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長い間冬眠しておりましたが、 またすこしづつ書いていこうと思います。 申し訳ありませんが本調子になるまで、 コメント欄は閉じさせていただきたく思います。 どうぞよろしくご理解のほど、心よりお願い申し上げます。 *Izumi*'s Room [全328件]
ベルヴェデーレ宮殿からトラムDに乗ってハイリゲンシュタットへ行きます。 トラムのハイリゲンシュタット駅 ![]() 今回はベートーヴェン関連はまわらずホイリゲ直行です ベート-ヴェンガング(ベートーヴェンの小径)の入口 ![]() ベートーヴェン・ガング ![]() ここを歩いていると自然と頭の中で交響曲第6番「田園」が鳴ります。 ハイリゲンシュタットの街並み Heiligenstadt ![]() そして着きました お目当てのホイリゲです。 Mayer am Pfarrplatz(マイヤー・アム・プファールプラッツ) ![]() プファール広場のマイヤー、ホイリゲであるとともに ベートーヴェンが交響曲第9番を作曲した家でもあります。 ベートーヴェン・ハウスであることを示す銘板 ![]() そして新酒のワインが置いてある目印 ![]() 入り口の軒先に小枝の束が目印としてぶら下げられています。 マイヤー・アム・プファールプラッツの入口 ![]() 中庭 ![]() 中庭をはさんで左側がビュッフェ・コーナー(デリ)、 右側がレストランに鳴っています。 ビュッフェ・コーナーの入口 ![]() ビュッフェ・コーナー ![]() ホイリゲでの食べ物はビュッフェ・コーナーで購入します。 チーズや自家製ハム、ソーセージやサラダなどがあり目移りします。 店内 ![]() ウィーン名物のゲシュプリッター Der G’spritzte ![]() その奥のワイングラスに入っているのが今年の新酒です。 当然ですがまだ若いです。 お料理 ![]() ドイツ風のお料理はボリュームがあって美味しい 長い旅の最終日ということもありゲシュプリツターをがぶ飲みしてしまいました。 最高に楽しい一時でした 帰りはU4のハイリゲンシュタット駅まで歩いたつもりが、 道を間違えてドナウ川に突き当たってしまい。。。 ドナウ川 ![]() 通りかかった犬の散歩のおじいさんに道をきき、 トラムでU4のハイリゲンシュタット駅まで カール・マルクス・ホーフ Karl Marx Hof ![]() 駅前にはオットー・ワーグナーの弟子であるカール・エーン設計による カール・マルクス・ホーフという集合住宅がありました。 こちらもユーゲントシュティルの建築で、 長さが全長1km以上にもおよぶそうです。 ハイリゲンシュタット駅 ![]() こうしてヒルトン・ドナウ・ウィーンの最寄り駅 スタディオンに戻ってきました。 駅前のスタジアムの広場にあるバスターミナルでびっくり ![]() なんとハイリゲンシュタット行きのバスがある 今度来ることがあったらこれに乗ろう。。。 ヒルトン・ドナウのエグゼクティブ・ランウジ ![]() こうしてロサンジェルスから始まった長い旅は終わろうとしています。 明日はいよいよ帰国です、つづく。 最終更新日時 2012年5月23日 16時43分10秒
アウエンブルク通りのマーラーの家から斜め前のベルヴェデーレ宮殿へ ベルヴェデーレ宮殿入口 ![]() こちらの入口からだと下宮が近いです。 下宮には昨年入っているので今回はパス。 下宮にはハプスブルク帝国の総司令官であった オイゲン公(1663~1736)関連の展示品が多いです。 昨年はこのオイゲン公が誰だかさっぱりわからなかったのですが、 今回はイスタンブールから回ってきたのでわかります オスマン帝国を撃破した英雄だそうです。 逆にトルコ側の言い分としてはウィーンがあまりにも田舎なので、 取るべきものが無かったという事らしいです。 そもそもベルヴェデーレ宮殿はこのオイゲン公の夏の離宮でした。 下宮から見た上宮 ![]() 下宮 Belvedere - Unteres Belvedere ![]() 上宮が近づいてきます ![]() 上宮入口 Belvedere - Oberes Belvedere ![]() グスタフ・クリムトの「接吻」をもう一度みたかったのです。 