ブログを作る※無料・簡単アフィリ    ブログトップ | 楽天市場
222058 ランダム
日本刀讃歌★心の中の日本刀… (趣味・ゲーム)楽天ブログ 【ケータイで見る】 【ログイン】

日本刀讃歌★心の中の日本刀
ホーム 日記 プロフィール オークション 掲示板 ブックマーク お買い物一覧

PR

カレンダー

2012年5月
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<前の月今月次の月>

コメント新着

 国分寺助国Re[1]:訃報に接す(04/12)越後人さん こんにちわ。既にご存知で...
 越後人@Re:訃報に接す(04/12)おはようございます。 私も一週間位前...
 国分寺助国Re[1]:新聞に・・・・・・(03/31)平四郎吉政さん こんにちわ。 骨も...
 国分寺助国Re[1]:新聞に・・・・・・(03/31)越後人さん こんにちわ。御無沙汰して...
 国分寺助国Re:南無阿弥陀仏(03/31)源信正さん 始めまして。こんな拙い...
 平四郎吉政@Re:新聞に・・・・・・(03/31)こんにちは。 試し切りの人骨は今ま...
 越後人@Re:新聞に・・・・・・(03/31)試斬りの証拠の人骨が初めて見つかった...
 源信正@南無阿弥陀仏はじめまして。 今月号のヒントとして...
 国分寺助国Re:暁邦のなぞ(05/15)山県さん こんにちわ。 私は、備後...
 山県@暁邦のなぞ私は驍邦も暁邦も見た事はありません、...

バックナンバー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

キーワードサーチ

ブログリンク

>お気に入りブログに追加
ブログが更新されると
メールでお知らせします

楽天プロフィール

設定されていません

 

国分寺助国の世界 [全201件]

2012.04.12楽天プロフィール Add to Google XML

訃報に接す  (2)


昨日、杉田義昭刀匠の会事務局から一枚の封書が届いた。

今年の会費の案内かと思って開封してみると、唖然とする記事が記されていた。
杉田義昭刀匠の逝去を知らせる内容でした。四月一日に亡くなられたと言う事なので、エイプリルフールの悪い冗談かとも思いましたが、熟読するうちに本当のことだと理解しました。
どうして亡くなられたのか詳しい事は記載されていませんでしたが、ご遺言もあったようで以前から覚悟されていたように推測いたしました。

杉田刀匠は、皆様ご存知のように、独自の焼き入れ方法を実践され、鎌倉期の名刀の再現に一途に努力されていた刀匠でありました。
顧みれば、もう十年余も前の事になりますが、倉敷のはしま屋と言う場所で、第一回の叢雲会の展示会がありました。そこで、初めて杉田刀匠の【ずぶ焼き】という焼き入れ方法で、製作された太刀を手にとって拝見したのが最初でした。
その時までは、ずぶ焼きという手法は承知していましたが、手にとって見るのは初めてでした。
一見、尖り刃交じりのこずんだ丁子刃であったと記憶していますが、刃取りが複雑で土を置いた焼き入れとは思われず、おもわず刀匠にずぶ焼きですかと伺ったことを思い出します。
その時、平身の脇差や短刀を出して見せてくださり、【不作為の作意】と言うか、自然な風合いに大きな魅力を感じ、いつかは一振り鍛刀をお願いしたいと思っておりました。
その後、杉田義昭刀匠の会が発足することを知り、微力ながらも応援をしたいと思って入会し今日に至りました。
直接鍛刀場に伺ったのは僅か一回でしたが、親しく刀匠と刀談議も出来て有意義でした。
小脇差を一振りと思っていただけに、取り返しが出来ず残念な思いが一杯です。
毎年、自作の刀の写真をあしらったカレンダーをお送りいただいていましたが、今年は送られてこず気にはなっていました。
現代では、僅か六十二歳、早過ぎる死と言っても過言ではありません。
もう十年命有れば、どの様な刀を残されたのか【惜しみても惜しみても余りある命】と言うべきかと思います。

最後に杉田刀匠の言葉とされて下記が記載されていました。

【西に向かって夕日に手を合わせてください、そこに私は居ます】

合掌




最終更新日時 2012.04.12 07:55:04
コメント(2) | コメントを書く


2012.03.31

新聞に・・・・・・  (6)


