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2007年03月10日
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カテゴリ:邦画(07)
監督 : 池谷薫
出演 : 奥村和一 、 金子傳 、 村山隼人
シネマクレール丸の内で今日から午前10:30の一日一度の上映が始まりました。今日は監督と主人公奥村和一氏(82歳)の挨拶と対談があるということで、久しぶりの満席です。単なる挨拶かと思いきや、上映の終わったあと、一時間以上にも及ぶ対談になっていました。それを紹介することがすなわちこの映画を紹介することにもなるだろうと思うので、詳しく書きたいと思います。
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監督は、この題名は二つの意味を込めたといいます。「残留兵たちは上官の命令に従って戦ったのだ。」という意味と、「一寸の虫にも五分の魂。このまま踏み潰されてたまるか」

そして上映。
ナレーションは一切ない。しつこいくらいに奥村氏の顔を追う映像であった。

終わった後の対談で監督は言う。
「きれいな顔をしているでしょう?ハンサムです。寅さんのおいちゃん下絛正巳さんに似ている。(私は西村晃に似ていると思った。)でも、怒った時の落差が激しい。奥村さんに会えたことは奇跡だ。---奥村さん、奥村さんは映画の話が来たときどう思いました?」
「しめた!と思った。ずーと政府は相手にしてくれない。裁判所も公正だと思っていたけど、なんのことはない、われわれの死ぬのを待っているのだ。(しめたと思ったのは)せめて残留兵のことを記録に残せる。わらをもつかむ思いだった。」

「日本軍山西省残留問題」とは何か。終戦当時2600名もの兵士がポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく、中国国民党系の軍閥に合流。四年間共産党軍と戦い、550人が戦死。しかし政府は彼らの戦後補償の要求を拒み続ける。奥村氏は「われわれは逃亡兵ではない。当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし、「祖国復興」を名目に残留を画策した。」と証拠を探しに中国山西省まで赴く。実際に公文書館では、それを追認する関連資料は出てくる。しかし、決定的な証拠である「密約文書」は出てこない。奥村氏が怒ったのは、残留兵を見捨てて日本に逃げ帰るのを助ける軍閥の手紙を見たときである。----結局最高裁は上告を破棄する。「それでもボクはやってない」で出てきた裁判官の事なかれ主義はここでも出てきている。奥村さんたちのあせりは深刻である。この映画の中に出てきた数人はすでにこの世にはいない。

たとえば、奥村氏たちに協力した人で帰還手続きのことを証言してくれた山崎参謀が映画の中に出てくる。10年前とは違い、今はすでに植物状態。映画裏話として、この映像は監督が「山崎さんの顔を撮ること自体、意味がある。」といって娘さんに何とか承服してもらって撮った映像だという。しかし奥村氏が「山崎参謀!」と呼びかけると、奇跡的に激しい反応を示す。娘さんもビックリしていたらしい。それほどに山崎氏は歴史的な事実を認めない政府の仕打ちが悔しかったのだ。「人間の尊厳とはこんなことなんだ、と思いました。」とは監督の感想。そしてこの山崎参謀も、この映画の完成の後、看護婦さんたちの「映画よかったよ~」という声を何度か聞いて安心してしまったのか、去年11月亡くなったらしい。他にも、完成試写会の三日前に亡くなった方もいるという。

山崎参謀の反応を見て、奥村氏は中国行きを決意する。22日間の中国旅行。それはそんな旅に慣れた私でもすぐに大変な旅だと理解できる。しかも映画の中では出てこなかったが、奥村氏は胃がんで胃の全摘手術をしているのである。彼は中国は「行かなければならないところだ。」という。「結婚して子供が出来て思ったのは、子供は本当に可愛い。今生かされて幸せな家庭をもてばもつほど思ってしまう。私によって殺された中国人の人たちのことを。どうしても中国に行って謝りたい。その思いは薄まるものではなくて、かえって深まるものだ。」

ところが、これがこのドキュメンタリーの凄いところなのだが、そんな思いで行った彼は裏腹な言葉を発してしまう。
今回の旅の大きな目的のひとつは奥村氏が始めて中国人を殺した場所に行きたいということであった。当時初年兵だった奥村氏に上官は「教育」として人殺しをさせる。銃で撃つのではなく、銃剣で刺すのである。その処刑された人々たちの息子に会ったとき、その人たちがそれまで思い描いていた何の咎めもない住民ではなく、軍閥側警備隊員で共産軍を前にして武器を捨て敵前逃亡した人たちだと知る。と、いうか息子たちにそのことを執拗に問い詰める。謝る、なんて意識はなくなる。後のホテルで奥村氏ははっと我に返って、ひどくもだえ苦しんだという。「あのとき、私は日本兵になっていました。いまだに昔の教育が残っている。三つ子の魂百まで、というが教育と言うは恐ろしい。」編集の段階できったらしいが、その後奥村氏はもう一度ゴルゴダの丘よろしく、処刑にいたる急な坂道を歩いていったらしい。

奥村氏は言う。「言葉で謝っても謝ることにはならない。何に対して謝るのか明らかにならないと。謝らなければならない「内容」とは何なのか。いま、語っておかなければならない。まだまだ国家賠償裁判は続ける。これは負けることが判っている闘いである。けれども「事実認定」はしなくてはならない。偽りの歴史は残すわけには行かない。私が死んでも土台だけは残しておきたい。」
戦争の正体とは何なのか。この映画は明らかにしている。戦争とは人間を人間でなくすものである。政府とは平気で国民を棄てるものである。奥村さんたちが裁判を起こして得る利益は一切ない。それでも、最高裁で負けてもまた新たにやる、ということは何なのか。
昨日、東京大空襲の戦災保証と謝罪を求めて同じく老人たちが政府を相手取り裁判を起こした。「民間人は戦争被害を受認せよ、という国の主張に、誰も正面からものを言わないことは、将来に禍根を残すことです。国の誤りを正すことは、現在と未来の問題でもあるのです。」と彼らも金銭的な利益のまずない、むしろ苦労とお金を買って出てこの訴訟を始めている。

「本来はこんなことはこれからもっと長くこの国に住む私たちがすることでないのか」とは池谷監督の言葉です。その通りでした。

映画の最後に、靖国神社で講演をする小野田少尉に向かい、奥村氏は彼に問い詰める。「戦争美化ですか?」小野田さんは言う。「美化じゃない。正当化しているのだ。天皇の詔勅を読め。(天皇は侵略戦争ではなく、やむにやまれぬ思いでしたのだといった)」と答える。今日の会場で、「二人の違いはどこから出たのか」と質問が出た。「単なる考えかたの違いです。」と奥村氏。監督がフォローする。「同じ地獄を見た兵隊が、60年たっても全く違う考えで相対する。これを正そうとするのが、奥村さんたちの戦いなんだ。いまだにあの戦争とはなんだったのか、明らかに出来ていない。それが今現在の、戦前に似た状況も生んでいるのではないか。」





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最終更新日  2007年03月10日 21時10分06秒
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