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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年02月15日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 ネットサーフィン(死語?)していて、以前紹介した明治天皇替え玉説に関係した写真を、ある興味深いサイトでみつけたので、以下に掲載します。

 ☆  ☆  ☆

 南北朝秘史
 http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/290.html

 即位当初の少年京都明治天皇
 img20120701001226320.jpg

 ☆  ☆  ☆

 この写真と、大室明治天皇替え玉説の根拠となっている、以下の有名なフルベッキ写真を比較する。

1352540542.jpg

furubekki-2ab47.png

 上の即位当時の写真の画像と、フルベッキ写真の画像を比較すると、即位当時の写真の明治天皇なる人物の周囲の人物のなかに、西郷と大久保を特定できる。

 即位当時の写真の明治天皇(前列中央)の後列左隣にいる人物が、フルベッキ写真で西郷とされる人物で、後列右端にいる人物が、フルベッキ写真で大久保とされる人物であることがわかる。

 しかし、他の周囲の人物は、画像解析を必要とするだろう。私の独断と偏見から、見比べると、即位写真の後列右隣の人物が、フルベッキ写真で西郷従道とされる人物のようにみえ、また、後列左端の人物は、フルベッキ写真で、後藤象二郎?とされる人物のようにみえるが、雰囲気は、山岡鉄舟のようでもある。しかし、山岡は幕臣なので、あり得ない。

 更に、前列の明治天皇の左隣が、横井小楠とされる人物のようにみえ、左端が、岩倉具視とされる人物のようにみえ、前列右側は写真がぼやけていて、残念ながらわからない。岩倉は、王政復古のキーマンで、横井小楠は、吉田松陰から革命思想を受け継ぐ人物で、後は、薩長土肥から考えると、長州か、肥前で、桂か? 大隈? 雰囲気では、前列右隣は高杉晋作のような感じだが、死んでいるのであり得ないし、前列右端は、勝海舟のような感じもするが、幕臣なので、あり得ない。 

 残念ながら、前列の右側が、私には判別できないが、明治天皇と、フルベッキ写真の中央の大室寅之助とされる人物が同じならば、写真が残っている少年京都明治天皇の替え玉なので、いずれ明らかになるのではなかろうか。

 興味深いのは、この2つの画像から、西郷の顔が、俗に世間に出回っているのとは、全く違うことに気づかされる点で、逆に、大久保の顔は、世間に出回っているのと、ほぼ同じであるところである。

 そこで大久保の顔を比較してみる。

 大久保の写真は、以下の2つが有名である。

 0005_l.jpg
 00078_l.jpg 

 見比べると、有名な写真とは目の大きさが異なるが、概ね頭蓋骨の特徴は同じにみえる。特にエラが張ったところなどは、共通している。即位写真もフルベッキ写真も、皆が目を細めてとっているので、露光のために、非常に明るい場所でとったためか、眩しかったのだろう。有名な坂本龍馬の写真も、目を細めてとっている。

 問題は、西郷の写真で、有名なものは以下のだが、これは、弟従道と甥大山巌の顔から創作したものだといわれている。

 GY12-2.jpg

 西郷の写真は残っていないとされているが、西郷の影武者をつとめたとされる、永山弥一郎の写真から、西郷が割り出されていて、以下のサイトが、そのことを掲載しているので、画像を掲載し紹介する。

 ☆  ☆  ☆ 

 西郷隆盛の写真
 http://ameblo.jp/tom-3390-id/entry-11255364370.html

 右端が、永山、中央後ろが西郷とされている。 
 t02200293_0240032011982524425.jpg

 ☆  ☆  ☆

 この中央の人物と、即位写真やフルベッキ写真の西郷らしき人物と比べても、ほとんど一致しない。また、有名な西郷の写真とも、全く一致しない。どちらかといえば、永山の顔に近い感じがする。この中央の人物は、西郷というより、以下の桐野利明(中村半次郎)に近い。

 200px-Toshiaki_Kirino_2.jpg

 当然ながら、西郷は、影武者を務めていた永山の顔に近いはずだから、以下の永山の写真と比べてみる。

 00103_l.jpg

 00103_thm.jpg

 即位写真やフルベッキ写真の西郷らしき人物は、永山よりもエラが極度に張っているが、次の永山の画像は、有名な西郷の写真とも雰囲気が似ている気がしなくもない。

 nagayama.jpg

 というわけで、西郷の人物像は謎のままだが、永山の顔に近いことは確かだろう。また即位写真で気づくことは、長州の人物が見受けられないことである。王政復古が、薩摩主導で行われたことを伺わせる。だから、明治天皇も替え玉なのを知っていたのだろう。実際、西郷は、明治天皇があまりにも女遊びが酷いので、元に戻しますぞと、戒めた話もある。

 また、上述に紹介した「南北朝秘史」のサイトによると、明治天皇即位後も、南北朝の争乱は、政局のなかで続いているようである。誠に嘆かわしいことである。

 有名な上野の西郷像は、従道と大山巌の顔から生まれたそうだが、なぜ永山の写真を使わなかったのか、の疑問も残る。西郷は、銅像になるのを嫌って写真をとらなかった、という逸話もあるが、それを破って銅像をつくるのも疑問で、また西郷の妻は、できた像をみて、「似ていない」といったそうだが、明治政府に利用される西郷像に対しての抵抗なのかもしれない。

 俗にいわれる征韓論は、南北朝の政争だったのかもしれない。





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Last updated  2013年02月19日 13時31分51秒
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