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古代吉備文化財センター主催の発掘調査報告会に行ってきた。この前行ったのは2年前。(「日本の平和のルーツは弥生時代・吉備にあり 」)そのときも大きい会場で手を上げて質問をしたのであるが、今年も質問をした。
今回一番面白かったのは、弥生遺跡の大旦(おおだん)遺跡ではなく、5C~7Cの総社市の窪木(くぼき)遺跡。報告者は松尾桂子さんといって中堅の考古学者風。ほかの報告者が「貯蔵穴(ちょぞうけつ)」とか「官窯的(かんようてき)な性格」とか専門用語を使いながら説明している中で、ひとりパワーポイントを縦横に使い、発掘地図を色分けしたり、アニメのようにイラストを加工したり工夫をしていて、専門用語には必ず説明を加えながら、しかもポイントを抑えて短時間で終わらせた。ちょっとマイラブ。こんな人岡山にいたっけ。イントネーションは関西系のようだった。 しかし面白かったのは、報告の仕方ではない、内容だ。この遺跡は古墳時代の集落なのだが、歩いて30分くらいのところに、日本最古の製鉄遺跡千引きカナクロ谷(6C後半)があり、5C当時では日本最大の大きさだった造山古墳がある。つまりこの団地から通勤出来る距離にある。この遺跡は5Cから竪穴住居が建ち始め、6C後半で最盛期を迎え、掘立柱建物に変わり、7Cで家が少なくなるという。だとすると、ここにある集落は造山の王とカナクロ谷製鉄遺跡と連動していることになるのではないか。しかも住居からは5C後半に作られたという鉄ヤスと鉄の三つ股グワが出土している。カナクロ谷より前の鉄製品ではないか。支配者の権威のための遺物ではなく、生活用具だ。ここの住人はその鉄をどこで作ったのか。自ら製鉄したのではないか。‥‥‥報告で聞いたことを元に主にそのようなことを会場で手を上げて質問した。そうすると松尾桂子さんは「この鍬がどのように作られたか、私も知りたいぐらいです。判る術はありません。確かにカナクロ谷と連動していた可能性はありますが、それよりも私は6C後半の製鉄遺跡で鉄加工もしていたここからすぐの窪木薬師遺跡との連動を考えています。」とのことでした。 私の質問の本当の目的はカナクロ谷よりも前に誰も知らない最古の製鉄遺跡があったのではないか、と言うことであった。松尾さんの回答で、とりあえず、5Cにこの土地で製鉄が始まっていたかもしれない可能性は残ったということになります。私的にはそれで満足。学問的にはどうでも、想像する幅が残ったので。 私の一番の関心は、あくまで弥生時代3Cの倭国大乱から大和政権に移る「平和革命」の解明(上の二年前の記事参照)なのですが、最近は5C~6Cにかけて大和と吉備の日本列島の主導権争いがどのように推移したかにも関心が行っています。 ![]() 写真はそのあと県立博物館に行って(本当はいけないのだけど)写した楯築遺跡の弧帯石のレプリカである。日本を代表する弥生遺跡の遺物。石の表面をまるで粘土のように削って特別の模様や謎の人の顔が彫られている。この模様が特殊器台の模様と同じ。特殊器台が全国に広まる埴輪の原型であったことを指摘すれば、この石の重要性を理解してくれると思う。日本重要文化財。国立博物館にも同様なレプリカが展示されている。 [考古学]カテゴリの最新記事
いいですねぇ。
薩摩隼人がご先祖さまだと思っている(ある程度までは実証できるのですが、家系とDNAで)私にとって 大和政権に征服された、という感覚が・・・2千年ぐらいたってもあるのですから・・・(2007年08月26日 11時26分27秒)
KUMAさん、お久しぶりです。
今月は、かの韓国ドラマ「朱蒙」を見て、寝不足になっています。^^; このドラマは、現代の中韓論争を反映して、高句麗の歴史的帰属に対して、高句麗は、現在の韓国・朝鮮の祖先にあたる国であり、当時の漢と戦い創建した国だ、との韓国の政治的主張が前面に出ています。 このドラマの中で、鋼鉄(?)を作る事に情熱を燃やす軍機博士が、最後に南の地に百済を作ろうとするソソノに付いて行く場面が出てきます。 高句麗と百済、日本の製鉄技術はどんなものだったのでしょう?比較した研究などがあれば紹介してほしいものです。(2007年08月26日 13時15分56秒)
考古学についてはまったくの素人ですが、なんとなく「男のロマン」を感じます。(2007年08月26日 22時18分14秒)
ポンボさん
>いいですねぇ。 >薩摩隼人がご先祖さまだと思っている(ある程度までは実証できるのですが、家系とDNAで)私にとって >大和政権に征服された、という感覚が・・・2千年ぐらいたってもあるのですから・・・ ----- 菊池川以南は古墳時代になって大和に一度は負けたのでしょうね。けれども、独自の文化を保って続いたということは、本当に負けたのかどうか。もう一度あの辺りを旅したいなあ、と思っています。 (2007年08月27日 00時01分40秒)
在日さん
お久しぶりです。 もう「朱蒙」見たんですね。 >高句麗と百済、日本の製鉄技術はどんなものだったのでしょう?比較した研究などがあれば紹介してほしいものです。 ----- そういうのがあれば、私もぜひとも読みたいと思います。(2007年08月27日 00時03分07秒)
巴里雀さん
>「うらじゃ」のモデルのウラは朝鮮半島から来た製鉄の技術を持った渡来人だったんでしたっけ? >古代吉備王国の謎、いろいろ興味は尽きませんね。 ----- 桃太郎伝説の元になった「温羅(うら)」伝説は、朝鮮系渡来人と大和民族との戦いだったという人も多いですが、真相はわかりません。ただ、七世紀の資料には明確に戸籍の中にこの辺り渡来系の苗字が多かったことがわかっています。 これだけロマンあふれる土地なのだから、もっと宣伝すればいいのに。といつも思っています。(2007年08月27日 00時07分41秒)
永遠のホホエミさん
>考古学についてはまったくの素人ですが、なんとなく「男のロマン」を感じます。 ----- そうでしょ。私も全くの素人ですが、ロマンを感じて10年ちょっとです。(2007年08月27日 00時09分08秒) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |