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光る鱗 ~大切なこと~
この大切なこと 私の大切があなたには大切だろうか まだ見えない あなたの大切がわたしにも大切だろうか まだ知らない
同じものを目に写しても その中に何を見るかは心のまま
ならば大切を伝えよう 同じ大切を見るとき わたしたちの目は同じように開かれ わたしたちは同じように大笑いするだろう
大切のありかを語りあうとき こんこんと湧きでることば やがて作りだされた湧水の中に浮かびあがる明るいもの
理解の先に生まれる湖には 確かに温度をもつ魚が住むようになるだろう 光る鱗が泳ぐうちは この大切はなくならない あなたかわたしのどちらかが いつかいなくなったとしても
この大切なこと 私の大切があなたには大切だろうか まだ見えない あなたの大切がわたしにも大切だろうか まだ知らない
整形外科を受診してきた。ボツリヌス菌の注射からまだ2カ月のですが、背中がつかないくらい緊張が強まって、ほとんど腰から90度反りかえるのを戻せなくなっていました。 ![]()
日食の瞬間。みなさん見ましたか。 私は父のケータイで見ることができました。 もう、次の日食を見ることはできないというので、特別な瞬間を見られて得した気持ちです。 なのですが、同時に、すぐに流れ出した日常の瞬間にも愛おしさを感じる。 刻々と地球や宇宙が動いていていることを改めて形にしてみることができたことが、教えたかったのは、そういうことかな。 ある日、いきなり、太陽が暗くなったら、昔の人はとても恐ろしかっただろうという話を聞いてみると、一つ一つのことが解明されて、理解することが、同じものを見た私たちには「美しい」と感じさせることにもなる。 世界には知らないことの方が多いのだけれど、一つを知り、一つを理解することの素晴らしさが私たちを支えているのだとも思う。 全部を知りたく、全部を手に入れたいと思ううちは、自分の無力にがっかりもするけれど、自分の時間を使って何かひとつがわかり、何か一つを誰かに手渡すことができたら、それは大きな宇宙が動かしている巨大な時計の針を進めるひと巻きになれたと思えるのでしょう。 その充実感や満足感は、無限に大きいのだろう。最後にそんなふうに思えるように、今日の日常も大切にしたいと思いました。特別な瞬間も、普通の瞬間も。というか、全部、特別なのですね。きっと。 あたりが少しずつ明るくなってきました。
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ここしばらくいろいろなことを考えすぎては、くたびれて緊張する、というもやもやが晴れない日が続いていました。 そこへ!朝一番で宮崎県から小林中学校のみんなからのお便りが届きました。 朝の支度でいつもはバタバタするのですが、どよ~んといしていた家の中に舞い込んだうれしい言葉の数々。すぐに母に読んでもらった。 道徳の授業をしてくださった先生を始め、3年生38人のお手紙でした。 うれしかった~。 まずは、名前にびっくり。宮城県では聞いたことがないような苗字(音)や漢字(これは解説してもらって)に、へ~、とか、ほお~、とか一段落して、本文が始まる。 この人はどんな人かな、と想像しながら聞いている。スポーツが得意そうだな、とか、友達とおしゃれの話をするのが大好きな、と考えていると、教室の景色も浮かんでくるようです。 一人ひとり、真剣に詩を味わってくれたことが伝わるとてもいい感想ばかりでした。 聞きながら、だんだんじ~んとしてきました。みんなは、私の詩に出会って、言葉の素晴らしさを知り、大切にしようと書いてくれた。 私はまた、それを聞いて、さらに言葉の素晴らしさを知ることになった。 自由に話ができる人のように、私ももっと、誰とでも仲良くなりたいと思っている。けれども、まだ特定の通訳の人が同席していないと伝えたいことばかりが身体の中に充満して爆発しそうになる。何とかいい方法をみつけたい。 詩を書く喜びや満足感を知ると同時に、言葉が多くの表情を持ち、それぞれには役割と意味が隠されていることも改めて知りました。 ひとつ山を越えるとその先にまた山があった。 今の山に登って少し広い世界を見渡したら、また越えてみたい山が見えている。 そんな今、みんなのやさしい言葉に私自身が元気をもらった。またやってみようかなと思い始めている。落ち着いて準備をして、作戦をたてて、困った時は助けてもらいながら、一つひとつだ。 だから、本当にありがとう 私もガンバルよ!みんなもガンバレ!私たちみ~んなチャレンジャー
