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「とんび」重松清 角川文庫 健介の寝顔に目を戻し、息を大きくついた。よし、よし、とまた二度頷いた。 「親が子どもにしてやらんといけんことは、たったの一つしかありゃあせんのよ」 「…なに?」 「子ども寂しい思いをさせるな」 海になれ。 遠い昔、海雲和尚に言われたのだ。 子どもの悲しさを呑み込み、子どもの寂しさを呑み込む、海になれ。 なれたのかどうかはわからない。それでも、その言葉を忘れたことはない。(405p) NHKのドラマは観ていないが、ロケ地になった西大寺五福通りと今回六ちゃんを嫁に送り出す堤真一の「ALWAYS 三丁目の夕日'64」は観た。それで脳内ドラマは完璧だったと思う。海が見えるお寺はこの前行った尾道にさせて貰った。 後半からは、(周りに人がいるので嗚咽は出来なかったが)洟をすすりつづけた。 私に子どもはいない。けれども(今は亡き)親はいる。ヤスさんとタイプは違うけれども、共感する処多かった。 ベタベタの父子物語たけど、悪い気はしない。騙された気はしない。途中から「理」のスジは押しやられて「情」のスジが私を通って行った。 2012年3月4日読了
某吉本芸人の母親生活保護受給問題で、今日うんざりするようなことがあった。私のツイッターのフォロワーは一様に批判的なのであるが、世の中はそんな風には動かない。 @ocha1978: 「認識甘かった」 河本さん、生活保護受給問題で会見 http://t.co/SUbvh36a 不正受給でもないのになぜ保護費を返還させられるんだ? 問題は、これによって一般の生活保護受給パッシングに拍車がかかるのでないか、ということだ。つまり以下のようなことも起きそうな気がする。 @ssk_ryo: 窓口で、「あなたが困窮してることは分かったが、貴方の親(子)が扶養できないことが明らかになる資料を示してください」と言われて、諦める人続出、という最悪のシナリオも。 →最も、もう既にそうなっている。私は幾人か生活保護決定にかかわったことがあるが、その貧しい経験でもこんなのがあった。20年近く家族から離れていて、タコ部屋のような職場だったとはいえリストラされ、このままではホームレス必死なのにも関わらず生活保護申請しない、という人がいた。申請すると、必ず家族に連絡が行く。縁切られたのだから、それも嫌だし、踏み倒した借金取りが来るのも怖かった。来たら来たで破産宣言すればいい、等々色々言ってやっと申請した人がいた。ホームレス寸前の人でも色々事情を抱えている、いわんやホームレスをや。 某芸人もこういう「事情」を言っていた。 @ocha1978: 「もっと努力して早く生活保護から抜け出させてあげたかったが、家族を養える分の年収を得られなかった間、保護を受けていた。情けなくて、恥ずかしい」不正など無かったにもかかわらず、謝罪を強要し生活保護は「情けなく恥ずかしい」ものだと公の場で言わせるこの社会。怒りで震える。 フォロワーの言うとおりである。 人の不幸は人の数だけの種類の不幸がある。「その不幸の原因が全て社会のせいだ」とは私は思わない。人間は社会によってのみ規定されるものではない。 しかし、不幸を取り囲む様に社会が原因を作って来た様は見える。 例えば、長い間個人の不幸の緩衝地帯だったムラや隣近所の「共同体」は、高度経済成長の邪魔になるということで次々と解体されて来たのが、このほんの60年間の歴史である。梯子を外して置いて、その間に整備して来た「近代的」な社会保障制度は縮小しようというのが財界の意向である。何故ならば、財界は資本そのものだから、人間の運命なんてどうでもいい、利益が上がりさえすればいい。政府は財界のいいなりだから、それに沿ってきちんと法整備をするだろう。現在、親族は生活保護申請者を扶養をする義務はないとはいえ、「配慮する」等々の「通達」ぐらいはだすかもしれない。 