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テーマ:映画館で観た映画(8310)
カテゴリ:洋画(05・06)
「イノセント・ボイス-12歳の戦場」
監督 : ルイス・マンドーキ 出演 : カルロス・パディジャ、レオノア・ヴァレラ、ホセ・マリア・ヤピスク、ダニエル・ヒメネス=カチョ 1980年、エルサルバドル。50年にわたる軍政に喘いでいた農民・労働者は反政府統一軍事組織(FMLN)をつくり、米軍に支援された政府軍との内戦に突入する。 11歳の少年チャバの住む処は町外れの谷沿い。そこにバラックがへばり付く様に建っていた。そこは政府軍とFMLNの境界にあるためか、夜に何の前触れも無く銃撃戦が始まる。家の中、流れ弾がひゅんひゅんと飛び交い、チャバは留守の母親の代わりに姉弟をベッドの下に隠す。泣き止まない幼い弟。爆弾の音。人が死んでいく声。ベッドの下で口紅で顔を塗りたくり、弟をあやすチャバ。 昼間は政府軍の監視下のもと、小学校の授業が続いていた。昼休み遊んでいると、突然校長先生が兵士とともにやってきて「次に名前が呼ばれたものは前に出る様に」と言う。彼らは知っている。このまま軍隊に連れて行かれて、前線につれられていくことを。お漏らしをする子供。逃げ出して射殺される子供。チャバは知っている。あと一年経って12歳になると自分も連れて行かれる。心情的にはゲリラ側にあるが、おじからもらったラジオで反戦歌を聞くだけでにらまれる環境の中、おおびらにそんなことはいえない。それでもはチャバの母親は、いつもひやひやしている。夜になっても家に帰らないと心配でたまらない。美しくて気丈な母(父親は米国に行って戻る気配は無い)は時々身を挺して子供を守る。 青い宇宙に飛んでいくように見える、夜の紙蛍。屋根の上のキス。川遊び。授業中の伝言。忘れられない貴重な子供であるときのひと時。それが地獄のような戦場になっていく現実。 この脚本はオスカートレスが実際の体験を基に書いたものだ。最後の最後で母親はミシンを売って、チャバだけを米国に亡命をさせる。弟が12歳になる前に迎えに来るように約束を交わし。思うに、その中で生きて生き抜いたものだけが、書ける描ける映画である。ほんの少しのタッチの差で、チャバは死なずに済んだ。そのことが、ひしひしと伝わってく。 作品はリアリズムに徹して描かれる。泥雨の中の死の行進。ゲリラと政府軍の交戦。突然の死。80年代中米の現実。宗教はカトリック。言語はスペイン語である。すぐ隣にキューバがある。現在進んでいるラテンアメリカの反米化に対してエルサルバドルはその防衛線に当たるのだろう。91年和平合意に達しはするが、いまだ平和には程遠い。ただ、このような映画が出来ること、「モーターサイクルダイアリー」「レジェンド・オブ・ゾロ」みたいな作品が出来ることは、アメリカの中にこの動きが小さくない関心の的になっていることを推測させる。 子供の兵士化。それはエルサルバドルだけの現実ではない。現在もおよそ30以上の紛争地で30万人以上の子供が兵士として働かされているという。 頭上を流れ弾が飛ぶ中、ベッドの下に横になり爪弾かれる反戦歌「ダンボールの家」のギターの音が哀しい。リアリズムとリリシズムを融合させた見事な作品だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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