ブログを作る※無料・簡単アフィリ    ブログトップ | 楽天市場
107002 ランダム
   教育対策研究所の主張〔中〕… (出産・子育て)楽天ブログ 【ケータイで見る】 【ログイン】
情報センタ-ふきのとう姫路
ホーム 日記 プロフィール オークション 掲示板 ブックマーク お買い物一覧

PR

Calendar

November 2011
SMTWTFS
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<一覧へthis monthnext>

Keyword Search

Category

Archives

Mobile

>>ケータイに
このブログの
URLを送信!

 

G-g日記

<< 前へ次へ >>一覧コメントを書く

2006.12.25 楽天プロフィール Add to Google XML

   教育対策研究所の主張〔中〕
[ 820 ごかいの部屋 ]    

            教育対策研究所の主張〔中〕

 今回掲載するのは、不登校を「教育対策」にもとづいて述べた文章で
す。そのため「不登校と教育との関係」という、独自の視点からの論述
になっています。

 本誌ではめずらしい理論的な(堅い)文章ですが「研究所のニューズ
レターに掲載された文章」ですのでご勘弁ください。
 「こういう考え方もあるんだな」という感じでお読みいただければ幸
いです。

〔中〕教育対策からみた不登校

●無意識が教育の中断を指令する

 今さら説明するまでもないとは思うが、不登校とは「登校の意思を持
ちながら登校できない状態」を基本とした概念である。
 「休みたいときに休む」という「怠学(怠休)」とは違い「登校した
い─登校したくない」という両価的葛藤に苦しみながら「51対49で
登校したくない気持ちの勝ち!」とでも言いたくなるような"わずかな
差"で欠席を続ける選択がなされる。そのなかで本人は、登校しない自
分に対する罪悪感、自責の念、他人への負い目などで心理的安定が得ら
れず、頭痛、神経症、暴力などの二次症状が発生することも少なくない。

 これに対し教育的立場からは、一般に再登校させる(直す)ことを目
標に、その障害となる「登校したくない気持ち」を抑えようとする。登
校したくないというのは、現実逃避であり、心の弱さであり、怠け心で
ある......と。

 しかし教育対策では、登校しないことを問題にするのではなく、登校
しないことによって生じる苦痛や二次症状を問題にする。つまり「登校
できないだけのことで、なぜそんなに苦しまなければならないのか?」
という視点である。

 「登校したい」という気持ちは「人並みの生活を続けたい」「勉強が
遅れたら大変だ」「将来がなくなる」等々、いくつもの理由で形成され
るが、そのなかでも大きなウエイトを占めているのは「登校しなければ
ならない」という義務感=規範意識である。ところで、これらの理由の
もとになっているそれぞれの価値観(人並みであるべきだ/成績は良い
ほうがいい/学校に行かないと将来はない/通学は規範の第一だ)は、
いずれも教育上当然とされるものばかりである。つまり不登校児は、教
育の影響をじゅうぶんに受けているのである。

 実際、教育に忠実だった不登校児は多い。親や教師の言うことをよく
聞く子、勉強熱心な優等生、高学歴志向の子、責任感の強いリーダータ
イプ......。彼らは「まじめ」「従順」「努力」「規則」「優秀」などを
至上の価値とする、現代日本の「教育的価値観」をひたすら自らの心に
とり込み続けてきた。このような子どもを、教育対策では「教育との関
係が強い子ども」と呼ぶ。

 つまり"現実逃避""心の弱さ"どころか、真剣に生きてきたのであ
る。
 それでは、そんな彼らが、同時に「登校したくない」という気持ちを
持ったのはなぜか。意識としては登校したいということは、登校したく
ないという気持ちは無意識のなかから出てきたものである、ということ
になる。
 人の心は「意識」と「無意識」から成り立っており、意識と無意識が
対立すると、必ず無意識が勝つ。これは人間の心の法則と呼ぶべきもの
である。
 不登校の場合も、登校したいという意識と登校したくないという無意
識が対立し、常に無意識が勝っているから登校できないのである。

