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私の給湯室『きまぐれ』

私の給湯室『きまぐれ』

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ookinakurino30

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ニューストピックス

2009年12月31日
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ブログの方も書き納め。

2009年は振り返ってみると
ミラクルの年だった!の一言。

いつもやらないような行動をとり(大会に出場するとか、旅行とか)
そこからいろんな事が・・・・

今年、
いろんな事が『報われた』
そんな年だったなとつくづく思います。

次郎について
取材もたくさん受けました。
「何故落語を始めたのか?」
必ず受けるその質問。
それに答える度に
あの時の事を思いかえしました。

‘やっと想い出になった・・’
そう思いながら当時の話を初めても
やっぱり
母も、私も、あの時の事を話すと
どうしても涙が溢れてしまうのでした。

ただし、取材での涙は
事故当時のように
ただただ‘辛い’‘どうしたらいい’という
不安感と絶望感に満ちていたあんな悲しいだけの涙ではなくて、
‘ここまできた’‘これからもがんばろう’
そんな未来へ繋ぐチカラ強い涙が80%占めていた・・・そんな気がしています。

私は、事故当時の
あの重く苦しい時間を今でも忘れることはありません。
(【事故当時の日記】参照)


当時、
「こんな身体になるなら助からなければ良かった」と
その言葉を父から聞いた時
私達はショックでした。

何にも手につかないくらい
家事を放棄してしまうほどショックでした。

私の異変に気付いた太郎。
当時、1年生だった太郎。
「ママ、どうしたの?」と声を掛けたのでした。

私は、太郎と次郎に、
おじいちゃんが死にたいと思っているらしいと言いました。
言ったというより、グチった・・・というのが正解だったかもしれません。

子どもは純粋です。真っ直ぐな答えを言ってくれました。
「死んだほうがいいなんてあるわけないよ!」
怒った顔で二人は言いました。

でも、首から下が動かないって辛いよね・・・
そう言う私に二人はあっけらかんと
「みんなでがんばればなんとかなるって!笑っていこうよ!」

4歳と6歳に‘なんとかなるって!’と励まされた32歳。

この話し合いから一ヵ月後
次郎が‘落語’と出会いました。
その4日後、
太郎も‘落語’と出会いました。

そして
その‘出会い’が
私を暗いトンネルから出してくれました。

そしてさらに
父や母に「前を向こう」という方向に導かせたのでした。


「あの時助かって良かった」
「生きていて良かった」
いつか父にそう思わせてあげたい!!

あの時のこの決意を
今年、
二人が叶えてくれました。

父は取材で
「こんな身体になっても、孫がいろんな景色を見せてくれる。
 生きていて良かった。
 孫の才能を開花させるきっかけになったのなら
 あの事故も何か意味があったものなのかもしれません。」
と笑って答える父を見ていると
目頭が熱くなりました。
嬉しかったんです。とても。

私のチカラでは
なかなかできなかった事を
息子が
落語が
叶えてくれました。

私も
「これまで色々あったけど
 やっぱ生きてきて良かったなぁ!」
そう強く感じた一年でした。

本当に感謝!感謝!感謝!感謝!の一年でした。
本当に
ありがとうございました!

では
皆様もどうぞよいお年をお迎え下さい。





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最終更新日  2009年12月31日 19時34分49秒



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