先月読売新聞に興味深い記事が掲載されていました。

記事は、下記のように刀で試し斬りされた人骨が始めて発見されたと言う内容です。

国立科学博物館が所蔵する約8000体に及ぶ江戸時代の人骨の中から、刀の【試し斬り】を行なったと見られる人骨が一体始めて見つかったという内容でした。
この骨は1988年、東京湯島の墓地跡で発掘されたもので、江戸時代の棺桶である早桶に入っており、20代の男とみられこの人骨に刀傷が目立つ事から調査を進めてきた。
その結果、胴体を水平に少なくとも7箇所断ち切られていたことが判明。鎖骨や肩甲骨にも跡が残っていたが、手足には無く、文献に伝えられる試し斬りの記録と酷似していた。
戦いによる外傷は手足が中心で、刀は垂直に入り、骨で止まるか骨が砕けるのが普通なので、試し斬りによる物と判断した。

試し斬り.jpg

男には、首に切断面があるほか、頭骸骨後部に一度失敗した斬り跡と、額には槍で試し突きした二つの穴も残っていた。
一方、この骨の中に、10代の男の骨も交じっていた事もわかった。研究員は【二つ胴】などで遺体を重ねて切られ、切断された部位が混在したまま埋められた、と推測する。此方も5箇所切られており、共に、切り離された胴体を重ねて再び斬られた可能性もあるという。
斬られた遺体は捨てられるので、試し斬り後の骨が発掘される例は殆んど無かったと見られる。
この男の場合は親族が対価を払い、遺体を引き取って埋葬した事が考えられ、研究員は【極めて貴重なケース。二人とも若いのは脂肪が少ない遺体が望まれた可能性がある。文献では分からない新たな側面が見えてきた】と語った。

この様な内容の記事でしたが、今まで試し斬りされた人骨は発見されていなかったんですねぇ。
刀の茎には、金象嵌試し銘が得々として刻まれ、誇らしげに斬れ味を喧伝された刀が大切に伝えられ、文献にも試し斬りに関する数多くの記述が残されていますが、これ等の記述が真実だと言う事が実証された訳ですね。




最終更新日時 2012.03.31 14:09:17
コメント(6) | コメントを書く

2012.02.19

一代刀  (4)


ずいぶんご無沙汰をしています。久しぶりの更新です。

ずいぶん前に読んだ本の中に、【一代刀】なる表題がつけられたエピソードが綴られていました。
刀剣通信販売の創始者とも言われる、大村邦太郎氏の著書の巻末に記載された一文ですが、私も、刀に対する【一代】と言う言葉と、【一代】という意味の深さに共感し、今でも頭の片隅に忘却もせずに残っています。

簡単に内容を紹介しますと、明治の末年頃でしょうか、著者が行きつけの刀屋で、備前政光、寸延び平造りの研ぎ減った、刃の谷も心細くなったような脇差を、研がせようかそれとも売ってしまおうかと相談していたところ、八十何がしと見える老翁が飄然と入ってきて、【たいへん結構そうなお道具ですが、お差し支えなければ拝見させてもらえまいか】と言うので【なに、つまらないもので、ほんの参考品です】といって渡すと、老人、見こう見していましたが、やがて丁寧に会釈して返されるので、こちらがかえって恐縮しまして【どうもこうなってしまってはほんの玩具でして・・・】といったようなお愛想を申しますと、老人大真面目で、【充分を言えば際限が有りませんが、これだけのお道具ならば、御一代は大丈夫です】と言います。
著者もこの【一代】と言う言葉が非常に脳裏に残ったようで、当時のことを思い出しながらこの一文を記載して居ります。この一文が書かれた頃は、近頃の事変(満州事変)といった言葉がありますから昭和7年ごろかと思われます。
この老人の事は後で聞くと、昔お旗本の相当なところで、維新の際にもかなり働いた人だったそうなのですが、当時(昭和7年頃)に於いては、一般の人々の刀に対する考えは相当に違っていたとも記しています。当時のお好き者の方は健全第一主義で、一寸傷があるのでただのように安いかと思えば、痩せ腕には振れそうも無い大段平や、実用にはおよそ縁のない欄間透かしの刀が持ち出されて、こんな刀を買っておかないと損だよ、などと教えられている反面、【一代役に立つ】刀は経済価値が乏しい為、見向きもされず次第に朽ち果ててゆく等と嘆いて記しています。
この一代刀とは何か?についても著者は推測して記しています。研ぎ減りして些か頼りなげなな刀であっても、著しく減っていない限り概して斬れ味は良い物で、刃が細くなっていても、いわゆる甘切れというのか、吸い込むように切れる場合が多いようだとも解説している。

