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(abi.abiさんより頂きました) ようこそいらっしゃいました この日記は、書評、映画評、平和論、考古学、旅の記録等何でもありの「ごった煮」日記です。 別にここは議論をするためのプログではありませんが、異論反論は歓迎いたします。 ただ私が「信頼して議論できる相手ではない」と判断した場合にはスルーさせてもらうことがあります。 もちろん、私がコメントしたりTBを送らせて貰った相手は無条件で異論反論に付き合わせてもらいます。(自分の家に招待して相手をしないなんて失礼ですものね) この方針は私の私生活の時間の確保のためです。 あしからずご了承ください。 なお、誹謗中傷、迷惑のコメント・TBは削除させてもらいます。 ![]() 九条を守ろう!プロガーズ・リンク ![]() Under the Sunに行こう くまの日記 [全1314件]
上巻の感想を書いて時間が経ってしまいました。 この世界の片隅に(中)双葉社 こうの史代 呉の北条家に嫁いで半年‥‥‥ 大好きな絵を描いていたら間諜に間違えられたり、 買出しに行ったら、迷子になってしまい、でも友達ができたり‥‥‥ 戦争という暗雲が周囲を色濃く染めていく中、 すずは健気に日々を生きる。 という帯の文句です。ともかく「この世界の片隅に」生活する少女とも言える新妻の日常を、時にはコント風に、時には抒情的に、時にはいろはカルタの形を借りて、描いている巻です。初恋の青年との悲しい別れも織り込みながら、すこしづつ嫁ぎ先になじんでいくすずが可愛く、愛おしくなってきます。 この世界の片隅に(下)双葉社 こうの史代 そして下巻に入っていきます。 「正直描き終えられるとは思いませんでした」と作者が言うように、この巻は読むのがつらい場面が続きます。この巻では呉大空襲、そしてすずの実家にピカが落ちる。大事なものをたくさんなくし、大切な人も奇跡的に生きて、何がおきているのか良く分らないまま戦争が終わる。すずがすずらしく生きることの出来る一つの手段だった絵を描く右手は姪の命と共に吹っ飛ぶ。すずは偶然にも広島で被爆しなかったけれども、被爆直後に広島に行った近所のオバサンの具合が悪いことも絵の片隅に描かれている。 この世界の片隅に生きる。 台風がやってきた日に、死んだと思っていた家族や妹の消息が分る。 彼らは台風一過の朝に呟くのだ。 「ハハハ冴えんのう」「まさか今さら来るとはのう」「もう一月も前に終わったのに」「大いばりで」「ほんまに迷惑な神風じゃ!」 みんなが笑うて暮らせりゃいいのにねえ かって嫁ぎ先のお母さんが呟いた言葉である。 つらい毎日に笑うことが出来る。 この微妙な間をドラマにすることは可能だろうか。 昭和21年1月の最後の章は見事だった。このものがたりの最初と最後を見事に対として描き、そして喪った命と自分の右手を、言い換えれば「希望」を見つけるラストである。最後の最後でカラーで描くページが美しい。
「ワルキューレ」はエンタメにも徹せず、重厚な史劇にも徹することが出来なかった残念作であったが、冒頭の三分間だけは、兵器マニアが「今までに見たことも無い凝りに凝った映像だった」と絶賛していていたのが、偶然にも今日の話でした。彼が私に聞くのです。 「もしあの作戦が成功していたならば、歴史は変わっていたのだろうか」 私は「そりゃあ‥‥‥」と言いよどんで思いつきを言います。 「変わっていたでしょう。成功してもしなくてもドイツ敗北という歴史的事実は変わらなかったとしても、あのテロが成功していたならば、かなりのドイツナチの保守派が戦後生き延びたはず。そうしたら、今のドイツのように戦争責任を徹底的に追及するような国柄にならずに、いまの日本のような国になっていたと思う」 あの映画がもしそういうところまで感じさせるような史劇だったら、私は高く評価したのであるが。 さて、タランティーノのナチ幹部全員暗殺計画は果たしてどうであったか。 ![]() 監督・脚本 : クエンティン・タランティーノ 出演 : ブラッド・ピット 、 メラニー・ロラン 、 クリストフ・ヴァルツ 、 ダニエル・ブリュール 、 イーライ・ロス 、 ダイアン・クルーガー 、 ジュリー・ドレフュス エンタメ映画というは、まさにこういうふうに作るのでしょう。