衆人の中にある孤独
内面をことばにするには勇気がいる 自分を解放するには自信がいる 心を自由にするには信頼がいる
自分一人の無人島で 自由気ままに生きるのならば どんな行動も叶うだろう ただし生きることが叶うのならば ひとりの孤独に耐えるのならば
衆人の中にこそある孤独 このひとりを抱えながら 内面をことばに出し 自分を解放し 心を自由にできるのは そこに あなたが存在しているぬくもりを もう知っているから
![]() 今朝は雨です。毎朝見回るヒマワリにハトの巣が加わった。 雨が降り出した時にバサバサっと父ハトが帰ってきた。 昨日はいい天気の一日だった。通所に出かけるときには土日とは違うハトが巣にすわっていた。きっとお父さんか。 今日は、家族みんなで雨宿りをしている。少し寒いから気を抜けない一日なのかもしれない。こうして家族を守っているのだろうか。 近頃の私は、全身の緊張が強くて本当に苦労している。身体のコントロールを自分でできないというのは、とても苦しい。 落ちついているときに、言葉で伝えられることも、緊張が高じたときは何も太刀打ちできなくなる。身体の緊張と同時に、気持ちの緊張も高じると、介護者とも格闘のようになってしまう。 母の時はそのままケンカに発展するのが、ひとつのバロメーターだ。最近のケンカはリハビリ。ケンカ中はお互いに夢中で発散するけれど、体力も限界がある。二人とも、ケンカの後にへとへとになってから、やっと冷静に話し合えるようになる。 だたしすぐには仲直りしない。 うまく気持ちが通じる場面ばかりではないとき、私は必死でどうすればよいかを考えながら、とても困っている。身体に命令を出しても、回路に障害があるのだから気持ちと身体がどんどん離れていくのを止められない。 抑えられない緊張の中で、とても悲しい気持ちになる。悲しい気持ちが心を包んでまゆのようになっていく。それによって守られるようで、自分で自分を安心させる。 母の日に弟はとてもやさしい手紙を書いた。母は弟を追いかけて大喜びを伝えていた。私は、そうできない自分を思って、また少しだけ、まゆの層を厚くした。 昨日の通所日に人気のパンやさんに行って母のためにパンを買ってプレゼントした。一日遅れだけれど、おいしい、おいしい、と母は大喜びした。でも、介護で体中痛がっている母を思うと、パンくらいでは足りないことを知っている。 パンを食べて喜びながらケンカしている私たちを見て、仕事から帰った父は、次のステージへの覚悟の時だ、と言った。鶴の一声のように来週整形外科を受診することになった。
![]() 全国的に母の日です。先週の感謝の会で、私にはたくさんお母さんやお父さんがいたんだなあ!と改めて感謝しながら、記録の写真を見たり手紙を書いたりして過ごしています。 先週あたりから、実の母が「もうすぐ母の日!」「明日は母の日!」とわざとらしいアピールをしていたのを、私は聞こえないふりしてしている。 素直な弟は、手紙を書いてあげるね、とか、プレゼントあげますよ、などとやさしい言葉をかけています。 天気のよい週末、両親は家事をしていた。 詩集の大きな仕事が終わって、さて、これから、次は何をしよう、なんて考えてみるのだけれど、どうも頭の中がまとまらない。きっと、放電した後だからだろう。 庭に出ていた母がお隣さんと話をしている。 お隣さん 最近よくハトが遊びに来ると思っていたら、お宅の木に巣があるみたいですよ。 母 え~っ、つがいで来ていましたけどね。巣ですか? 私 (え~~~っ???) お隣さん ほら、お母さんがじっとしていますよ。雛をかえしているのかしらね。 母 目があっちゃった。 私 (そうなんだ~) 母 でも逃げませんね。 私 (さすがだ) 母 写真をとろう 私 (そっとしておけばいいのに) 母 ほんとにびくともしませんね~ 私 (子どもを守ろうと必死なんだってば。