例えば、こういうツィートもあった。@1Q89reader芸人河本の母親の生活保護問題だけど、実はこの手の議論って1970年代にアメリカで既に起きていたらしい。ロールズとサムエルソンが絶頂期の時代。議員の母だか祖母だかが無収入を理由に社会保障サービスを受けていた事を槍玉に挙げられて、これをきっかけに世論が社会保障削減に舵を切る事になる。 今回、生活保護パッシングも、片山さつきやら、一部ジャーナリストが「仕掛けた」可能性は充分にあるだろう。生活保護費用を切り下げる方向にこれから進むだろう(実際、検討されている)。 別に資本家でも無い庶民の私たちは、情報が届かないで、よくわからないから、情報が揃っている政府や財界、一部ジャーナリストの立場に立つべきだろうか。それとも、次のように考えるべきだろうか。「よくわからないけれども、まだその事情を知らないだけなのだ。知れば、助ける道をもしかしたら示せるかもしれない」私たちは、常に弱者の立場に立つべきなのではないか。 ![]()
![]() 『男は旗』光文社文庫 稲見一良 船上レストラン兼ホテルのシリウス号に次々と個性的な面々が集い、冒険目指し出港する。 稲見一良9冊の単行本のうち、5冊目に当たる本書は、まだ体力を保っていた頃の最後の長編。切れは無いけど、愛しい登場人物たちが縦横に活躍する。 日系三世の美少女シャーリーが出港を前に二式飛行艇を博物館からまんまと盗み出す。切実な必要に迫られての盗みではない。遊びである。しかし稲見一良は、二冊目の長編「ソー・ザップ!」でもそれぞれの技を競い合っての四人と一人が命のやり取りをした。いうなれば命をかけた「遊び」であった。短編では、まるで遊びのように老人と少年が米軍基地から米軍機を盗み出すラストもあった。 社会倫理から無縁の所で、男の「美しさ」を求めた稀有の小説群が稲見一良の小説だろうと思う。 「変なことを伺いますが、ブックさんが書いてこられた小説はどんなものですか?いわゆる純文学というやつですか?」 「初めから終わりまで、つまらない言葉の羅列に尽きるシロモノをジュンブンガクという。だが、眠れない夜、睡眠剤として効果がある、と言った男がいる。第一、純文学とか通俗文学なんて区別するのは日本だけだ。私が書きたいと思うのは、ハルヲ・サトーのいう″根も葉もない嘘八百″ だ。物語の中の男や女 と一緒になって、ワクワクドキドキする小説だ」(219p) 2012年5月8日読了
「おそろし 三島屋変調百物語事始」宮部みゆき 角川文庫 さて、世にも怪奇な物語をひょんなことから17歳のおちかが聴き取る事に相成りました。とは言え、まだ五話でございます、これからまだまだ続くというこの話、そもそも何故おちかが怪奇話を聴くやうになったかといへば、おちか自身がとっても恐く、おそろしく目に遭ひ、或いは、恐く、おそろしい事をしたからでございます。ショックを受けて心を閉ざしがちになった姪を江戸に引き取り、元気つけようとして、主人の三島屋伊兵衛がショック療法で始めたモノなのでございます、処が、怪奇は、一回話を聴くだけでは収まらず、なかなか大変なことになって参ります、詳しくは読んで頂くとして、それでおりくは、何故か、元気になって行くのでございます。 このお話の作者の意図を、解説で縄田一男うじが、見事に書いていらっしゃいます。それを書き写して、私の簡単な話の紹介に変えさせて頂きたく思います。 戦後の高度成長期からバブル期にかけて、来世に地獄も極楽も無いと割り切ってしまった時点で、物質的豊かさに溺れ、現世に極楽を見いだすべく奔走に奔走を重ね、かえって地獄を作り出してしまった日本人そのものの姿ではないか。 また書きての側からいえば、戦前はお金は無くても心があった時代であり、戦後は心は無くてもお金があった時代。そして平成の今は、心もお金もなくなった時代。宮部みゆきは、その乱離骨灰と化した日本の荒野に、人間のあるべき姿を取り戻すべく、物語を書き続けているのではあるまいか。(489p)
