これは腑に落ちた、
落ちこぼれの時代
2010年3月16日 朝日新聞
シリコンバレーのジョークの一つに、「この街で成功するためには大学を中途退学するに如(し)くはない」というのがある。言われてみればなるほど、ゲイツといいヤンといいシリコンバレーの英雄の多くが大学中退である。
かつて、スタンフォード大学の昼食会において同僚の一人が「とうとうヤンも追い出されるな」と語った時、「学業不振でヤンを追い出すスタンフォードが立派か、大学を飛び出してでも世界を動かすヤンが立派か、難しいところだな」と言ってひんしゅくを買ったものだが、この思いは今も強く残っている。
ではなぜ「落第生」なのかを考える前に、「秀才」とは何かを考えてみよう。
一言でいえば秀才とは有名な大学を出た人ということになろうが、そのためには幼くして塾に通い、選ばれた中学、高校に入学して大いに勉強に励まなくてはならぬ。
さてその勉強の中身だが、有名大学に入るには試験に合格する必要がある。試験ではある限られた短い時間のなかで問題を解かないといけない。そのためには問題を見た途端に解法がひらめかないとだめだ。
小さい時からの勉強はひとえにその解法のパターンを即座に認識するためのもので、頭の中により多くのパターンを詰め込んだ者が有名大学に合格し、秀才ということになる。
一方、起業というのは文字通り前人未到のことをやろうというのであって、その大小を問わず、パターンのない未来への挑戦なのである。
過去のパターンでいっぱいになった頭より既成のものに捕らわれない頭脳が向いているのであろう。
かくして、落ちこぼれの出番となる。
そういえば、松下幸之助は小学校中退であった。(可軒)
最後のフレーズ、
起業とは、既成のものに捕らわれない頭脳が向いている。
Amenだな、
考えてみれば、
パターンがない未知不明の連続の人生に、
パターンを当てはめて進もうとするから、おかしくなる、
「考えるな、感じろ!」はここでも至言だ、
このブログのタイトル、
Walk in the Spiritだって、似たようなもんだし、
(参考)
To “walk in the Spirit” is to follow the Spirit’s leading. It is essentially to “walk with” the Spirit, allowing Him to guide your steps and conform your mind.
(内なるスピリットに導かれて進むこと、あるいは共に歩むこと、)
もろ、感性の世界、
もう20年以上前だが、
LA/VineyardにWord of Knowledgeのセミナーに行き、
最初に来る印象を捉える訓練をした、
わずか0.5秒から1秒の瞬間の世界のできごとに、
かなり戸惑った経験がある、
最初は、チンプンカンプンだった、
しかし、年月が過ぎ、
その0.5秒は、今では0.5秒ではない、
はっきりと、拡大する癖がついてきたおかげで、
感覚が研ぎ澄まされてきた感がある、
*以降、(一つの訓練で、)
人前のスピーチでは、原稿を作らないようにしている、
原稿を用意すると、その場で必要なことが消えてしまうからだ、
(最初は、恐怖との戦いだが、ポイントはfaith、
必ず、必要な言葉はやってくる、と、)
混迷を深める時代だからこそ、
この時代、
瞬間の思いや、印象を感じ、
解釈する感性が求められていると思う、
そして、それは、取りも直さず、
NK225先物、この社会、又、さまざまな分野の、
切り札でもある、と思うのだが、