 ところで、前述のとおり不登校児の意識は教育的である。しかし、無
意識の世界では、教育とは無関係な「生」そのものに直結した感性が働
いている。そこで「教育を通じて規範や学問を与えられているが "自分
が大切だと思って内在化した価値"はまだ持っていない。これでは自分
の生き方が構築できない」という将来の危険を感知したら、無意識はど
うするか。

 「今の生き方を続けていると人生が行き詰まるぞ。だからいったん現
在のフィールド(学校)から撤退せよ」という指令を、身体に発するの
である。そして本人の「登校しよう」という意識に反して、身体が登校
を拒むようになる。

 ところが、本人の教育的な意識はそれを許さない。そこで意識と無意
識とが闘い始める。先に記した「両価的葛藤」である。つまり不登校の
苦しみとは、前述の"無意識からの指令"に気づかずに、教育的な意識
に従って登校しようと努力する(あるいは登校すべきであると思い続け
る)ところに、その根源があるものなのだ。

 その証拠に、無意識に逆って登校努力を続けている限り、両価的葛藤
はいつまでも続くが、登校努力をやめると、それは解消されていくので
ある。
                ●

 ここで私が言いたかったのは「不登校とは、教育への反応の一形態で
ある」ということです。
 すなわち、教育という"他律の(教育者がしいたレールの上を歩かせ
る)営み"によって押さえつけられていた"自律の(自分でしいたレー
ルの上を歩く)欲求"が、自分の奥底から自然にわき上がった、という
反応です。

 簡単に言うと「このまま学校に通い続けていると自分が無くなってし
まう」という予感がした(この「予感」も無意識のものなので、本人は
気づいてないことがほとんど)、ということです。
 たとえば「学校へは行けないが塾へは行ける」とか「授業には出られ
ないが学校行事には出られる」というふうに、同じ教育の場でも、他律
(教育色)の強い場には行けないが、弱い場には行ける、という不登校
児が少なくないのも、そのことを裏づけています。

 そのため私は「本人の教育の受け方が変わる」ことを、不登校への援
助目標のひとつにしています。
 つまり、

 *おとなではなく自分がレールをしくこと
   「当たり前」「義務」として学校に通うのではなく「自分の主体
  的な選択」「自分に必要な場所」として学校に通う、というふうに
  変わること。

 *教育の場を自分で選ぶこと
   学校以外で、自分の気質や感性に合った居場所を探して、そこに
  移ること(そこで過ごしたあと学校復帰したり進学したりする場合
  もよくあります)

 などをめざすことです。

 いずれの場合も「自分に合ったプロセスで」「自分が活かされるかた
ちで」成長する、という生き方を可能にすることにほかなりません。


:筆者:丸山 康彦(まるさん)
  スクールソーシャルワーカー(訪問子ども援助職)。高校時代、
  不登校と留年の末、入学7年後に卒業。高校講師・ひきこもりを経て、
  1999年4月に個人事務所「教育対策研究所」を開設。2001年10月に
  当ヒューマン・スタジオを設立し代表に。




Last updated  2006.12.25 04:17:30
コメント(0) | コメントを書く





■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
・メッセージ本文は全角で800文字までです。
・書き込みに際しては楽天ブログ規約の禁止事項や免責事項をご確認ください
・ページの設定によっては、プルダウンで「顔選択」を行っても、アイコンが表示されません。ご了承ください。


<< 前へ次へ >>一覧コメントを書く一番上に戻る


Powered By 楽天ブログは国内最大級の無料ブログサービスです。楽天・Infoseekと連動した豊富なコンテンツや簡単アフィリエイト機能、フォトアルバムも使えます。デザインも豊富・簡単カスタマイズが可能!

Copyright (c) 1997-2012 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.