「邪馬台国と纒向遺跡」奈良県立図書情報館編 2009年のシンポジウム記録であるが、去年の夏の発行。当然纒向遺跡で発見された大型建物に関して専門家の討論の記録です。 去年桜井市を旅したし、類似の本は幾らかよんだのだが、たくさん発見があり、とても興味深かった。 とりあえず、 興味深い部分を抜き書き。 (橋本輝彦) 西暦200年ごろは,今回の施設がつくられたが、260-270年ぐらい中心的な施設は、渋谷向山古墳と珠城山古墳の間に 移るだろう。 ![]() 纒向のひと は、農業を全くしなかった?!農耕具、水田跡かない。 掘立柱形式建物は多いが、ピークを過ぎてやっと竪穴式住居が出現。ここにいたひとは、地べたに住まないひと、身分の高いひとばかり住んでいたのではないか。 朝鮮土器は、三世紀中が出土。 ベニバナは、染め物の染料に使った廃液の中にあったのだろう。三世紀中の溝から発見。日本国内に自生しないもの。ベニバナ染めは、高度な技術が必要。大陸の技術者の存在がうかがえる。 ![]() 今回の神殿状建物は予測されて出た。 (写真参照) (石野博信) 纒向遺跡が出来る直前、銅鐸を叩き壊すということがいろんなところで出土。纒向の人たちは、よっぽど厳しい人間ではないか。(今までの神様の否定を先ず行っている) 穴に埋めたのは、従わない村だったのでは。 ![]() 卑弥呼の居館の予測(写真参照) この地域、三世紀前半から120-130年の間に26もの古墳が作られている。数が多い。もしかしたら、同時に二基づつ作られているのでは。祭司担当と政治担当のヒメ・ヒコ制だったのでは。 (シンポジウム) 辰巳 建物は石塚古墳とセットだった。 わさわさ倭人伝が卑弥呼のところで「鬼道を事とし」と記述するのは、この段階に宗教的な画期があったのだろう。鬼道は、おそらく祖先の祭りを行うことで、不老長寿、子孫繁栄、立身出世、富貴栄華というある意味で現世利益的な宗教で、それを神仙界として観察したのだろう。 石野 纒向は物流センター、最も広域のそれだったのでは。 辰巳 唐古・鍵では何故だめだったかというと、銅鐸の生産や信仰を引きずっている集団とは全く違ったものとして、新しくつくらなければならなかった。 橋本 甕の地元生産は、7対3 で三割が纒向周辺の土で作られている。一定期間住み着いてはいるが、あるていどで、絶えず人間が入れ替わっていた。
![]() さて、ご多聞に漏れず私も金環食見に行きました。初日の出スポットの鷲羽山展望台です。瀬戸大橋をバックにいい写真が取れるのではないかと目論んだのですが、 バックになっただけでした。 ![]() 7時過ぎに着いたら既に大分かけていた。ピークは18分くらいだったらしい。 ![]() 周りは少し薄暗くなり、少し肌寒くなった。ラジオでは、カラスの大合唱が始まった、と言っていた。 写真はことごとく失敗。きちんと準備しなくちゃ駄目ね。これはピークが過ぎたころに、若者から大きな専用下敷きを借りて映したもの。 私が今回こだわったのは、これが卑弥呼等に始まる弥生後期のシャーマンたちの権威付けに使うことが出来たかどうか、ということである。 しかし、印象としては、世が変わると云う印象はない。古代、言われなければ気がつかなかったろう。やはり、金環食ではダメで、日食で無いと、古代、インパクトある預言者にはなれなかったか。 いや、それとも、此れを見越して「私がこの程度で済ませたのだ」というか。おお、それならば、有り難みがもっと増すかもしれない。 ともかくいい経験をさせてもらった。
