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3-24 母の祈り

***24***

有芯は家に帰るなり、奥の部屋に一人でいた母親に向き合った。

「お袋。……この前、ここに来た……今行方不明になってる朝子先輩なんだけど。……妊娠してるんだ。それで……………その……腹の子の父親は、俺なんだ」

雨宮文子―――有芯の母は、息子から告げられた事実にさほど驚かない自分自身を不思議に思った。

「そう……」

文子の様子を見た有芯は、おそるおそる聞いた。

「……驚かない、んだな。激怒されるかと覚悟していたんだけど」

文子は心外だという風にため息をついた。「驚いているよ。……でも、少しそんな気がしていたから」

「え? ……嘘だろ?!」

文子は苦笑した。「あんた達がそういう関係だってことは、何となくだけど」

有芯は言葉を失った。が、すぐに必死になって訴えた。

「ごめん、でも俺、本当にあの人が好きなんだ。あいつは俺の子供を守るために行方不明になった。俺は朝子と……子供を取り戻しに行く。でないと、あいつが必死に守ってる赤ん坊が殺されてしまう」

「有芯」

文子は煙草を取り出すと火をつけ、一服すると静かに言った。

「あんたは法を犯すようなことをしたんだよ」

有芯は絶句した。

「朝子さんはもう決まった男性の奥さんなの。それを……」

有芯は両手で頭を抱え、ため息をついた。「俺だって悩んだよ! あいつは子供を大事にしているから、絶対に離婚はしないって。だから」

「じゃあ、一線を超えるべきじゃなかったわよね」

有芯はまた何も言えなくなり、固まった。

「そりゃあ、あんたが悪いよ、有芯。まったく……泣いてたんだよ、あの子」

「朝子がか?! ……お袋、やっぱり朝子と話したんだな」

「ええ、まぁ」文子は不思議そうな顔をして有芯を見た。「やっぱり、というのはどういうこと?」

「あいつに何を話した?! あいつは何を言ったんだ?!」

「何って…………あんたが、昔孤児院にいたって言ったわ」

「やっぱり……」

文子は深い溜め息をついた。「で、あんたに紹介できそうないい女の子を知らないか聞いたら、ぽろぽろ泣いちゃったのよ」

「そりゃ、あいつなら泣くな」有芯は溜め息をつきながら後ろ頭を握り締めた。「お袋、朝子泣かすなよ」

「そう言われても、私は何も知らないんだもの。生意気な口聞くんじゃないよ、あの子泣かしてるのはあんただよ」

そう言うと、文子は煙草を一服しそっぽを向いてしまった。有芯は、文子が煙草を吸う姿を久しぶりに見るなぁと思いながら、俯いた。

「……お袋の言うとおりだな」

有芯の発言に、文子は驚いて息子の顔を見た。

「朝子が俺を好きでいてくれてるって分かって、俺……あいつは、拒絶したのに…………」

頭を抱えたまま、涙声を隠そうともしない息子の姿に、文子はため息をついた。

「まったく。あんたがあんたなら、朝子さんも朝子さんよ。何かを得ようと思ったら、何か無くさなきゃならない時もある。何もかも手にしようなんて思ったら、うまくいくはずないのよ」

「お袋」有芯は涙目で文子を睨んだ。「朝子を悪く言うな。あいつの……せいじゃない」

文子はまた長いため息をつくと、煙草をもみ消した。

「やれやれ、『恋は盲目』とはよく言ったものだよ。周りが全然見えてないんだから。あ~あ~、あんたを見てるとね、思い出すよ。若い時のお父さんをさ」

そう言って、文子は家の奥にある遺影を見つめた。大柄な割に繊細な性格だった父親は、満面の笑みを称えた写真の姿でそこにいる。

何も言えないでいる有芯に、文子は亡き夫の笑顔を見つめたまま言った。

「有芯、失ってからでは遅いの。人間いつ死ぬかも分からないのよ。だから後悔のないように……自分の気持ちに、嘘だけはつかないで」

有芯は何とか言葉を振り絞った。「………お袋」

「行きな。行かなきゃ一生後悔するよ! 私が生きているうちにちゃんと孫の顔見せてくれなきゃ、毎晩化けて出るからねっ!!」

有芯はそう怒鳴る母に向かって頷くと、立ち上がり部屋を後にしようとして、文子を振り返り、言った。

「……サンキュ、お袋」

出て行く有芯の後ろ姿を見送ると、文子は苦笑し呟いた。

「ヤダね、まだ涙が残ってたなんて」

目に滲み溢れてきた涙を拭い、文子は口元に軽い笑みを浮かべた。

それでいいんだよ、有芯……あの子はあんたを深く愛してくれている。だから……きっと大丈夫……。

文子は祈った。

息子がこれから作ろうとしている新しい家族の無事を、強く。




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