始まりの音楽は何か知らないのですが、なんとなく欧風映画の雰囲気たっぷり。「キル・ビル」第一部は邦画、第二部は西部劇、そしてこれは元映画の薀蓄は誰かに語ってもらうとして、スパイモノや刑事モノ、サスペンスのエッセンスをうまく取り入れた心理映画になっています。特に途中で帰ったら全額返金ということを全く忘れさせる中盤のクライマックスは素晴らしい展開でした。途中充分存在感を持って出てきた登場人物が一瞬の間にいなくなるあの結末には痺れました。この映画、皆キャラが立っているのですが、なんと生き残るのはたった三人。これはまさか「七人の侍」を意識しているのでしょうか。
「ゼロの焦点」にしようか、これにしようか、迷ったのですが、ネットの評判はこちらの方がよかったので、見損なったときに後悔すると思いこちらに。 監督 : 水田伸生 脚本 : 宮藤官九郎 出演 : 阿部サダヲ 、 瑛太 、 竹内結子 、 塚本高史 、 皆川猿時 、 片桐はいり 、 鈴木砂羽 、 カンニング竹山 、 高橋ジョージ 、 陣内孝則 ずっと連敗続きだったクドカン節も前回の「メリケンサック」でお払いできたので、ある程度は期待していたのですが、やっぱり私はクドカンは苦手なようです。 悪くはありませんでした。そこそこ笑わせてもらって、そこそこいい話しだなあ、と思ったのですが、どうも登場人物全員に感情移入できないんですよね。 イヤ、それは当然といえば当然であって、この登場人物たち全員「にせもの」というキーワードですべて登場しているんです。いつも本当に笑ったことの無いお兄ちゃん、プチ整形で帰ってきた子持ち娘、偽兄弟漫才師、本当は信じていない近所の商店街の人々、「薄ら寒い」演説しかできない環境大臣‥‥‥。そういう痛々しい人間性を見せながら、なおかつ笑え、という。泣け、という。そういう作り方にどうも付いていけない。ヒットしてるのだから、世の人の感性と私の感性が違うということなのでしょう。唯一感情移入できたのが、ますます子役演技にみがきがかかってきた森迫永依でした。末おそろし。 竹内結子は「サイドカーに犬」のときと同じように、時々啖呵をきったりしていい女になりました。
先週の土曜日の午後、少し時間が出来たので、ひさしぶりに古代吉備文化財センターに行って見ました。「まがね吹く」という枕詞で有名な吉備の中山に上って黒住教本部を右手に見ながら少し行くと、一寸立派な建物があります。 ![]() ここは最近になって土曜日曜も開館するようになりました。(無料です)小さいながらも貴重な遺物をたくさん展示しているのですが、平日のみ開館だと人が来ないのは当たり前です。土曜の午後、それでもやはり宣伝が足りないみたいで、30分ほど居たけどその間誰も観覧者はいませんでした。 ![]() 時々展示替えがあり、三ヶ月に一回ぐらいでテーマ展示があります。今回展示替えで「遊びの遺物」を展示していました。平安時代の碁石とか、おはじきとか、興味深いものはあったのですが、毬杖(ぎっちょう)なるものもありました。木の枝を利用した杖を使って毬を相手陣に打ち込む遊びだそうです。江戸時代まで正月の遊びとして親しまれていたそうです。写真は平安時代のものです。将棋や囲碁は明らかに擬似戦闘、国盗り物語ですが、この遊びは何のまねなのでしょうか。 ![]() ここからすぐの足守川加茂A遺跡から発掘された蛇の体に人面が付いた土器。なんなのでしょうね(レプリカではなく本物です) ![]() 今回のテーマは「海を越えた交流」。弥生時代の百間川遺跡からは韓国の松菊里遺跡に酷似した遺跡が多く、土器も多いそうです。韓国西海岸の長い航海を終え、北九州に何故かとどまらずに瀬戸内水道を漂ってこの吉備の里に居を構えた渡来人の気持ちにほんの一瞬寄り添いました。 ![]() 上東遺跡にも朝鮮系遺物や技術が多くわたっています。ここでは、波止場あとが発見されたことで有名ですが、その技術も朝鮮系ならば、骨占いも朝鮮系です。また、このような刻骨(楽器?)も朝鮮系です。 ![]() 5世紀の薬師遺跡から多くの鉄製品が出土しました。鍛冶場があったと推測されています。これは出土した鐙。 財政難の昨今、どこの文化財センターも大変でしょうが、兵庫とか鳥取のことを考えると、もっと予算がほしい。
