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テーマ:レースマシンの画像(371)
カテゴリ:ロードレーサー画像館
2002年 インラインフォー、5バルブ等間隔爆発エンジンを採用したYZR M-1は 2003年途中からキャブレターをフューエルインジェクションへと変更。 更に電子制御の一環としてICS(アイドルコントロークシステム)を導入し 4気筒中、2気筒のスロットルバルブを電子制御し、 エンジンブレーキのフィーリングを向上させ、 制動時の高い安定性、旋回性を獲得した。 2002年”ウエスト ホンダ ポンス”から参戦したアレックス・バロスは、 ポテンシャルの劣る2ストロークマシン ホンダNSR500で 4ストロークマシン勢と互角の戦いを見せ、2度の表彰台を獲得。 この活躍からシーズン終盤4戦、 ホンダはバロスの為に4ストローク新型マシン”RC211V”を提供。 バロスはホンダの期待に応え、同マシンを乗るワールドチャンピオン、 バレンティーノ・ロッシとの接戦を制し、2勝を獲得。 翌2003年、アレックス・バロスはテック3・ゴロワーズ・ヤマハ・チームに移籍。 フルファクトリーのYZR-M1を走らせるが、 開幕戦の鈴鹿、ウォームアップで転倒、靱帯を痛める大怪我を負ってしまう。 結局、この年は期待されたほどの活躍を果たす事が出来なかった。 バロスは2004年もテック3・ゴロワーズ・ヤマハと契約をしていたが、 これを破棄し、ホンダに戻っていった。 ワークス・ホンダとサテライト・ホンダがRC211Vで表彰台を独占する中、 ビアッジを失ったヤマハの2003年の表彰台獲得回数は、 アレックス・バロスの3位表彰台の1回のみであり、 ヤマハ全体の優勝回数はゼロという結果になった。 1992年ウェイン・レイニーが3連覇を達成させてから、 最高峰チャンピオンから遠ざかっているヤマハ・・ ”どんなマシンを作ったら、勝つ事が出来るのだろうか?” ヤマハはこの年の”負け”から更に多くの事を学んでいた。 画像左 フォルチュナ 2003 YZR-M1(OWN3)#7 カルロス・チェカ ヤマハ発動機”2003 YZR-M1(OWN3)” ヤマハ発動機”2003 レースリリース バロスがIRTAテスト1日目で好タイム” ネットで見つけた2003 大阪モーターサイクルショー”2003 YZR-M1(OWN3)#4”画像 ミニチャンプス完成品1/12スケールモデル ゴロワーズ・ヤマハ・テック3 2003 YZR-M1 #04アレックス・バロス タミヤ模型1/12 オートバイ シリーズ”フォルチュナ 2003 YZR-M1(OWN3)#7” ネットで見つけた模型”2003 YZR-M1(OWN3)#4 アレックス・バロス” ”2003 YZR-M1(OWN3)#4 アレックス・バロス”もっと大きな画像が見たい方はコチラ。 ↓モーターサイクルレーサーの画像集めてみました。 Motorcycle races お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2010年07月07日 23時10分47秒
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