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桜井ジャーナル:マスコミが報道しない事実    ―見えない「帝国」の闇 【非公式情報】    

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2008/08/01
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1945年年8月15日の正午、昭和天皇の「玉音放送」がラジオから流れ、日本人の多くは自分たちが敗けたことを知った。「戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦(また)我に利アラス」という情勢のため、「国体ヲ護持」する条件で戦争を止めるというわけだ。つまり、敗戦を認めていないようにも受け取れる内容だった。実際、日本では政府もマスコミも8月15日を「敗戦記念日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでいる。

確かに、「国体」の核は護持された。戦後、連合国(アメリカ)は「東京裁判」で「戦犯」を裁いたことになっているが、起訴/判決に不可解な点があることは否定できない。戦争責任という点で、処刑された戦犯よりも責任が重い人物をアメリカ軍が保護、利用していたことも事実だ。

例えば、源田実など無謀な戦いを推進した軍の幹部は戦後も要職についているほか、河辺虎四郎陸軍中将、有末精三陸軍中将、辰巳栄一陸軍中将、大前敏一海軍大佐、服部卓四郎陸軍大佐、中村勝平海軍少将などのように、GHQ/SCAP(総司令部/連合国軍最高司令部)の下で活動していた軍人もいた。直接、彼らを動かしていたのが情報活動を統括していたチャールズ・ウィロビー少将だ。

軍人だけでなく、戦前から戦中にかけて思想弾圧を行った検察や特高警察の幹部、そして裁判官たちも戦後、責任を問われないまま要職につくことができた。生物化学兵器の研究開発に携わった人たちも罪に問われることはなく、プロパガンダ機関として国民を戦争へと導いたマスコミの人間も事実上、戦争責任は問われていない。

敗戦前の「国家支配体制」が戦後も維持された背景には、日本軍がアジア全域で略奪した財宝の存在があった可能性が高い。筆者の情報源のひとりだった元特務機関員もそうした財宝の存在を証言していた。「児玉誉士夫のダイヤモンド」はそうした財宝のほんの一部にすぎない。戦争に敗れた日本は莫大な財宝を隠し持っていたということだ。

そうした財宝の中心的な存在がフィリピンに隠された「山下兵団の宝物」だと信じられている。ドイツ軍も大戦中にヨーロッパ各国で金塊を盗んでいる(ナチゴールド)が、そうした財宝をアメリカの一部権力者は手に入れ、破壊工作や経済政策に利用している。冷戦を戦う「原資」になったと言えるだろう。

秘密資金に関する情報は大戦が終わった直後から流れていたが、1980年代に情報量が増えてくる。フィリピンで1986年に政変が起こり、独裁者として君臨していたフェルディナンド・マルコスがアメリカ軍に国外へ連れ出されると、裁判などで日本軍による財宝略奪の実態が少しずつ明らかにされ始めたのである。

闇資金に深く関わっていた人物のひとりとして有名なブルーノ・ビターは当時、駐日ローマ法王代理を務めていた。ビター自身の証言だが、彼は靖国神社を守るために重要な役割を果たしている。当時、SCAPの多数派将校は靖国神社の焼却を主張していたが、それを彼が阻止したというのだ。

それはともかく、戦前と戦後で日本の権力構造は基本的に変化していない。日本国憲法が戦前的要素が顕在化するのを押さえてきただけだろう。戦争中、日本国民は人間と見なされず、ハガキ一枚で調達できる「駒」として殺されていった。そして現在、やはり日本人は人間と見なされず、外国で商品を売るために安く調達できる「部品」として使い捨てられつつある。要するに「消耗品」扱いされているわけで、このところ小林多喜二の『蟹工船』が注目されているのも当然だろう。

権力者の意識は当時も今も大差はなく、日本をひとつの社会、あるいは共同体と考えていない。大衆は自分たちの言いなりになる都合の良い「臣民」だと思っているのだろう。が、庶民は人間として目覚めつつある。近い将来、社会システムが大きく変わるかもしれない。





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Last updated  2008/08/01 07:57:47 PM
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