今年も新語・流行語大賞の時期がやってきました。 今年の60の候補を挙げているホームページはここです。 その中からベスト10と大賞が選ばれるわけですが、個人的にベスト10なってもらいたいものを挙げてみました。 定額給付金 1人当たり一律1万2000円、18歳以下と65歳以上には8000円を上乗せ。麻生政権の目玉政策の一つになるはずだったが、選挙対策のバラマキと批判を浴びたり、「低額給付金」と揶揄されたり。申請締切りの全国的なピークである9月・10月を過ぎても未申請者が約1割という実態も。 年越し派遣村 ホームレス支援や非正規雇用の問題に取り組む大小のグループと労組が手を携える形で実現した、2008年歳末の給食所。厚生労働省の隣、東京・日比谷公園に設けられた仮設テントには6日間で、登録ボランティア約1700人、支援金は4400万円にのぼった。 派遣切り リーマンショック以降の急激な雇用調整において、パートタイマーや派遣労働者など非正規労働者は真っ先に雇用調整の対象となった。まず削減の対象となったのは派遣労働者で、特に生産の落込みが激しかった自動車や電機など製造業の派遣労働者は真っ先に削減されることに。 貧困 経済的理由により最低限度の生活を営むことが困難になる状態。貧困線すれすれの生活しかできない人々を一般に「ワーキング・プア」と呼ぶが、日本では貧困線の定義が不明確なために正確な数を特定できない。一方で、リストラによる失業や離婚にともなう母子世帯の増加によって、「子どもの貧困」も問題になっている。 宇宙人 鳩山首相には、かねてから「宇宙人」というニックネームがある。変人と呼ばれた小泉純一郎が首相だった当時の参院選挙のとき、「私は宇宙人と呼ばれている。宇宙人と変人の一騎打ちとみてもらって結構」と自ら発言。 裁判員裁判 「裁判の迅速化・民主化」という名目の下に2009年5月にスタート。法務省は「未来の裁判員を育てる」として、08年9月から検察官や刑務官による「出前授業」を全国の小中高でスタートさせている。厳罰化に向けて舵を切りたい国の片棒を国民に担がせる制度だという声も。 政権交代 8月30日の第45回衆院総選挙。自民党は300から119へと議席を激減させ惨敗。一方、民主党は115から308へと議席を大きく伸ばして圧勝した。投票率は69.3%。総選挙の結果を踏まえて、9月16日、鳩山由紀夫を首班とする民主党内閣が発足した。選挙による政権交代が実現したのは初めてのこと。 事業仕分け 国や地方自治体が行う個別の事業について、公開の場で必要性や効率的な実施方法を議論する手法。各事業を「不要」「民間に委託」「国ではなく都道府県が行うべき」などと仕分けする。「仕分け人」と呼ばれるのは公務員OBなど、民間人。民主党新政権の下、行政刷新会議はこの手法を用いて、概算要求に盛り込まれた事業の必要性などを判定していく。 核なき世界 オバマ大統領は2009年4月、チェコのプラハでの演説において「核兵器のない世界」を目指すことを表明して、世界から注目された。核兵器を使用した唯一の大国として行動する、道義的責任にも触れた。これによりオバマ大統領はノーベル平和賞が決まった。 歴女(レキジョ) 『三国志』や戦国時代をテーマにした映画やゲームが増え、原作本を読み始めて「歴史通」になる女性が増えてきた。小日向えりら歴史好きのアイドルは「歴ドル」と呼ばれる。 ちなみに全60候補は以下の通りです。 ●エコカー減税●エコポイント●コンビニ受診●1000円高速●ゼロゼロ物件●990円ジーンズ●定額給付金●年越し派遣村●派遣切り●貧困●ハウジングプア●宇宙人●小沢ガールズ●オバマ政権●故人献金●裁判員裁判●政権交代●事業仕分け●脱官僚●チェンジ●25%削減●ばらまき●飛翔体●DNA鑑定●UFOで金星に●核なき世界●アシュラー●あぶり●ぼやき●あると思います●育成選手●1Q84●乙男(オトメン)●カツマー●家電芸人●実物大ガンダム●キング・オブ・ポップ●国営マンガ喫茶●こども店長●婚活●こんなところ来とうはなかった●侍ジャパン●女子力●シルバーウィーク●新型インフルエンザ●セクスィー部長●草食男子●草食系/肉食系●トゥース●ノギャル●のりピーショック●のり塩事件●パンデミック●ひな壇芸人●ファストファッション●弁当男子●マー君神の子●八ッ場ダム●離カツ(離活)●歴女(レキジョ)
