「奇跡のリンゴ」執念の31年間(1/6)
農業史を変える木村秋則さん
リンゴ園を営む木村さん。31年間にわたる試行錯誤を繰り返した男性のあくなき挑戦が、日本の農業の枠組みを変えつつある。
世界を席巻した日本製品といえば、自動車や電子製品を思い浮かべるだろう。しかし、その名を聞けば、トヨタやソニーよりもなじみ深い「メード・イン・ジャパン」がある。
それは、韓国では「プサ(「富士」という漢字の韓国語読み)」と呼ばれている「ふじ」という名のリンゴだ。青森県藤崎町で栽培されたこのリンゴは、1962年に品種登録されると同時に世界を席巻した。トヨタが「カローラ」で北米市場を開拓する6年前のことだ。
日本の北端、岩木山のすそ野。見渡す限り一面にリンゴの木が広がっている。ここを中心に、青森県で作られるリンゴは日本の全生産量の半分を占める。愛知県豊田市が日本の製造業の聖地なら、岩木山は農業の聖地だ。
農家を営む木村秋則さんは、この山のすそ野で37年間リンゴを栽培している。還暦だが喜寿を迎えたお年寄りよりも年を取って見える。かつてキャバレーの客引きをしていたころ、ヤクザに殴られ、折れた歯がそのままになっているからだろうか。自分が作ったリンゴをかじることもできなさそうだ。
木村さんのリンゴ園を、昨年だけで約6000人が訪れた。修学旅行の小学生から韓国全羅道の農家まで訪問者はさまざまだ。木村さんの著書『リンゴが教えてくれたこと』や『自然栽培ひとすじに』は今年、日本全国の書店でベストセラーになった。昨年ベストセラーになった奮闘記『奇跡のリンゴ』は7月、韓国でも翻訳・出版された。
木村さんのリンゴ園に向かおうと、すそ野を1時間ほどさまよった。どうしてこんなところに6000人もの人々が訪れるのだろうか。それは、本来の生態系を取り戻した「自然」がここにしかないからだ。1978年から31年間、農薬一滴、肥料一握りたりとも使っていない奇跡の8800平方メートル。東京・白金台にあるレストランの井口久和シェフは言う。「リンゴが腐らないんです。生産者の魂がこもっているからでしょう」(『奇跡のリンゴ』)。
木村さんは「オタク」だ。成功してもしなくても、好きなことに命がけで熱中する「職人タイプ」の人を日本ではこう呼ぶ。今、この年配のりんごオタクが、農薬や肥料に依存してきた現代農業史を変えようとしている。日本の製造業の若いオタクたちが化学石油燃料に依存してきた現代工業史を変えつつあるのと同じようにだ。
収穫ゼロで、儲けもゼロ。花一輪、実一つならないリンゴ園で、朝から晩まで虫を捕まえ、酢をまき、木と会話する。コメが足りなければおかゆを食べ、カネがなければ靴下を繕って履く。死のうと思いロープを持って登った山で、アイデアが思い浮かんだ。こうして11年間、耐え抜くことができたとしたら、だれもが歴史を変えられるだろう。