シーレやココシュカの様々な代表作も展示されていて至福の時でした。 宮殿内のシャンデリア ![]() イスタンブールのドルマバフチェ宮殿を見た後だから、 なんだかしょぼく見えてしまいます 悔しまぎれでしょうが「取るべきものが無い」といったオスマン帝国側の言い分も、 なんとなくわかるような気がしました。 さて、ここからまたトラムDに乗ってハイリゲンシュタットへ行きます。 このトラムDはウィーンのリンク沿いを走るので、 ウィーンの名所を車窓から見ることが出来ます。 Schwarzenbergplazにあるフランス大使館 ![]() 美術史美術館 ![]() 自然史博物館 ![]() 国会議事堂 ![]() 中央にアテナ女神像があるギリシャ神殿風の建物。 1週間前に見たギリシャの首都・アテネの国会議事堂はなんとなくドイツ風。 不思議です。。。。 こうして郊外のハイリゲンシュタットに着きました。 ![]() ハイリゲンシュタットは新酒のワインが飲めるホイリゲの街でもあり、 ベートーヴェンゆかりの地でもあります、つづく。 最終更新日時 2012年2月4日 23時52分57秒
アーノルド・シェーンベルクセンターから歩いて、 グスタフ・マーラー(1860年~1911)が住んでいた家へ 昨年来た時は住所をきちんと控えてなかったので、 見つけることが出来ず悔しい思いをしました。 今回はすぐに見つけることが出来ました アウエンブルク・ガッセにあります。 トラム71の線路に面していて以前何度も通った場所でした マーラーが住んでいた家 Mahler-Auenbruggergasse ![]() 1階の角はカフェになっています。 建物はユーゲント・シュティル(アール・ヌヴォー)の巨匠、 オットー・ワーグナーの設計です。 現在も現役のアパートメントとして使われています。 なので外から眺めるだけです。 ![]() 銘板には「1898年から1909年までグスタフ・マーラーが住み作曲した」 と書いてありました。 ![]() この間作曲家としては交響曲第4番から第8番、大地の歌まで作曲、 指揮者としては国立歌劇場の芸術監督→1907年に辞任、 個人としては1902年にアルマと結婚、二人の娘の誕生、長女の死、 そして自身は心臓病と診断。 新婚で幸せいっぱい、仕事も順調な絶好調期から 夫婦間に陰りが見え、音楽監督を辞任、アメリカへ渡るまでの激動の時期です。 ちなみにマーラーがアルマと結婚式を挙げたのは、 カールスプラッツにあるカールス教会です。 シュターツオパーも、カールス教会も、 ここからですと全部徒歩圏です。 建物の中の様子 ![]() さてここから斜め前のベルヴェデーレ宮殿へ ベルヴェデーレ下宮の入口 Unteres Belvedere ![]() ウィーン世紀末散歩のしめくくりは ベルヴェデーレ宮殿のクリムトやココシュカ、シーレなどの絵です、つづく。 最終更新日時 2012年2月11日 1時45分17秒
シュターツ・オパーの前からトラムDに乗って、 アーノルド・シェーンベルクセンターへ行くことにしました。 今回はウィーン世紀末散歩なので、 音楽ではやっぱりシェーンベルクとマーラーははずせません。 空港のインフォメーションでもらったウィーンカードのパンフレットには、 トラムD、2、71のいずれかでSchwarzenbergplaz下車と書いてありました。 広場をはさんでトラムは2方向に分かれるので、 西側に着くトラムDよりも東側に着くトラム71の駅の方が近いように思います。 シェーンベルクセンター外観 Arnold Schönberg Center ![]() Haus der Industrieという美しい建物の中に入っています。 まず入口のインターホンを押して正面玄関を開けてもらい、 受付のガードマンに行き先を告げて入館します。 この建物には石油会社のルクオイル(LUKoil)も入っていて、 セキュリティーは若干きつめです。 H階がルクオイル、M階があって、1階がシェーンベルクセンター、 おそらくセンターは日本の2階部分にあたるかと。 シェーンベルクセンターの入口 ![]() センターのロゴは12音を表しています。 ![]() 研究所としての活動も行っていて、 奥がオフィスになっています。 まずビデオコーナーがありセンター監修によるビデオが上映されていました。 