人間怖いだろうに) 臆面もなく写真を撮った母は私にも見せてくれた。私はこっそり母ハトに同情した。うるさい母でごめんよ。 子どもを守った母ハトも、私に見せようと写真をとった母も、子どもを思ったところは同じです。子どものためには強くもなるしずうずうしくもなれる。 子どもの私は親心と子ども心の中間にさしかかってきたのかもしれない。素直な弟ほど、単純なありがとうでもなく、年老いた母を見守るほどでもない。 先日の会で、母が、「母子というより、あなたと私になってきた」と言っていた。そういえば近頃自分で考えなさいというのが多くなった。 昔から崖から突き落とすライオンタイプの母ですが、小さい時のように子どものそばで育ちを共に悩むというより、離れる練習をしているように感じる時もある。それはたぶん、自立ということなのだろう。 けれど、何もかもまだ多くを家族に助けてもらっている私が、何からどのように自立して親から離れて行けばいいのだろう。そのためには何をすればよいのだろう。 そんなこんなを考えだしたら、どうも、素直に、お母さんいつもありがとう、とは言えない今年の母の日だ。 ハトのお母さんが無心に子どもを守っている。そのことを、もしかしたら雛は知らない。 けれどハトは、そんなことは何も気にしないで一点を見つめている。赤い目。 だいぶ太陽が動いて夕方になってきた。 まだ、母ハトはまだじっとしている。私もここでいっしょにじっとしている。
感覚
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若葉がとてもきれいな季節になりました。さすが杜の都仙台。自慢できるミドリです。 我が家から通りに出るとずっと並木道が美しい。桜・イチョウ・ケヤキなどなど。どれも若い葉っぱがヒラヒラ、きらきら、しています。 我が家の庭も緑が多くなってきて、朝日の色が変化してきました。同じ場所にいつもいるので、この変化がとても好きです。一日の移り変わり+季節の色。弱視でよかったと思うくらい、ぼやけた感じが美しい 連休中、希望の庭に苗を植えてもらった。私に任された自分の庭です。福祉センターの活動で、スタッフさんと一緒に花やさんに行って買ってきた。 店員さんの説明をよ~~~く聞いて、バーベナとゲウム・コイにしました。赤とオレンジのかわいい花というのと、強い品種だというので決めました。 桂の苗の前に並んでいます。新しく引っ越してきた自分の場所を確かめていることでしょう!ようこそ、我が家へ。もちろんヒマワリも着々と大きくなっています。 まだみんなちびっこです。始めが肝心。大切に見回ってもらっています。
詩集感謝の会から2日目。やっと頭が普通になってきました。 本当にすてきな時間でした。だんだん細部を思い出してくると、スピーチの言葉や音や感触が戻ってきて、また一層嬉しさがこみあげてきます。 会場のびすた~りについたとき、ちょうど、花やさんから花が到着したところ。何なに!!??というくらい大きいものは、出版社からの赤と青の花束でした 顔の上まで花がそびえたつ花束を生まれて初めてみました そこから正気に戻る前に現れたのは、今度はなんと、ケーキの塔でした びすた~りからのすばらしいプレゼントでした。 後にみなさんがケーキを食べる食器の音が美しい音楽のように聞こえた。私には花の冠と書いてある中央の部分を切り分けていただき、大切にお持ち帰りしました。 寝る前に、さあ、落ち着いて食べよう、と思ったら!何と冠がなくなっているではないか。(母が食べちゃった後だったのだ===! 花の、の部分から食べた白とピンクのクリームは、ホンモノの幸せの味でした。 弟は無礼講で3人分も食べたそうです。さぞかし満足したことだろう。 みんな、みんな、幸せに味わっていただいたと思います。気持ちのこもったおもてなし。場所も演出も、空間も、時間も、人も、全てがおもてなしとなったのは、本当にびすた~りのおかげです。 この嬉しさは一生忘れません。 また、じ~ん、としてきちゃった・・・・。感謝の会に感謝です。
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