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テーマ:レースマシンの画像(371)
カテゴリ:ロードレーサー画像館
限定発売モデルFZR750R(OW01)をベースに開発した耐久仕様の TT-F1ファクトリーマシン。 いっそう高回転化・小型化された新エンジンを前輪過重増加のため ステアリングヘッドを低く抑え、スイングアームピポッド位置を 前進させた新設計フレームに30度前傾で搭載。 同時に、フレームラインと一体化した高剛性リアアーム、 倒立式フロントフォークの採用によって足まわりを強化し、 GPマシンなみの操縦性を実現した。 90年鈴鹿8時間耐久レースでは、エディー・ローソンとペアを 組んだ平忠彦が念願の初優勝を飾った。 ニッカンスポーツ1990年鈴鹿8耐 YZF750(OWB7)模型製作記 ヤマハ発動機スペシャルコラム「8耐 ヤマハ・レジェンド」 YOU YUBE ”1990年鈴鹿8時間耐久” ”YZF750(OWB7)1990” ヤマハ発動機 TECH21 1990鈴鹿8時間耐久”1000人の名前をアンダーカウルに刻む” 鈴鹿サーキット ”平忠彦 鈴鹿8耐を語る” 資生堂TECH21レーシングヤマハ、平忠彦の鈴鹿8時間耐久レース 1985年 平忠彦は1983年フレディー・スペンサーと壮絶なチャンピオン争いをした後にグランプリを引退した ”キング”ケニー・ロバーツと組んで、資生堂TECH21レーシングヤマハチームで参戦。 ”世界の走りをものにする。吸収出来るものはすべて吸収する。” 優勝候補と呼ばれ、下馬評どうり決勝レースをトップ独走、 しかしレース終了30分前にマシントラブルでリタイア。 1986年 平忠彦はグランプリライダーのクリスチャン・サロンと組んで参戦。 平とはシフトパターンの異なり、ピットインの度にシフトパターンを変えた。 サスペンションの好みもそれぞれ違った。 更にこの年から名称を変えたYZF750はミシュランタイヤとのマッチングが思わしくなった。 トップを走るワイン・ガードナー&ドミニク・サロンのRVF750の追走に苦しむ事になる。 レース中盤を過ぎた4時間15分後、104周クリスチャン・サロン走行時にエンジントラブルによる緊急ピットイン、しかしマシンが再び目を覚ます事はなかった。 1987年 この年のWGPフランスの予選で平忠彦が転倒、負傷。 夏の鈴鹿に表れた平は満身創痍の身体でマシンに跨るが、出場を断念。 首にギブスを巻いた平は監督としてチームを引っ張る事になる。 レースはヨシムラとのトップ争いとなった。 最終のピットイン、マギーはマーチン・ウィマーとのライダー交代をせず、ガスチャージのみで即ピットアウト。 怪童マギー、驚異的ペースでヨシムラの高吉を追いつめる。 レース終了残り5分、ヨシムラ高吉のプレッシャーが限界に達する。 ゼッケン45、勝利を目前にして痛恨の転倒。 怪童マギーの最後まであきらめない走りが奇跡を起こす。 資生堂TECH21レーシングヤマハチーム初優勝。 ”テームは勝てた。しかし、俺は走っていない。” 1988年 平忠彦は後に世界チャンピオンに輝くマイケル・ドゥーハンと組んで参戦。 やはり後に世界チャンピオン輝くウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツとの壮絶なバトルを展開する。 暗闇のサーキット、レース終了まであと10分、3位走行中の平忠彦に衝撃が走る。 またしてもエンジントラブル。 ”マシンを労わりながら走った。それでも・・。” 1989年 平忠彦はケニー・ロバーツの秘蔵っ子、ジョン・コシンスキーと組んで参戦。 ライバルがトラブルで脱落していく中、耐久のスペシャリスト、サロン/ビエラ組を追いつめてゆく。 6時間を過ぎた163周、2位走行中のコシンスキーが突然のスローダウン。 またしてもエンジン・トラブル。 2コーナーのスポンジバリアー、眠りについたマシンが立て掛けられた。 人々はささやいた。 ”平さん・・、らしいよな・・。” 止める事だって出来た。 しかし、ライダーとしてのプライドがそれを許さなかった。 完走して、なおかつ最善の結果を得るまでは・・。 異様な圧迫感が平を襲っていた。 1990年 平忠彦はワールドグランプリで前年、4度目のチャンピオンを獲得した エディー・ローソンと組んだ。 エディーは優勝請負人と呼ばれていた。 こんなチャンスはもう2度と来ない。 プライドにかけて・・勝つしかなかった。 決勝レースは想像を絶する展開となった。 OKIホンダのガードナー&ドゥーハンが序盤の転倒を挽回しようと、 トップを走るTECH21チームを猛追した。 ”今年こそタイラさんを勝たせてあげたい。” 何年も平に声援を送り続けたファンや関係者の目にはガードナー&ドゥーハンの怒涛の追い上げは脅威以外の何物でもなかった。 しかし、予想を上回るハイペースがOKIホンダチームの計算を狂わせた。 ガードナー走行時、ゼッケン11OKIホンダ、ついにガス欠でマシンが止まってしまう。 夕暮れのサーキット、タンクを覗き込みマシンを何度も揺するガードナー。 オフィシャルの制止もガードナーの耳には届かない。 THCH21を脅かしたOKIホンダはリタイヤとなった。 しかし、平忠彦の表情は崩れる事がなかった。 最後のピットイン、平はエディーにマシンを託した。 真夏の鈴鹿、熱中症寸前で走るライダーのライディングスーツは汗でぐっしょり重くなっているはずだ。 しかし、平はライディングスーツを最後まで脱ごうとはしなかった。 夕闇の中、疾走するローソンの姿をモニター越しに追っていた。 とてつもなく長く感じた時間・・しかしついにその瞬間はやってきた。 夕闇のサーキット、無数のフラッシュの中、勝者エディー・ローソンにチェッカーが振られた。 平忠彦から始めて白い歯がこぼれた瞬間だった。 平&THCH21の悲願の優勝は1990年、ついに達成された。 表彰台の下に多くのファンがなだれ込み、自然とタイラコールが鈴鹿に巻き起る。 ”タイラ!、タイラ!、タイラ!・・”何度も何度も・・連呼された。 平忠彦は表彰台の真ん中で、エディーと共にほっとしたように・・安堵の笑顔をみせたのであった。 追記 関連画像 1985 FZR750 (OW74) TECH21 ケニー・ロバーツ&平忠彦 1987 YZF750 (OW89) TECH21 ケビン・マギー&マーチン・ウイマー 1986 YZR250 (OW82) 平忠彦 1984 YZR500 (OW76) #1 平忠彦 平忠彦さん 秘宝館 1993 RVF750 #7 エディ・ローソン/辻本聡 "YZF750(OWB7)1990"もっと大きい画像を見たい方はコチラをクリック ↑リンクがうまくとばない時は以下URLをコスペして直接入力して下さい。 http://photos.yahoo.co.jp/bc/fun_circuit_since2003/lst?.dir=/e8d9&start=1&.rand=1298631859 ↓モーターサイクルレーサーの画像集めてみました。 Motorcycle races お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021年06月25日 01時43分00秒
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