刀剣が道具でなくなった時代から、私たちも含め刀剣愛好家達は健全第一主義で、研ぎ減った刀や小傷のある刀などは見向きもされず、次第に朽ち果ててゆく運命を辿る。
高位高銘な刀や健全な刀は経済的な価値が高い為、いつの間にか刀剣愛好の道を見誤っているのではないかとも思えます。一代役に立つ刀は、所持者の命を守る活人剣として使われ、幾度も研ぎ直されながら、大事に今日まで伝わった刀なのですから、慈しんで愛玩してやるべきだと思っていますが如何でしょうか。





最終更新日時 2012.02.19 11:15:14
コメント(4) | コメントを書く

2012.01.01

謹賀新年  (12)

2012年年賀状

昨年は、日本にとって不幸な一年でした。しかし冬が過ぎて春が来るように、季節が巡り一日

も早く人々に笑顔が戻る様に願っています。

私も、昨年少し体調を崩し皆様にはご心配をお掛けしました。今年からは又、気が向いたとき

には、拙いブログですが綴って行こうかと思っています。

一昨年から鞘師に預けていた、四振り目の伯州住秀春の拵えの下地が、やっと出来上がってき

ました。

そのうちに写真でも撮りましたらアップいたします。

柄巻き鞘塗りは、どの様にするのかまだ決めてはおりませんが参考になればと思っています。







最終更新日時 2012.01.01 11:56:02
コメント(12) | コメントを書く

2011.07.07

刀剣美術6月号鑑定所感  (7)

 

更新が遅れて月記のようになってしまいましたが、締切日も過ぎましたので刀剣美術6月号の私の鑑定所感を申し述べます。

 

盛光

 

体配から【身幅尋常,元先の幅差開き、上半に先反りつき・・】室町初期から中期頃かと推測しました。

乱れ映りが立っているわけですから備前は外せないところでしょう。茎の栗尻、鑢目勝手下がりもそれを肯定しています。

 只、1尺9寸と言う寸法は末備前に良くある寸法ですが、刃紋の出来と映りが出ているところから末備前には入れにくい。(末備前には乱れ映りが立たない物が多い)

室町初期から中期にかけての著名工は、盛光、康光、則光、祐光等ですが、どの工に該当するのか俄かに判断はつかない。数多くそれらの刀を見ているわけでもないので、どうしても代表的な刀工に入札することになります。

今回も刃紋の形【尖り刃や丸い焼き頭など】や棒樋の区上での丸止めなどから、長船盛光ではないかと推測しました。康光でも良いのですが康光は直刃が多いので、盛光の方が該当するのではと思っただけです。

今回も個銘は確信があるわけではありませんが、【備州長船盛光】と入札しました。

前回は水心子正秀でした。

 

 




最終更新日時 2011.07.07 14:14:05
コメント(7) | コメントを書く

2011.06.07

刀剣美術5月号鑑定所感  (4)

 

締切日も過ぎましたので刀剣美術五月号の私の鑑定所感を申し述べます。

 

水心子正秀

 

体配【身幅尋常、元先の幅差やや開き、反り深め・・】から、古刀姿であるが平肉乏しく、地鉄小板目つみ無地風などの記載から、古刀写しの新々刀と推測しました。

新々刀の備前伝作者と言えば、固山宗次一門、水心子一門、横山、浜部一門などが思い浮かびますが、この押形の刃紋の形態と茎仕立てから作者をさぐって行こうと思う。

先ず固山宗次ですが、彼の作風は華やかな丸い出入りのある丁子刃が主体で、このようなこずんだ逆がかった丁子は見ることがありません。

水心子、横山、浜部一派には、この押形のようなこずんだ丁子刃はありますが、翻って茎仕立てを見ると横山、浜部一派には該当しません。

残るのは水心子一派ですが、といっても水心子正秀か大慶直胤のいずれかと言うことなのですが、茎仕立てが刃上がり栗尻、大筋違に化粧、刻印などから【水心子正秀】と推測しました。大慶は銘の位置、茎仕立てが若干異なる為除外しました。

従がって今回は【水心子正秀】と入札しました。

黒江二郎氏編著の水心子正秀とその一門によると、彼の合作銘で現存しているのは40名以上に上るとの記載がありました。彼の教育者としての一端を垣間見るようです。

前回は長船元重でした。やはり逆鏨に触れていないことが決め手のようでしたね。

 

 

 




最終更新日時 2011.06.07 14:24:18
コメント(4) | コメントを書く

2011.05.21

水心子正秀の遺言  (4)

 

過去、このブログでもhttp://plaza.rakuten.co.jp/3jyakunosyuusui/diary/200606260000【名工の心意気】として/水心子正秀の事績について取り上げましたが、彼の著書を繰り返し読むうちなるほどと思える事が多いのに気がつく。本当のところは、読んでもすぐ忘れて再読して又気が付くということなのかもしれませんが・・・・・・