加藤周一自選集(1(1937ー1954))より第二弾です。 加藤周一の「天皇制を論ず」は、戦後最も早い時期に現れた天皇制批判の文章である。掲載は東京大学内のある財団法人「大学新聞」1946年3月21号であった。「不合理主義の源泉 問題は天皇制であって天皇ではない」の表題のあとにこの題名がついている。筆名は荒井作之助。 話はずれるが、この東京「大学新聞」は戦前から現代までずっと刊行し続けられている、独立採算で会社組織になっているおそらく唯一の大学新聞である。私が作っていたような大学新聞とは中身も部数も影響力も違う。時代が下って、かつて映画「精神」の監督の想田和弘もここの編集長をしていたらしい。あまりもの激務に一時統合失調症にかかった。それで新聞社をやめたわけである。これが彼をして「精神」を撮らせた動機にもなっている。 その「大学新聞」に加藤周一は明確に断じる。 「天皇制は何故やめなければならないのか。理由は簡単である。天皇制は戦争の原因であったし、やめなければ、又戦争の原因となるかもしれないからである」 加藤は天皇制廃止の理由を述べた後に廃止反対論の無意味なことを示していく。非常に論理的な文章である。筆名荒井作之助。「(疎開先の)追分で世話になった農民の名前をそのまま筆名とした」らしい。実在した農民の名前を筆名としたのは、「虐げられてきた農民の立場で天皇制を論じたかったのだろう」と編者の鷲巣氏は言う。 支配者層は、降伏か抗戦かを考えたとき日本人民の命を考えたのではなく、ひとり天皇の地位についてのみ考えた。廃止すれば(天皇の地位の)混乱が起きるという意見に対し、加藤は「戦争を迎えるのは沈黙をもってし、天皇制の廃止を称うに混乱を以ってする者は恥を知れと云いたい」と書いた。穏やかで理性的な加藤の文章の70年の著作の中で、もっとも激烈な言葉がここに書かれている。 戦争に対する怒り、それが加藤周一の出発点だった。そしてそれは生涯変わらなかった。 今回初めて収録された、同じ筆名で書かれた「天皇制について」という文章がある。(「女性改造」1946年6月号)天皇制とは封建体制そのものである、とその根本を説明し、天皇制を支持する「国民感情」が根強くあることを認めながらも、この文章ではとくに女性たちに対して分かりやすく情熱的に訴える。 「面を起こそう」「あなた方を真に美しくするものは、理性と勇気、時と場合によっては屈せざる反抗の精神である」
加藤周一自選集(1(1937ー1954)) 自選集1より私が自ら選んで(^^;)いくつかをコメントしたい。なお、この自選集「木下杢太郎の方法」に加藤周一は「このような歴史的人物(木下杢太郎のこと)を称ぶには敬称を省くのが敬意を表する所以だと思うから、旧師の一人を称ぶに私は敬称を省く」と書いている。それに習い、私も加藤周一を語るにこれからは敬称を省きたいと思う。 1938年(昭和13年)旧制一高時代文芸部の雑誌「校友会雑誌」に加藤は三篇小説を寄稿しているらしいが、その一篇が「正月」である。 高校生になった「私」が小学時代から親しくしている恩師を訪ねる、という内容の小編である。この恩師「秋元先生」は「羊の歌」に描かれる小学四年のときの担任「松本先生」に違いない、と解説の鷲巣氏は言う。「よく事実を見なければならない」ことを生徒に教え、加藤氏はその人柄を好み、その知識を敬っていた。 学校のこと等を少し話したあとで、私は想出した様に最近大学を辞職された某教授のことに触れた。すると先生は、国の方針と意見がちがえば仕方がない、という意味のことを簡単に言われた。それは、現在、この国の社会的傾向に対する種々の立場の問題を含んでいるはずであった。のみならず教育と云う点にあらわれたそれ等の立場の問題として、必然的に私たちの関心を要求するはずであった。―すくなくとも、仕方ないと云う答以上のものを望んでいた私は肩透かしを喰わせられた様な気分を味わった。 感じたことは二つ。ひとつは、この「最近大学を辞職された某教授」は東京大学教授矢内原忠雄氏(親友矢内原伊作の父)の1937年12月の辞職を示しているのに間違いない。だから次の年の正月の話題としてはまったく普通であった。しかし、いかに高校生の書く小説といえども、非常に大胆だとは思う。