この時上映されていたのは「ピエロ・リュネール」「ペレアスとメリザンド」 「モーゼとアロン」と「5つの管弦楽曲」の演奏でした。 たくさんの演奏会プログラムが飾られています。 ![]() 作曲家としてはもちろんのこと、 指揮者や教育者でもあったシェーンベルクの業績を見ることが出来ます。 ピエロ・リュネール(月に憑かれたピエロ)の楽譜 ![]() シェーンベルクの肉声を聞けるコーナー ![]() 晩年のロサンジェルスの仕事部屋の再現 ![]() シェーンベルクはユダヤ人であったため、 第二次世界大戦中にアメリカに移住しています。 この書斎は作曲家のお嬢様の監修の下、再現されたようです。 センターでは自画像や家族との写真なども展示されていて、 家庭人としての一面もうかがうことが出来ました。 センターにあった売店 ![]() シェーンベルクに関する書籍や楽譜がたくさんありました。 楽譜に関してはほぼ全部揃っているのではないかと思います。 ![]() 自画像の絵葉書やノートなどもありました。 それでつい購入してしまいました。 ![]() 青い顔の自画像はかなりマニアックで、ちょっと怖い シェーンベルクのファンにはたまらない場所でした。 さてここからすぐ近くのマーラーの住んでいた家へ 昨年探せず涙をのんだ場所でもあります、つづく。 最終更新日時 2012年2月3日 1時30分31秒
U4のケッテンブリュッケンガッセ駅からシューベルト最期の家へ行きます。 Stadtbahn Station Kettenbrueckengasse ![]() オットー・ワーグナー設計の美しい駅からシューベルトの家までは、 ゆっくり歩いても5分もかかりません。 じつは昨年も訪れています。 それから約1年半しか経っていないのに、 周囲の風景は随分変わったように思います。 中華系のお店がものすごく増えたような。。。 周囲の景観をまったく無視したド派手な看板にビックリです。 さて、1828年11月19日シューベルトが息を引き取った部屋は、 現在は博物館になっています。 水曜日と木曜の10時から13時、14時から18時の2日間のみ という短い時間しか開館していません。 ![]() 集合住宅の2階(実際は3階)の一部屋が博物館になっています。 昨年訪れた時は閉館日で入ることが出来ませんでした。 まず入口で博物館のインターホンを押して共有の正面玄関を開けてもらいます。 ![]() ドアを開けて中に入ると中庭になっていした。 これは中庭から見上げたところです。 今でも普通にマンションとして使われています。 3階の博物館の入口 Schubert Sterbewohnung ![]() 兄フェルナンドの住まいであったこの家で、 フランツ・シューベルトは人生最後の日々を送りました。 ![]() この家では弦楽五重奏曲や最後の3曲のピアノソナタが作曲されました。 あの偉大な弦楽五重奏曲はここで生まれたのか。。。 ここはずっと来たかったところなので静かな感動に浸っていました。 U4の駅に向かって歩いていたら、 ちょうどバスが来たので乗ってみます バスの車窓から見たセセッシオン ![]() カールスプラッツ駅の近くの 国立歌劇場(シュターツ・オパー)の前で下車 ![]() シュターツオパーと言えばやっぱりお隣のホテル・ザッハです。 もちろん食べましたよ ザッハトルテ ![]() やっぱり美味しいです 個人的にはデメルよりもホテルザッハの方が好きです。 さてここからトラムに乗ってアーノルド・シェーンベルクセンターへ つづく。 最終更新日時 2012年2月3日 0時55分3秒
カールス教会からカールス広場の工科大学沿いに歩いて、 セセッシオンへ行きます 金のドームが見えてきました セセッシオン Secession この日は観光バスが横付けされてます セセッシオンの前を通過 ![]() ここは昨年来た時に入ったので今回は外からみるだけ。 そのままナッシュ・マルクトへ Naschmarkt, Wien ![]() 「ウィーンの胃袋」と呼ばれる食品市場で、 うなぎの寝床のように細く、長く続いていました。 ドライフルーツのお店 ![]() トルコ系、アラブ系のお店も多かったです。 ドライフルーツ類はイスタンブールのエジプシャン・バザールの品物を 品よく並べたかんじ、これだと買う気がしてきますね。 