水心子正秀の研究書としては、川口渉氏の【水心子正秀全集】と黒江二郎氏の【水心子正秀とその一門】が詳しいが、その中で、現在の美術刀剣愛好家が気付かないような事で、大いに参考になることが在るのでそんなことを記して見たいと思う。

 

水心子正秀全集

 

人の評価は、在世中は好悪感情や評判等に惑わされ正当に評価されないことが多いが、後世になってその人の生き様事績を、残された著書や手紙などから客観的に見ると、その人の本当の姿が見えてくるのであります。鍛刀の研究に明け暮れ、多くの弟子を養い、自らは浜町の秋元藩中屋敷に寄宿し、無位無官のまま終生7人扶持に甘んじた水心子の一生は賞賛して尚余りある事績であろう。

彼は門人との問答のなかで古刀の焼刃に言及している部分がある。勿論実用に関しての事なのだが。

【古刀は全て焼刃にその意を用いし事、実に感ずるに余りあり。例えば直刃の剣なりとも、表裏に浅深あり。乱刃なればその意専らにして、ことごとく乱れ足表裏喰い違うなり。闘いを交え堅甲に当たる時は、刃深く冴えある太刀は折れることあり。故に表に深く乱れ込めば、裏は足置き地鉄となりて、刃紋に表裏大小浅深あって、地刃を交え焼くゆえ、この持合を持って折れさせじの心得なり。その意味をしらぬひとは片出来なりとて、嫌うは大いなる誤りなり。古人の心を用いしことを知らざるは、愚かなる事なりと言うべし。】

要するに、表裏刃紋が揃うことは実用に関して問題があると批判をしているわけですが、この様な事は最早今日の美術刀剣愛好家では全く気付かないことで、こんなことを思い出しながら愛刀を鑑賞するのも又一興と言えるのではないでしょうか。

 

 




最終更新日時 2011.05.22 10:54:07
コメント(4) | コメントを書く

2011.05.06

刀剣美術4月号鑑定所感  (10)

 

締切日も過ぎましたので刀剣美術4月号の私の鑑定所感を申し述べます。

 

長船近景

 

体配【身幅やや細く、元先の幅差開き、腰反り高く、先へも反り加わり】から、時代は鎌倉末期頃と推測しました。先へも反り加わりと言うところがみそですかね。

地鉄、地沸よく付き地景入り、地斑、乱れ映りと言うのですから、まず備前と言ったところでしょうか。

この期の備前と言えば長光一門と言うことになります。この押形のような特徴ある帽子を焼く刀工は2名が思い浮かびます。どちらも長光の弟子と伝えられていますが、出題された時には良く間違います。真長と近景ですが、両工共にいせぎ帽子と呼ばれて特徴ある帽子を焼いていますが、造られた時からこの様な帽子だったのかは、私は少し疑問に思っています。この押形の樋の状態からも、鋒を損傷して横手を下げられた様な形跡が見受けられます。真長、近景共に、本人の在銘正真作が少ない処から、たまたま残された刀が横手を下げられたものが多かったと言う事かとも考えています。造られた当時は横手まで直に焼いて、帽子に添って深く返っていたのではないかと思っています。

少し話が脱線しましたが、真長と近景の違いですが、中々に解り難いのですが、近景の方が角ばる刃が多く、刃紋が逆がかる気味があるように思います。両者の区別には、よく銘字が逆鏨を使用する事がヒントで書かれる事が多いのですが、今回はこの逆鏨に言及されていません。従がって【真長】ではないかと思いますが、刃紋の形からは近景により近いのではないかと考えてしまいます。

やはり今回も迷ったのですが、刃紋の出来から【長船近景】と入札しました。

前回は肥前国出羽守行広でした。

 

 




最終更新日時 2011.05.06 16:27:50
コメント(10) | コメントを書く

2011.04.17

茎の錆質  (5)

 

刀剣の真偽鑑識には刀身、銘の精査と共に茎の錆色も重要な要素であるが、その錆の状態や錆質については余り関心が払われていないのではないかと思っています。

平安、鎌倉時代の太刀の刀身は、研ぎ減って姿を変えても、製作されたままの状態で今に残るのは茎だけです。

鍔や拵え金具などは、出来上がったときには錆びつけを行なうが、刀剣の茎は特にさび付けなどは行なわず、出来たままの状態で自然の成り行きに任せるのである。従がって100年、200年、300年等、年代により自然に付いた錆色と、近代巧みにつけられた錆色とは、その【錆質】は自ずと異なっているのが当然と考えています。

