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■『禁じられた江戸風俗』塩見鮮一郎 2009年発行
ジャンル名:歴史・地理・地図 昨日の谷中の戸野広劇場で三遊亭好太郎の「好太郎の八月のうたたね」は良かった。庄崎隆志さんの仲入後の手の詩人も冒頭、この劇場空間の広がりをまさに想定しての客席を巻き込んでの芸は見ているものが見られることで笑える、笑いのブラックホールだった。 そして好太郎師匠の「お菊の皿」。美人の幽霊みたさに集まる物好きな江戸っ子。一斉に駆けて逃げるシーンは江戸っ子に(そして師匠に)シンパシーを覚える。 物好きが高じて興行のようになってしまうシーン。そこで本書を読んでみた。 天保時代の事細かな禁令風俗。商い、料理・菓子、遊女、…女髪結、下駄・雪駄、寄せ、女浄瑠璃、花火、浮世絵、刺青、…著者は為政者にとってどのような風俗風習がいかがわしく見えたのかを知り、そう言う中にあっても江戸の市井でもてはやされた習俗、芸事、神事を調べることを目指したい、とあった。 隠密廻りの上申書、富士講は素人なのに護摩の火を焚き、病人の祈祷をする、往来が混雑して迷惑。女浄瑠璃は、参勤交代で出てきた勤番侍が集まってきて女に通い詰めたりする。これまでのお触れを無視して、風儀よろしからず、と。定廻の上申書でも、女髪結の仕事を改革では禁じ自分で結うようにさとしたが、櫛道具を隠し持ち、注意をするとお互いに結いっこするのだとごまかす。北町奉行の遠山金四郎の水野忠邦に提出の文も、女浄瑠璃や髪結いに容赦しない。 著者は金さんに、飢饉のあおりで困窮した女たちの暮らしは眼中にない、と手厳しい(芝居町の浅草待乳山への移転について遠山金四郎が反対したことには、その心情を著者も察してられる)。 いずれにせよ、本書では、どんな上申書でも女髪結いなどが真っ先にやり玉になることへの疑問、旗本と町人とに対するお触れの違い、そしてこれらの上申書が「同時代の市民こそ、何が書いてあるのか知りたかっただろうが、とうてい見ることのできない代物だ。それが後世、あっけらかんと活字になって、だれでも手にとれる」との主張が繰り返され、著者の一貫した町民への温かいまなざしが手に取るようである。 (854字) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月29日 17時41分09秒
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