あきらかに「私」は某教授の辞職に批判的である。そういう小説を発表し、当局が目をつければ学生加藤周一にはいろいろと不便なことがおきるだろう。小説はそういうこともある程度覚悟した上で書かれている「落ち着き」があった。そこに居るのは、18歳にしてすでに自立した一個の社会的な青年の姿である。ひとつは、自分の成長と、社会の矛盾、そしてそのバランスをすでに客観的に書くことが出来るところまで成長している、早熟な文学青年だという点である。この小説は掌編ということもあったが、まとまっていて、読み応えがあった。(私には漱石の影響を感じたが、確信はない) このときの社会状況と、青年(少年?)加藤周一の思想変遷はもう少し綿密に研究する必要があるのかもしれないが、今はその余裕がない。
今では誰も使っていない古いタイプライターが英語でタイトルを示す。 そしてジャズが流れて英語で主要登場人物の字幕が。 なんとも古臭いハードボイルド映画っぽい始まり。いやな予感が。 話の筋はこんなカンジ。 札幌市内のアパートで女性警官の変死体が発見された。まもなく被害者の元交際相手の巡査部長・津久井に容疑が掛けられ、さらに異例の射殺命令までも下される。かつて津久井と同じ任務にあたったことのある警部補・佐伯は、この一連の流れに違和感をもち、女性刑事の小島、新人刑事・新宮ら信頼できる仲間とともに秘密裏に捜査を始める。やがて、彼らは北海道警察内部に隠された闇に踏み込んでいくのだったが……。(goo映画) 監督・脚本 : 角川春樹 原作 : 佐々木譲 出演 : 大森南朋 、 松雪泰子 、 宮迫博之 事前情報は何度か流れたCMだけ。まさか監督・脚本がこの人だと知っていたならば見なかっただろうと思う。本来ならば、もっとシリアスに、リアルに出来たはずの内容を、わざわざ区切るような台詞回しに直して、途中で臭いセリフを何度も言わせ、何度も行なわれるどんでん返しも全然予想外ではない。これだけの役者を揃えながら、あんな学芸会並みの演技をさせるなんてこの人の美意識はいったいなんなのだろう。映画の出来はどうでもいいから、かっこよく絵を作りたいだけなんだろうか。 ラスト10分間の脚本のなんと「意味のない」ことか。あれほどの意味のない脚本はちょっと見たことが無い。いやあ、ちょっと凄いものを見たかもしれない。
加藤周一自選集(1(1937ー1954)) 9月より岩波書店から加藤周一自選集の刊行が始まった。すでに平凡社から「加藤周一著作集」24巻がでており、「加藤周一セレクション」も平凡社文庫から出ている。では、なぜ「全集」ではなく、「自選集」なのか。私は大いに疑問を持っている。もうこれで「全集」の出る目は八割以上なくなった。 編集方針は第一巻の「刊行にあたって」に詳しい。 編集会議は2007年夏より始まったらしい。初期には加藤周一本人が積極的にかかわっている。加藤氏はこれによって、「70年余の「著作活動の軌跡」をたどり、かつ自分自身を「定義」する選集として編む」ことを望み、読者のためにも著作集やセレクションと違う編集方針で編むことを望んだらしい。よって、今までとは違い、基本的に発表年代順に著作が並ぶ。 他の方針として、 ひとつ、著作に限定して収め、対談や講演などは収めない。 ひとつ、安く手に入る代表作「羊の歌」「日本文学史序説」「日本その心とかたち」「日本文化における時間と空間」は割愛する。 ひとつ、既刊の評論集や著作集に収録されなかった著作からも、加藤氏を定義するに必要な著作を収めるように努める。 ひとつ、加藤氏が執筆を切望していた「鴎外・茂吉・杢太郎」に関連する著作を多く集めるように努める。 ひとつ、外国語著作は収めない。 全集でない以上、それらの編集方針は当然だろうと思う。そうでないと、当然全10巻という範囲では収めることは出来なかっただろう。けれども、これだけの説明では「なぜあの重要な著作が選から漏れているのか」ということの説明にはなっていない。たとえば、初期の代表的な評論集「1946文学的考察」からは三篇しか収録がなくて、「1945年のヴェルギリウス」は洩れている。私はこの中の「予言者カッサンドラの悲しい運命こそは、歴史に於ける理性の役割を、実に鮮やかに象徴するものであろう。」という言葉に大きな意味を感じているものである。