何百年間自然に付いた錆色と、薬品などによって付けられた錆色は同じ様に見えても、その錆の質は異なっています。オークションなどでブツブツした錆の茎をよく見ますが、この様な物を俗に【焙(ほうじ)なかご】と呼んでいます。刀にも【焙じもの】と言う言葉がありますが、これは焼き直し物の意で、茎の場合もまがい物と言う様な意味で使われています。

いくら上手く錆色を似せていても、薬品での錆び付けの特徴は、どうしても錆が【粒錆】になるということです。いくら巧みに錆色を付けていても、錆を精査して細かい粒錆を発見すれば偽銘を疑う事が必要だと思います。

もう一つ錆の状態は、刀身の区下【錆際(さびぎわ)】のことを言わんとしています。

最近はこの錆際のことはあまり言われませんが、本来、真偽鑑定や研磨の良否には非常に重要視されていた箇所でもあります。

上段に書いた薬品を以って付けた不自然な錆は、この錆際に粒錆となって必ず現れるといわれています。又、昔の良き研師は、錆際には【錆は残すも研ぎ目は残すな】と言い伝え、掟として固く守ったそうですが、良き伝承は何時までも守り伝えていただきたいと思っています。通常は見えないところですが、最後まで手を抜かず丁寧な仕事をしろと言う事でしょうかね。

刀剣の鑑識に限らず、知識は、見たり聞いたり本を読んだり、更に人に教えられる事により身に付くものです。今回記載した錆質に付いても、はるか昔先達から教えられた事の一つですが、正しい知識は、現物と対比させる事により、より堅固に裏ずけとして証明される物と信じています。

 

 




最終更新日時 2011.04.17 07:59:11
コメント(5) | コメントを書く

2011.04.07

刀剣美術3月号鑑定所感

 

前回ブログを書いたのが3月11日の14時頃でした。それから間も無く、1000年に一度とも言われる大地震が発生し、地震に伴う大津波が来襲しました。刻々と報道される災禍は正視出来ないほどであり、夢であればとどれほど願ったか知れません。

震災以後そろそろ一ヶ月になろうとしていますが、未だに被害の全容は明らかでなく、新聞紙上やテレビの報道を見てはいたたまれない気持ちになっています。思いは募っても、微力の為募金に協力する事ぐらいしかできず、無力さを痛感しております。

この一ヶ月は何もする気が起きず、私自身沈んだ気持ちが拭えませんでしたが、そろそろ冬が過ぎ桜の春の季節になろうとしています。人を思いやる気持ちが強いのも日本人たる所以です。冬が過ぎれば春が来るように、沢山の人々の善意が実って復興されるように心から願っています。

それでは締切日も過ぎましたので、刀剣美術3月号の私の鑑定所感を申し述べます。

出羽大掾行広

体配から【元先の幅差余り開かず、反り輪反り高く、等々】新刀初期頃と推測しました。鉄色黒みがかるところから越前新刀かとも思いましたが、太刀銘と言うことで(太刀銘ならば国清だが刃紋が異なる)除外しました。

新刀初期で太刀銘と言うことなら肥前刀が思い浮かびます。鉄色黒みがかると言うのが気になったのですが、南蛮鉄を使用していれば黒みがかるらしいので無理はありません。帽子の返りもフクラに添った肥前帽子と思えます。

肥前刀ならば作者は誰かと言うことですが、茎の鑢目から本家ではありません。傍系と言えば 正広、行広、忠国 辺りだと思いますが、出来そのものは余り変化は無く刃紋だけでは個銘の極めは中々難しいと思います。しかし、肥前傍系の刀工は意識的に茎仕立てを変えたのではないかとも思われ、鑢、茎尻の仕立てで区別しているようです。

筋違の鑢、茎先栗尻と言えば、肥前国出羽大掾行広 が合致します。原爆雲のような刃紋、乱れの谷を直刃で繫ぐところなども行広の特徴と言えます。

従がって今回は【肥前国出羽大掾行広】と入札しました。

前回は南紀重国でした。

 

 

 




最終更新日時 2011.04.07 10:48:14
コメント(0) | コメントを書く

一覧

Powered By 楽天ブログは国内最大級の無料ブログサービスです。楽天・Infoseekと連動した豊富なコンテンツや簡単アフィリエイト機能、フォトアルバムも使えます。デザインも豊富・簡単カスタマイズが可能!

Copyright (c) 1997-2012 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.