になれば悲しみも共有できる、ただ笑って励ますだけでなくお互いの抱えている荷物を共有し、支え合う関係になれるということを示唆しているとも読め、興味深い。 「光」(幸世)は〈闇を照らす月の光りのように//そっとやさしく光りたい〉との願望から始まる短詩だが、その前提に〈そっとやさしく光れたら〉とあるのが興味深い。〈そこまでできたら、/それができたら、//次は、もっと早く、見つけてあげられる〉というおそらく作者が設定した主題の根幹をなすであろう部分の意味するところに深くかかわる前提だろう。早く見つける必要があるだけでなく〈もっとはやく、探してくれる?〉と見つけられる立場であることも示唆される。愛する人がすぐそばにいて手をつないでいても、ふと実は広大な宇宙空間ですでに見失ってしまっていて、ずっと探し求めているような寒々しい心境に陥ることは、多くの人が思い当たる体験ではないだろうか。そういったことを描いているのではないかと想像を膨らませて読んだ。 「(No Subject) 」(アヤ)は〈消えかけた灯火を/ミタコトガアルカ?//消えかけた灯火を/ケシタコトハナイカ?〉の問いかけが印象的な作品。おびただしい数の命のともしびがあり、それらを自分の判断で消してしまうことができたとしたら、と考えると空恐ろしいが、末尾は〈ケシタコトハ ホントウニ ナイカ?〉と終わる。差し出された手をはねのけたことはないか、救いを求める声に耳をふさいだことはないか、読者に自己を見つめなおさせる作品。 「詩」(彼岸鳥)は人それぞれの持つ〈音〉が終わりなく奏でられ、響きあうことを訴える作品。人と人の関わり合いを響きあう旋律にたとえる視点は、人間を真摯にみつめる姿勢から得られるものだと思う。 二〇〇九年四月以降に寄せられた作品は次回見ていきたい。 以上。
詩誌「1999」Vol.8が間もなく発行となります。 当初は2009年夏発行予定だったのが、2年遅れました。 やばすぎて(笑)も使えない。関係者の方々にはまことに申し訳ありません。 今回は75ページ。 特集を3本組んでおります。 瑶いろはさんをゲストに迎えました。 とりあえず目次を掲載します。 発行日は7月1日となっております。 詩誌 1999 Vol.8 目次 詩 バニラ・ベール 瑶いろは 詩 白いマグカップ トーマ・ヒロコ 詩 はじまりのこえ 宮城隆尋 詩 舗道 宮城隆尋 詩 しまう 宮城隆尋 詩 日曜日 トミー 詩 悪夢 トミー 詩 パラノイア 松永朋哉 【特集】 トーマ・ヒロコ 詩 6・23×4 トーマ・ヒロコ 報告 山之口貘賞周辺のトーマ・ヒロコ 宮城隆尋 インタビュー・トーマ・ヒロコ (聞き手 1999同人) 報告 詩集「ひとりカレンダー」出版記念朗読会 宮城隆尋 【特集】 沖国大米軍ヘリ墜落事故を振り返る 報告 事故・その後 宮城隆尋 座談会 風化の中で 1999同人 【BOOK REVIEW】 夏の読書 トミー 【投稿欄】 つぎの琉球詩壇 第4回 (担当・宮城隆尋) 【現役の小部屋】 詩 春のち梅雨 アングラ猫 インタビュー・現役部員に聞く (聞き手・宮城隆尋) 編集後記 以上です。 異常です。とりあえず。
![]() 第32回山之口貘賞贈呈式が7月31日、那覇市泉崎の琉球新報ホールで開かれた。 受賞作はトーマ・ヒロコ詩集「ひとりカレンダー」(ボーダーインク)、上江洲安克詩集「うりずん戦記」(琉球新報社)。 選考委員の与那覇幹夫氏が講評を述べた。 ![]() 受賞者のトーマ・ヒロコに主催者から賞状と副賞が贈られた。 ![]() 上江洲氏にも贈られた。 ![]() トーマ・ヒロコは受賞者あいさつで、「詩は今、書いている人や好きな人にしか読まれていないと感じる。詩はもっと生活の身近にあっていい。難しい言葉は使わず、かといって軽くない詩を書いていきたい」などと述べた。 琉球新報児童文学賞の贈呈式もあわせて行われ、会場は受賞者に花束を手渡す関係者らで華やいだ。 詩誌「1999」同人からは伊波泰志、内間武、宮城隆尋がかけつけた。 県内の詩人の方々も多数かけつけた。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |