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◆里見 義堯
永正四年(1507年)~天正二年(1574年) ------------------------------------------------------------------------ 戦国時代安房(千葉県)の国の大名。里見実堯の嫡男。母は、佐久間盛氏の娘。室は、万喜少弼【土岐為頼】の女。名は、権七郎。息子は、義弘。稲村城主、久留里城主。 永正十五年(1518年)本家の【里見 義通】が危篤になった際、嫡男・義豊はすでに元服しており、代理を務めていた。そこで、改めて家督を継ぎ稲村城に入城することになったため、もともと、里見家の庶流であった義堯は、父【里見 実堯】に従い上総(千葉県北部)金谷城に入ります。 当時は三浦半島の三浦氏を倒し関東に着々と基盤を築きつつある北条家の当主【北条 氏綱】が、関東に侵攻しているときでした。また、安房・上総においても正木氏、酒井氏、土岐氏などの豪族が割拠し互いにしのぎを削る戦いを繰り広げていました。義堯も割拠する豪族の一つに過ぎませんでした。 しかし、上総侵攻を目論む氏綱は、最大の障壁である義豊を排除するために、実堯や水軍を掌握する【正木 通綱】に接近し義豊を除くように、調略を仕掛けるようになります。このような動きを見た義豊や正木水軍の台頭を快く思わない重臣たちが、小弓公方【足利 義明】の了承の元、天文二年(1533年)、実堯・通綱を呼びよせ誅殺した。 【編集後記】 最近ふと気が付くと少しづつですが、トラックバックをしていただける機会が増えてきました。戦国関係の内容でしていただけるので、ああ~戦国好きの方は多いのだなあ!と感動しながら、ブログを書いております。 それにしても、戦国は奥がふかいですね! 【本日のおススメ】 上杉謙信の旗印として有名な、乱れ懸かり龍&毘の文字をプリントしたTシャツです。ちょっぴり、クールな今年風なデザインで人気急上昇中!!これからTシャツシーズンですから、どんどん着て下さい!人気急上昇のアイテムですよ! ![]() 気になる方も、気にならない方も、画像をクリック!! ランキングに参加しております!クリックしていただくと、順位が上がり励みになりますのでぜひ、押してください!よろしくお願いします!
最終更新日
2007年06月13日 01時17分52秒
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