八百屋さん ![]() まだお昼前でしたので活気はそれほど無かったのですが、 ピクルスやデリのお店などもあって見ていて飽きません。 このナシュ・マルクトを抜けると見えてきました ![]() ユーゲント・シュティール(アール・ヌーボー)を代表する建築家、 オットー・ワーグナーの設計した集合住宅です。 昨年近くまで行って見逃して涙をのんだ建物です。 メダイヨンハウス Medaillon Haus ![]() オットー・ワーグナーが1890年代に設計した 金色の硬貨の飾りのついたマンションです。 そのお隣がマジョリカハウス。 Majolika haus ![]() バラの花模様のマジョリカ焼きタイルを壁面に使っているそうです。 お天気が今一つなのが残念。。。 マジョリカハウスの左隣もとっても綺麗 ![]() そのままウィーンツァイレを真っ直ぐ行きます ![]() きれいな建物がたくさん並んでいました。 ツァイレとは川筋という意味でこの地下にはウィーン川が流れているそうです。 そしてU4のケッテンブリュッケンガッセ駅に着きました。 カールスプラッツ駅から地下鉄1駅分歩いたことになります。 Stadtbahn Station Kettenbrueckengasse ![]() こちらもオットー・ワーグナーの設計。 ![]() 現在も地下鉄の駅舎として現役で使われています。 さてここから念願のシューベルト最期の家へ この日は週に2日しかない開館日でした、つづく。 最終更新日時 2012年2月4日 11時39分10秒
オットー・ワーグナー・パビリオン・カールスプラッツを見た後は、 お隣のカールス教会へ ハプスブルク家の皇帝・カール6世が、 1713~14年にウィーンを襲ったペストの流行の早期終息を願って建設した教会です。 この時期のもう一つの大きな歴史的な背景としては 1689年に16年に及ぶオスマン帝国の侵攻を撃破した事があげられます。 これによりハプスブルク家は対トルコ戦争に終止符を打ち、 ウィーンの市街地がリンク(城壁)外へと一気に拡大、 華麗なバロック建築がたくさん建てられるようになったそうです。 Karlskirche ![]() バロック建築の傑作だそうです。 でもアテネからイスタンブールと旅をしてきた私には、 とても奇妙なファザード&建築に思えてしまいます。。。 正面はギリシャ神殿のイオニア風、 ドームはローマカトリックの大本山・バチカンのサンピエトロ大聖堂にそっくり、 おまけに両脇に2本のモニュメント(記念柱)。 ![]() この記念柱はローマのトラヤヌス帝の記念柱や、 マルクス・アウレリウス帝の記念柱をモデルにしたそうです。 ですがローマでもコンスタンチノープルでもローマ帝国の記念柱と言えば 広場やピッポドローム(競技場)のド真ん中にドーンと建っているものです。 ハプスブルグ家がローマ帝国の正当なる継承を など深読みしたりして興味はつきません。 内部は天井画修復のための足場が組まれていましたが、 なんとこの足場に登ることが出来ました ![]() 途中まではエレベーター(右側)で、そして最後は階段です。 階段を一段上るごとに足場全体がミシッと揺れて怖かった ![]() 途中のフレスコ画はヨハン・ミヒャエル・ロットマイヤー作で、 聖カール・ボロメウス(1538?1584)をはじめ天国の様子などが描かれています。 聖母マリアに支えられる聖カール・ポロメウス Carolus Borromeus ![]() この聖人はカール6世と同名の守護聖人で、 1576年にミラノで流行した伝染病(ペスト)に立ち向かった聖人です。 ![]() 階段を登りながら至近距離でゆっくりと見ることが出来ます。 ![]() ![]() 当然ですがイスタンブールのローマ帝国時代のフレスコ画とは、 全然趣が違いますねぇ。。。 最後の登り、高さ55.5メートルの天井部分 ![]() ちょうどこの部分にあたるかと ![]() 最上部のドームの天井画 ![]() 鳩が描かれていました。 さて下へ降ります。 中央の主祭壇 ![]() ドイツ的というよりはローマの教会に近いですね。 こうして興味はつきませんがカールス教会を後にしました。 次はユーゲント・シュティルの建築を見に行きます、つづく。 最終更新日時 2012年1月30日 23時43分9秒 |一覧| |