カッサンドラという言葉を加藤周一は後々も使っていく。預言者としての知識人の役割を最初から意識していたことの現れであったはずである。このことは、加藤周一を「定義」するうえで重要なことではないのか。また、50年発表の小説「ある晴れた日に」も洩れた。もちろんこれは、岩波現代文庫から最近刊行されたからであろう。よって納得している。この年の重要な文学評論で長く絶版になっている「文学とは何か」も洩れている。加藤氏の最初期の全般的な文学評論であり、これこそ加藤氏を「定義」するために自選集に入れるべきだった。何が問題だったのか、編者の鷲巣力氏にはぜひとも明らかにしてもらいたいと思う。 それでも、この自選集は面白かった。この自選集によって初めて目にすることの出来た著作があったからである。17歳のときのあまりにも専門的な映画評や18歳のときの小説「正月」。あるいは、日本で最初期の天皇制批判「天皇制を論ず」の直後に書かれた1946年6月の「天皇制について」。あるいは、初めてのサルトル論51年「ジャン・ポール・サルトル」を読むことが出来るのは喜びであり貴重である。 もちろん、もう気がついていると思いますが、私の加藤周一に関する記事は、一般の人の関心とは少しずれていて、いつかはモノにしたい「加藤周一論」のためのメモ書きのようなものなので、他の人が読んでおそらく、この自選集への不満や「喜びであり貴重である」感情は生まれないだろうということも自覚しています。加藤周一に関しては、少しミーハー的な文章にならざるをえないのですが、ご勘弁ください。まあ、私のブログは半分以上はこれだけではなくて、考古学関係やらミーハー的な「不親切な文章」なのです。 鷲巣「刊行にあたって」でこのように書いています。 加藤氏の著作は、文意は明瞭、視点は斬新である。かつ美しく、精確な文で表現される。詩人の魂と科学者の方法を兼ね備えた稀有な作家であった。加藤氏はまた終生変わらず、少数者として矜持を保って発言し続け、弱者を理解する姿勢を崩さなかった。大言壮語を嫌い、語るときはつねに声低く語った。これらはまさに「加藤周一の精神」の表れである。 私もまた、そう思う。 せっかくなので、以後「自選集1」から幾つか文章を選んでコメントしたい。
映画で初めて失敗しました。 劇場が暗くなる。予告が始まる。ついに本編が始まる。さあ、というときになんだか違う映像。あれ、まだ予告編だったかな。やがて気がつきます。ああ、間違えてチケット買ってしまった。 あまりよく題名を覚えていなかったのです。「ムーン」という文字だけで反応してチケットを買ってしまいました。去年の「トワイライト」がよかったので、この時間帯でちょうどいい映画ということで、「ムーン・ウォーカー」という映画のチケットを買ったのです。次回作は吸血鬼に狼男が絡む話だということは知っていたので、月を見て変身する狼男が出てくる「ムーンなんちゃら」という題名だと思っていたのです。今週から公開だったかな、と思っていたのです。 最近よく見る顔が突然舞台で歌いだします。どうやら「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」にタイアップした「ムーン・ウォーカー」だったようです。(1988作品) 監督 : ジェリー・クレイマー 、 コリン・シルバース 原案・製作総指揮 : マイケル・ジャクソン 出演 : マイケル・ジャクソン 、 ジョー・ペシ 、 ショーン・レノン 一応物語はあるみたいですが、物語なんかくっつけなかったら良かったと思えるくらい破たんしています。普通のいいところどりのミュージックビデオです。マイケルの歌と踊りを初めて見たのですが、あれが早送りとか、スローモーションとか使っていないのであれば、確かにすごいダンサーなんだなあ、と思います。途中で帰るのも、なんだか周りにいるマイケルファンに悪い気がして出ることができませんでした。たぶん「THIS IS IT」はこんな雑な作りではないのだろうとは思いますが、私は決して見ることはないでしょう。 ちなみに今日見ようとした映画は「ニュームーン/トワイライト・サーガ」でした。11/28公開だそうです。 |一覧| |
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