昨夜読んだ、聖テレサに学ぶ、想像的示現のここが、
一五五九年、スペイン宗教審問官は、そのころ台頭し始めていた照明説[イルミニズム]を抑えるため、スペイン語で書かれた霊的著書の大部分を読むことを禁じることに決定した。この過激なやりかたは聖テレジアを深く悲しませ、聖女はそれを、やさしく主に訴えた。
「カスチリヤ語で書かれた多くの本を読むことが禁じら れましたとき、私はたいへん悲しゅうございました。なぜなら、そのうちのいくつかは私のためによい気晴らしになっておりましたが、許しのある本はみなラテ ン語のものばかりで、私はもう読むことができませんでしたから。
みあるじは『このことを悲しんではならない。私は生きた本をおまえに与えよう』とおっしゃいました。そのとき私は、なぜこういうことが自分に言われたのかわかりませんでした。まだ示現のお恵みをいただいておりませんでしたから」(伝26・5)。
このときから聖女に、キリストの人性のヴィジョン(示現)が始まる。初めは知的な示現で、目には何も見えない。けれども……と聖女は書いた。
「イエズスは私のすぐそばにおられ、お語りになるのは彼であることがわかったように思われました。……いつもイエズスが私のそばについて歩んでおられるように思われましたが、どういうお姿かはわかりませんでした」(伝27・2)。
「何日も、そして、時には一年以上も」(城、住6。 8・3)続く主のこの現存は五官では捕らえられないが、「五官によるより、はるかに大きな確かさで」(同上)心にはっきりと、確実に感じとられ、「たまらないほどの恥ずかしさと謙そん、神についての特別な認識、いと高きおん者に対するこよなくやさしい愛を生じさせ、少しも気を散らすことなく、いつも注意して、絶えず心を目覚めさせておく」(同上)のである。
その次に、想像的示現が起こる。それはい’な’ず’ま’のように一瞬で消え去るものであるが、栄光のキリストの、えもいわれぬ美しいみ姿が脳裡に刻みつけられ、聖女は、それが消え去ることは不可能であると考えている。
「知的な示現は、たしかにもっと高いものですが、この示現(想像的示現)のほうが、私たちの弱さにはもっとふさわしいという利益があります。それは記憶にたいへん助けになりますから」(伝28・9)とかの女は記した。
一晩中、頭の中を行き巡っていた、
特にここ、
みあるじは『このことを悲しんではならない。私は生きた本をおまえに与えよう』とおっしゃいました。
「知的な示現は、たしかにもっと高いものですが、この示現(想像的示現)のほうが、私たちの弱さにはもっとふさわしいという利益があります。」
冒頭に、”スペイン異端審問”のフレーズが出てきたのも、
印象的で、
先日Upした、
異端審問の舞台、サンタマリアデルマーレ教会の黒頭巾の男たち
がまた蘇ってきて、
キリスト教徒の迫害をもくろむ、ユダヤ人マラーノ(偽キリスト教徒)が仕組んだ宗教裁判で、当時、ヨーロッパは多くの血が流されていた、
こと、スペインは、異端審問で、カトリック信者の大量の虐殺処刑がなされた、
上の記述をリアルにしてくれた、
続)聖テレサに学ぶ、キリストで完結しているで、
感動のあまり、自分で、ピックアップして、
壁に貼った聖句を下記に示す、
(十字架の聖ヨハネ)
あなたの目をただイエスに注げ。
そうすれば、そこに、イエスのうちに隠されている、
最も深い神秘、上知の宝、神のふしぎを見いだすであろう。
ヨハネ17:3
永遠の命とは、
唯一のまことの神であられるあなたと、
あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
ヘブル1:1-2
神は、かつて預言者たちによって、
多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、
この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。
ピリピ3:8
そればかりか、
わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、
今では他の一切を損失とみています。
ヘブル12:2
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
ひとえにイエス、
”イエスから目を離さない”、であるが、
昔、読んだときと、今では、
その重みと言うか、腑に落ちるその落ち方と言うか、
理解がまるで異なる、