悲劇の日本シリーズ 1964年
オリンピック嫌いになりそう2代目タイガース非公式サイトです 突然でごめん これは先代が書き溜めていた下書きの中から発見した記事 2011年の4月に書いてんのよね 公開しないまま10年以上たってる なにかためらうことがあったのかな? それとも2回目の東京オリンピックがあったときに公開しようと思ってて忘れてたのかな? タイミングは変なんだけど、せっかく見つけたから公開してあげよう 先代怒るかな? 悲劇の日本シリーズ1964 大洋ホエールズ(現DeNA)とのし烈なデッドヒートの末、タイガースがセ・リーグを制したのが9月30日。甲子園での中日とのダブルヘッダー第1試合に12-3と大勝してのことだった。その24時間後、タイガースナインは休む間もなく、同じ甲子園で南海ホークス相手に日本シリーズを戦っていた。 レギュラーシーズン翌日からの日本シリーズ 雑誌発売は間に合ったのか? とんでもない強行日程はシリーズ史上初のナイターとなった。南海・スタンカ、阪神・村山実の両エースの投げ合いは、スタンカの3安打完封で南海が先勝。スタンカの出来もさることながら、阪神は主力選手の「優勝後のけが」が最大の敗因だった。 胴上げの周りにはファンが押し寄せて何が何だかもみくちゃ リーグ優勝決定の瞬間、甲子園のタイガースファン約2000人がグラウンドになだれ込んだ。選手に抱きつき、握手を求めて手を引っ張る...。外野を守っていた山内和弘、藤井栄治はベンチにすら戻れない。 山内は「ファンに左腕を引っ張られて、ヒジが痛くてしょうがない」。「左ひざを捻ってしまった。腰も痛い」とは藤井。他の選手も大なり小なり、擦り傷、切り傷など被害を受けた。 3番と5番の山内、藤井は前夜の中日戦で2人合わせて、4安打4打点も、傷だらけの体で第1戦のスタンカに挑み7打数0安打に終わった。 はしゃぎすぎたファンも疲れていた。30日のリーグ優勝決定の日、中日戦の観衆は3万3000人。ところが、晴れの日本シリーズ第1戦のはなんと1万9904人と2万人を割った。阪神と大洋のいずれが優勝するのか最終戦まで分からず、前売り券の販売ができなかったことも影響したが、当日券売り場に朝から並んだのは、わずか100人。 本当にガラガラのスタンド 「これじゃ、秋のオープン戦と変わらん。気合いが入らん」と気が抜けてしまったのは阪神・吉田義男遊撃手。集中力を欠いたのか、吉田は阪神唯一のチャンスとなった6回一死一、二塁で併殺打。5回には2点目のきっかけとなる失策も記録している。 10月1日は東海道新幹線が開通した日でもあり、東京オリンピック開幕が目前に迫っていた。開会式が始まる10月10日までに全日程を終える目的で、3月20日からスタートしたセ・リーグのペナントレース(阪神は21日に開幕戦)だったが、雨にたたられ結局第7戦が行われたのが、どうしても避けたかった10月10日だった。 3勝3敗での最後の決戦の観衆は1万5172人。アジア初の五輪という大イベントに日本シリーズは"大敗"。おまけに甲子園でスタンカに計3試合完封されたタイガースは以後21年間、勝利の女神に見放され続けた。 南海にとっても後から見れば最後の日本一となったが、国家的イベントのオリンピックの前に、マスコミは試合結果を簡単に伝える程度の寂しい扱いだった。 なんのこっちゃ 大阪球場のほうがようけ入っとるやないかい タイガースファンは五輪のほうが大事やったんか?笑うでホンマ追記 以上が当時の原稿なのね なんでそのころ書いたのか聞いてみたんだけど すっかり忘れてたって やっぱり覚えてなかったんだ しいて言うなら この年は真弓監督の3年目で マートン ブラゼル メッセンジャー スタンリッジと外国人に恵まれてたし 鳥谷 平野 新井貴 金本 さらに城島も入って打線が充実して前の年に2位になってる それでこのシーズン開幕のころはセリーグの優勝候補と言われてたのね 2009年の真弓監督1年目には道頓堀で行方不明だったカーネルサンダースも見つかって呪いもとけてた それで「材料はそろった 日本シリーズいけるっておもって書いたのかもしれん」だって でも結果は 統一球の影響をモロに受けて主力打者がそろって成績がガタ落ち 4位で終わってるの たぶんそれで原稿は忘れてしまって没になってたんだろって ふ~ん