「書店ガール」碧野圭 PHP文芸文庫 本屋が本をきれいに並べないでどうする。魚屋が魚を、八百屋が野菜を綺麗に並べるのと同じことだ。こうしてきちんと本棚に並んでいると、お客様に取ってください、とスタンバイしているようじゃないの。みんなは平台ばかり気にするが、棚の並べ方だって大事なことだ。五ミリのラインで一直線に背を見せる。しおりの紐が背の側に垂れていないように、スリップは飛び出さないように本の最終ページに深く挟み込む。そういうことに気を配ってこそ、書店員だ。手を掛けて一段一段、綺麗になっていく棚を見るのは楽しい。掌の感触で本を実感する。忙しさにかまけて手を掛けないでいると、その棚のあたりは空気が淀んでくる気がする。(42p) 解説の北上次郎さんが、美味しいセリフを全部紹介したので、とりあえずこれを選びました。 書店員は前にも書いたが、憧れの職業である。この本を読むと、労多くして給料少なしということはわかるが、一冊の本の持っている「力」を信じているので、その「現場」には憧れるのだ。 今回は大野梢のような推理小説ではない。あえて言うと、お仕事小説だ。書店閉店の危機に反目しあっていた女達が団結するという話である。ありきたりの話ではあったが、楽しく読ませて頂いた。
「サイン会はいかが?」創元推理文庫 大崎 好きでないと勤まらない、よくそう言われるが、好きであることさえ忘れるようなめまぐるしい毎日だ。検品、品だし、レジ、返品、発注、そこに接客業の煩わしさや、売り上げの重圧がかかり、これ以上出来ない、と切れそうになるのはたびたび。激務の割りに低賃金でもある。辞めていく人も多い。 けれど、本をかいしてのささやかな出来事は、ときにたのしく、ときに刺激的で、ときにはほろりとさせてくれる。(292p) 本屋に勤めるのが、ささやかな夢である。大変な事は、このシリーズを読むとよく分かる。それでもその夢が色あせない。けれど、しがない岡山の地方都市には、書店の求人は一切ないのである。 このシリーズを読むのは、三冊目。すっかりファンではあるが、ホントは少し物足りない。日常の推理物はすきなのだが、ちょっと謎解きが「恣意的」、つまり北村薫の云う「本格的」ではないのである。短編集の今回は、それでもテンポが好いので、それも気にならなくなる。そして、私の「物足りなさ」は、作者の意図が私の思いとずれているからではないかと、今回気が付いた。 すごい書店、すごい売り場に憧れるものの、その「すごい」とはなんだろう。頭の中にはすぐにマニアックな専門書がずらりと並んだ都会の大型書店も浮かぶし、二坪ほどの小さな書店にぎっしり詰まった書棚もかすめる。でも自分が本当にやってみたい「すごい」とは、どちらからも離れているような気がする。そればかりか、「すごくなくてもいいから」という言葉が浮かび、大きく引っ張られた。 自分が目指したいのは、すごくなくてもいいから身近な人たちが笑顔をのぞかせてくれるような棚だ。(262p) あんまり「本格的」なのも本当は良くないのかもしれない。それは、いろんな事に通じる。
「貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告」新潮社 阿古智子 湖南省で初めて農村調査を行ったときから15年が経った。あの頃と比べると、農村の所得は確実に上昇している。しかし、それにもかかわらず、農民たちの満足感、幸福感はむしろ低下しているように思える。その要因の一つは、相対的な格差の拡大にある。(略)貧困の再生産と格差の固定化を助長する根幹の原因は、戸籍制度と土地制度にある。この様な差別的制度は一刻も早く廃止すべきであろう。しかし、本書が論じてきたように、事はそう簡単ではない。(186p) こういう本を読むと、中国を社会主義国の一つに数える事にためらいが生じてしまう。13億の人口を抱える国は、彼らを食わすために、戸籍制度を外すことを考えていないのだと阿古氏は言う。要は農村に魅力がないからそうなるのだが、そうやって自由を制限する事で、失うものをどれたけ中国共産党は自覚しているのだろうか。 無視出来ない隣の大人(たいじん)、の今まで見えてこなかった姿を社会学者の眼でレポートした本書は、それだけで貴重である。この若い学者のレポートをまた見たいと思った。
