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カテゴリ:憲法
今日の朝日新聞のシリーズ「60歳の憲法と私」という記事には、「通販生活」を出しているカタログハウス社長、斉藤駿さんが出ていた。映画のことについて描いていたので、ちょっと紹介。
会社のA君がテレビドラマシリーズ「24」の第5シーズンがめっぽう面白いと勧めるから見たという。斉藤さんの評価は辛口である。「途中で立ち止まって考えることが出来ないようなつくり方はアメリカ映画の得意芸だ。」「加えて、テロリスト側の立場はまったくといっていいほど、描かないから、観客は、冷酷、残忍、狂信的といったテロリスト・イメージをすんなり受け入れてしまう。」 私の批評は、今までと比べると良くなっている、というような書き方だけれども、それは書く視点が違うだけであって、斉藤さんの意見には賛成だ。 斉藤さんは言う。「被害者の苦痛をわが身の苦痛として想像する。加害者の絶望をわが身の絶望として想像する。戦争体験世代が残り少なくなった現在の9条論議に希薄なのは、死についてのリアルな想像力だ。」「9条を考える教材の一つとして、もっと「脅威国」の映画や小説に注目していきたい。このさき、アメリカのイラン空爆が現実味を帯びてきたり、東シナ海の日中対立に「武力を伴う外交」を言い出す人が増えてきたりしたときに、貧しい兄妹が互いを思いやる様を描いた「運動靴と赤い金魚」や、父子の情を描く中国映画の「北京ヴァイオリン」を見ている人なら、当然、これらの国の子どもたちの命を、わが国の子どもたちの命と同じ次元で想像するに違いないからだ。」と、のことでした。特に「運動靴・・・」はすごい映画です。お勧め。 昨日書いた「ブラッドダイヤモンド」のソロモンの息子の将来も気になります。あの息子は果たして医者の道に進むことが出来るのだろうか。 なんだか、明日やあさってのことしか見えていなくて、5年先、10年先のことを考えようとしない人があまりにも多いような気がします。もしも、今度の参議院選挙で自民党が勝ったなら、10年先はどうなっているのか、本気で想像したほうがいい。いまから10年前、バブル崩壊の真っ最中、成果主義賃金を取り入れて、リストラを認めて、非正規労働者を増やして、それでも自分だけは今より少しいい生活が出来るかもしれないと考えていた想像力の貧困がどこから来ていたのか、もっと考えてみたらいい。 想像力が求められている。映画や小説はそれを助けるだろう。いや、映画や小説の役割とは実はそこだけにしかないのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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