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■『猫の客』平出隆 2009年発行
ジャンル名:小説 913.6 谷中から御殿坂を下り、日暮里駅の跨線橋を渡って、東側の駅前ロータリーへと出、そこから線路沿いの道を歩いて羽二重団子を通り過ぎるとまもなく明治27年より正岡子規が移り住んだ家で、その後に再建保存された子規庵がある。私もまだ日暮里に駄菓子問屋街があった頃に、「萬緑」同人で車イス作家の花田春兆さんや地域雑誌「谷根千」の方と子規庵を訪ねたりもしたが、その後も様々な企画がなされていて楽しい。 現在は、「少年エディター子規」という特別展示をやっていて、私も子規庵の9月を堪能した。ウズラがお出迎えしてくれていた。。 その特別展示の監修者の一人が本書の著者だ。詩人である著者の小説。 小説は著者夫婦の名づけた「稲妻小路」から始まる。ちなみにわが町、谷中の初音小路の飲み屋街にはその先に路地があって、猫も出没するが、こちらは新宿から私鉄の急行の止まらない駅のこと。著者夫婦は練塀と板塀に囲われた広い敷地内の離れに住む(母屋には大家の老夫婦が住む)という設定。「そこ」からさらに右にちょっと鋭角に折れると巨きな欅(ケヤキ)の繁る家にすぐさまぶつかり、また左に鋭角に折れる。この折れ方が稲妻の図柄に似ていることから稲妻小路と名付けた。その小路に仔猫が紛れ込み、欅の家の5歳の男の子がその猫を飼う。著者は書く「東隣といっても、稲妻の曲折の分だけずれているので、出入りで顔をあわせる機会はなかった」。 オドロクベキコトにこれが舞台設定だなんてこの時には気づかない/気づかせない。仔猫は隣の家から鈴音を立てて離れの小庭に現れる。いつしかチビと呼ばれ、球遊びを好み、部屋のソファで眠っても、チビは滅多に啼くことがない。著者夫婦も「自分の家の猫というわけではなかった」と小説の中で何度も互いに言い聞かす。この一線を、この境を、シャンシャンと鈴音と共に、「稲妻小路の二つ目の角のあたりで、隣の玄関を出てきたチビが、敷地の境の金網の破れを、跳ねて抜け」てやってくる。あるいは、チビ以外は通れない掃き出し窓の七センチの隙から「チビの連れてくる流れだけが入ってきた」。流れだけが。 途中、マキャベリの運命論が小説を遡らせる。「ニッコロ・マキアヴェッリは、運命とは人生半分強の支配力をもつものであり、残り半分弱はそれに対抗しようとする、人間の力量であると考えたそうだ。彼は運命というものを気まぐれで移り気なところをもつ女神か、いつ氾濫するか知れぬ川のようにも想像したらしい」。そこからチビへ。「生きものにとって、ある道の角を曲がったり、ある戸の隙間から中へ入ったりという動きには、もともと小さな川をつくり出すような性質が与えられているのではないだろうか」。チビ、稲妻小路の折れ方、川の曲がり。。。 私はいつか何かで読んだホートンの法則を思い出した。 …自然界において「河川や樹木などの幹線から分かれる分岐は、おおよそ4本」というもの。これは、1945年にアメリカの水文学者、ホートン (Robert E. Horton) が提唱。…この法則は自然界だけではなく、樹木の枝振りや、人間の血管や神経の分かれ方にも当てはまるとされ、流れるものが分岐する場合には、4分割するのが最も効率的であるという考えが普及する。(「ウィキペディア」より) あるいは、このブログで以前書いた(キネマの約束は1/2)、現実が運命とのせめぎ合いで半分半分の繋ぎ合わせでしかないこと。そこを稲妻小路よろしく辿っていくしかないこと。 運命論は小説を跳び越えて、後半、画家の絵に吐き出される。 三月。画家の個展に行くため、稲妻状の角を折れた時に著者は、隣家との境の、板塀の隙を防ごうと張られた金網の破れを、するりと飛び抜けるチビを見た。着地するところ、濡れ縁に上がるところ、掃き出し窓をくぐるところ、を見た。「境界を越える姿を、そんな横合いから見たことはなかった。自分の家に来ようとしている姿を、真後ろから見るのもはじめてだった」。 ここから先はもう語るまい。 一九九〇年三月。世間はまだはっきりそれがバブルが崩壊したせいなどと言葉にならなかった時代。 稲妻は光り、その「わずかの間」、を以て、ゴロゴロ…と地鳴りのような大音響が世を、そして読者を驚かせることになったのだ。 (1,735字) (日暮里夕やけだんだんの猫) ※本書はバブルに浮かれる1987年頃から1990年にかけての時代背景をもっていて、本書の中に出てくる「二冊の書き下ろしの仕事に追われ」たうちの一冊(と思われる)『白球礼讃-ベースボールよ永遠に』はお薦めだ。「天職野球への道」、そして「クーパーズタウン殿堂攻略記」の章。ああ、もう本書と『白球礼讃』でこの時代が語りつくせてしまうのではないか(「最後のシャドウ・ベースボール」の章で本書とも丁合されている)。 ※ちなみに私と共同生活をしていた長崎盲学校のOB連が閏人(うるうと)という盲人野球チームを作っている。閏人という名前をつけたのは私なのだが、一度も試合に出させてもらった記憶はない(笑)ヘタだから当たり前か。その閏人のメジャーリーグファンのヒロ君にもぜひ「白球礼讃」は概要を伝えたいと思った。 ※著者のvia wwalnutsの試みは、また本と郵便の境界線を稲妻のように捕えて放します。私は「門司ン子版 ボール遊びの詩学」を千駄木の往来堂さんで捕捉。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年09月12日 17時21分41秒
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