『コシノ洋装店ものがたり』小篠綾子 講談社α文庫 「小篠さん、電報!」 という声が柱時計の音とともに飛び込んで来ました。 それは父の危篤の知らせでした。父は列車の中で急に元気になり、一緒に行った人たちを驚かせていたのですが、調子に乗ってお酒を飲んでいるうちに急に倒れたらしいのです。 私はともかく、父と仲のよかったタバコ屋の大塚さんにそのことを知らせようと走って行きました。大塚さんの家は早朝にもかかわらず、玄関の戸が開いていました。 「おっちゃん、えらいことですねん。ちょっとこれ見て下さい」 と電報を見せようとすると、娘のみっちゃんが顔を出して、 「あっ、綾ちゃん。おっちゃん迎えにきたん。おっちゃんなら今帰らはったよ」 「何言うてるの。お父ちゃんは今危篤なんよ」 「そんなことあらへん」 と彼女は笑い出しました。 「その戸、開いていたやろ。うち、今、おっちゃんを送って行ったところやもん。おっちゃんな、朝一番の列車で温泉から戻ってきたところやなんて。綾子にこんな純毛ずくめの服着せられて、楽しかったと喜んではったわ。それに別れしなに、綾子を頼みまっさ、綾子を頼みまっさと何べんも言うてはった」 私は狐に包まれた思いで、国民服に酒の入った水筒を肩にかけた父が、 まだその辺りをうろうろしているような気がして探し回りましたが、出会うことはありませんでした。(160p) 朝ドラ「カーネーション」が終わってずいぶんとたった。原作本のこれは、実は二月には読み終わっていたのであるが、車の隅に隠れてしまってこれまで感想を書けないでいた。 読んで驚いた。 流石本人綾子さんが自ら「私を朝ドラのヒロインに」と、主張していただけはある。よくできているなあと思っていたエピソードのあれもこれも、実際にあった(或は本人が思っている)ことだったのである。一番ビックリしたのが冒頭に書き写したエピソードである。国民服もお酒の水筒も、父の幽霊も、ホントにあったのだ。と同時に、渡辺あやの見事な脚色にも唸った。 渡辺あやは微妙に原作の中味を変えている。綾子さんにとり、父親の存在がいかに大きかったか、というのは、大きく膨らませ、「Tさん」(周防さんのこと)との恋の部分は細かな設定を変えている。そもそも原作は関西弁を喋っている。私が「TVドラマ向きだ」と想像していた三女ミチコがロンドンに行ったときのエピソードはバッサリ省かれてしまった。後に綾子さんがロンドンへ十七個もの荷物を持って励ましに行ったときに、本当はミチコは気持が潰れかけていたが、素知らぬ顔で帰国したという。「このときの経験があったから頑張れた」とのちにミチコは語っている。 父親に顔を殴られて「これが男の力だ」と言われたのは、実際にあったが、散髪屋のおばちゃんから「今の勘助にあんたの図太さは毒や」と云われたエピソードは、その息子のことを含めて脚本家の創作だった。Tさんをめぐる家族会議でヒロコがハッキリ「お母ちゃんは悪くない」と味方したのは事実だけど、北村は創作上の人物。 女だけれども、女しか出来ない「だんじり」を担ぎ、一家の大黒柱として生き、親の背中を見て子は育つを実践し、岸和田でいい女振りで生き抜いた一生は、この本からも十分伝わって来ました。 ちなみに、TVでの『あの場面』はこうでした。@carnation_botより。 おばちゃん?(糸) ああ… そや あれ?(美) 何や(糸) そうや小原さん今、温泉行ってんのに何でや? うち今、喋っちゃあったわ(美) 何て?(糸) は?(美) お父ちゃん、何て言いよったん?(糸) …「糸子を、よろしゅう頼む」て(美) TVでは要らない説明は要らない。これで十分全てが通じたし、「たタバコ屋の大塚さん」という新しいキャラも出す必要がなかった。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |