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2005年07月11日 楽天プロフィール Add to Google XML

橋本真也が死去 プロレスラー橋本真也氏に哀悼の意を、、、、、。(17)」
[ カテゴリ未分類 ]    



破壊王が逝ってしまった‥‥脳内出血らしい。



プロレスラーの橋本真也氏が死去
2005年7月11日(月) 15時24分 スポーツナビ

“破壊王”のニックネームで親しまれたプロレスラーの橋本真也さんが11日午前、横浜市内の市立大付属市民総合医療センターで死去した。40歳だった。死因は脳内出血とみられる。

橋本さんは1984年に新日本プロレスに入門。その後独立し、2000年11月には新団体「ZERO‐ONE」を設立したが、2004年11月に活動を停止。橋本さんは右肩を手術し、リングから遠ざかっていたが、リハビリをしながら復帰を目指していた。


11日午前、横浜市内の病院で亡くなった橋本氏

http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050711&a=20050711-00000024-spnavi-spo



破壊王・橋本急逝…夕方に弁護士が会見

破壊王・橋本真也さんが急逝した。詳細は、11日夕方に担当弁護士が記者会見を開催する予定。

橋本は1965年(昭和40年)7月3日、岐阜県土岐市生まれ。柔道で活躍し、84年4月に新日本プロレスに入門した。同9月1日、後藤達俊戦でデビュー。89年から武藤敬司、蝶野正洋と闘魂三銃士として人気を集めた。

93年9月、94年5月にIWGP王座を獲得。98年にはG1クライマックスを制覇するなど、その体格を生かした破壊力抜群の蹴り、チョップで時代を築いた。99年1月に小川直也に敗れ引退を表明するも、ファンからの強い要望で同10月の藤波辰爾戦で復帰した。しかし、新日本と対立し、同11月に解雇され、ゼロワンを創設し、01年3月に旗揚げ戦を行った。

以降は、全日本、ノアなどの他団体と積極的に交流し、団体の枠を越えた戦いを次々と演出した。03年2月にはグレート・ムタを破り、全日本の3冠王座を奪取、小川とはOH砲としてコンビを結成しゼロワン、全日本、ハッスルなどで共闘した。

藤原喜明と保持するNWAインターコンチネンタルタッグ王座をかけ、大谷晋二郎と大森隆男組と対戦した04年8月31日ゼロワン盛岡大会が最後の試合となった。

[2005/7/11/15:38]

http://www.nikkansports.com/ns/battle/f-bt-tp0-050711-0016.html







 


左から、橋本真也、片山晋吾、小川直也のハッスルポーズ




名前・橋本真也
生年月日・昭和40年7月3日

身長・183cm
出身地・岐阜県土岐市
デビュー・1984年4月新日本プロレス入門、同年9月練馬区南部球場特設リングでデビュー(対後藤達俊)

【IWGPヘビーチャンプ戦歴】

1993年9.20、グレート・ムタを破り第14代IWGPベビーチャンプ
1994年5.1、 第16代 IWGPヘビーチャンピオン(対 藤波)
1996年4.29、第19代 IWGPヘビーチャンピオン(対 高田延彦)

【新日引退から復帰~解雇~ZERO-ONE設立】

2000年4.7、小川戦に敗れ、公約通り引退。
4.10、猪木がUFO入りを勧誘。
8.23、復帰会見。「もう一度"四角い戦場"に戻らせて頂きます。帰りたいです。」
10.23、新団体「ZERO」を設立。他団体への参戦構想を示す。
11.16、近日中にZERO-ONEを株式会社として登録し、橋本が代取になると発表。

http://matz.szero.net/HASIMOTO.html




オーちゃんの秘蔵写真・with 破壊王
http://www.ogawanaoya.com/photo/0111.html



ニュース速報:2005年7月11日(月)

【ファイト】プロレスラーの橋本真也さんが死去


プロレス界で絶大な人気を集めた橋本真也(はしもと・しんや=本名・同)氏が11日午前、脳内出血のため、横浜市南区の横浜市立大付属市民総合医療センターで死去した。40歳だった。 

関係者によると、橋本氏の同居人が同日午前8時55分、意識朦朧(もうろう)としている橋本氏を見つけて119番。午前10時半に心肺停止状態で病院に運び込まれたが、まもなく死亡が確認されたという。死因は脳内出血とみられる。

http://www.sanspo.com/sokuho/0711sokuho029.html



プロレスラー橋本真也さん急死、40歳
心肺停止状態で病院に搬送


40歳の若さで急逝した橋本さん。
多くのファンを魅了した
=平成15年4月、日本武道館

 「破壊王」「闘魂三銃士」としてプロレス界で絶大な人気を集めた橋本真也(はしもと・しんや=本名・同)氏が11日午前、脳内出血のため、横浜市南区の横浜市立大付属市民総合医療センターで死去した。40歳だった。通夜と葬儀・告別式、喪主は未定。橋本氏に関する代理人を務める弁護士法人「フェニックス」の関係者が同日午後、死亡を認めた。

 捜査関係者によると、橋本氏の同居人が同日午前8時55分、フラフラになって意識朦朧(もうろう)としている橋本氏を見つけて119番。午前10時半に心肺停止状態で病院に運び込まれたが、まもなく死亡が確認されたという。死因は脳内出血とみられる。

 人気プロレスラーとして長く活躍した橋本氏だったが、関係者によると、最近は自らの故障や主宰するプロレス団体をたたんだことによる借金問題、夫婦間のいさかいなど、仕事や家庭内のトラブルが絶えなかったとされる。

 昨年12月、9時間半にわたる右肩の大手術を受けて成功。その後、リハビリに入り、肩が上がる程度まで回復していたという。ただ、プロレス団体の招請も固辞し、手術以降、表舞台に出ることはなかった。

 橋本氏は昭和40年7月3日生まれ、岐阜県土岐市出身。

 学生時代は柔道で活躍し、59年4月に新日本プロレスに入門。アントニオ猪木に師事して同年9月1日デビューし、同期の蝶野正洋、武藤敬司とともに「闘魂三銃士」と呼ばれた。

 得意技は垂直落下式DDT、水面蹴り。「破壊王」の異名をとり、IWGPヘビー級王座、同タッグ王座を獲得。平成12年4月、小川直也戦に敗れ、公約どおり新日に辞表を提出した。ファンの復帰嘆願を受けて同年8月23日に引退撤回。しかし復帰戦後、独立宣言し、11月13日付で新日プロを解雇され新団体「ZERO-ONE」を設立した。

 全日本プロレスにも参戦し、三冠ヘビー級王座も獲得したこともあった。しかし、昨年11月、「ZERO-ONE」の崩壊宣言をした後、約1億円の負債をすべて背負ったとされ、フリーの道を歩み始めたばかりだった。

ZAKZAK 2005/07/11

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_07/t2005071120.html



ターザン山本氏「あの体形で心臓に負担」
「最近は不整脈も」

 力道山に始まり、アントニオ猪木、故ジャイアント馬場が築いた日本プロレス界の伝統を引き継ぐ「闘魂三銃士」の一人として、これまでマット上で大暴れをしてきた破壊王・橋本真也さん。その急死の報は11日、プロレス界にとどまらず、関係者の間に強い衝撃を与えている。

 「亡くなったと聞いて、ああ、そうなってしまったのかとも思いました。あの体形なので心臓には負担もあり、最近は不整脈が出たりしているという話は聞いていました。それに色々とトラブルが重なり、精神的にも追い詰められてもいましたから…」と声を落としたのは、プロレス評論家のターザン山本氏。

 その人柄を山本氏は、「新日本プロレスにいた全盛期には、武藤敬司さん、蝶野正洋さんとともに、将来のプロレス界を担う『闘魂三銃士』の一人といわれた。格好のいい武藤さんとシティーボーイの蝶野さんに挟まれ、柔道出身で太めの橋本さんは、愛嬌のある三枚目でギャグの対象となりやすい愛すべきキャラクターだった。でも、岐阜出身だったので織田信長を信奉し、天下を獲るという野望も持っていた」と振り返る。

 そして、「プライベートでもトラブルが多くて不運だったが、何より無念だったのは肩の負傷だろう」と唇を噛んだ。

 三銃士の一人として、破壊王のニックネームを持ち新日プロで活躍した橋本さんは、柔道王としてプロレス界に殴り込んだ小川直也さんと名勝負を繰り返した後、同プロから独立。新団体「ZERO-ONE」を立ち上げた。

 だが、肩などに故障を抱えながら、団体の顔として無理して出場を重ね、結局、経営不振で代表を辞め、多額の借金も背負ったといわれている。昨年末には右肩を手術し、リハビリ中だった。

 生前に橋本さんと親交が深かった出版プロデューサーの高須基仁さんは、「スピード、パワーを兼ね備えたアメリカンスタイルのプロレスラーの最高峰だった。馬場、猪木の後を継ぐ華のある選手として、前田日明と双璧だった。“最後のプロレスラー”を失い、めちゃめちゃ悲しい」と肩を落とした。

 高須さんが最後に会ったのは今年2月で、「そのときに着ていた真っ白なスーツ姿が忘れられない。『ZERO-ONE』の代表を解任されたが、格闘技ブームのなかでも“エンターテインメントプロレス”の新団体を設立しようと、自分にも『誰かいい選手いない?』と聞いてきた。あんなに元気だったのに、信じられない」と目を伏せた。

 橋本さんの功績について、格闘技ジャーナリストのタダシ☆タナカ氏は、「80年代後半から90年代にかけて、闘魂三銃士として新日本プロレスの最盛期を支えたプロレスラーだった。ゴールデンタイムにテレビで放映されたころの最後のスターで、ある意味、プロレス界の世界の中心が日本だったころの象徴でもあった」と語る。

 今年に入り、表舞台に、その名が登場したのは、5月14日の新日東京ドーム大会、ハッスルハウス7札幌大会の両方から来場を呼び掛けられたためだった。しかし、橋本さんは、どちらにも姿を出さず、「仮に復活することが不可能であったとしても、己の道は己が決めます」とファクスでコメントしたのが最後の言葉となった。

ZAKZAK 2005/07/11

http://www.zakzak.co.jp/top/2005_07/t2005071121.html









最終更新日  2005年07月11日 17時09分03秒
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Re:橋本真也が死去(07/11)   たぬき1965さん


Re:橋本真也が死去(07/11)   kkoさん


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