|
カテゴリ:08読書(フィクション)
雪崩のような報道も ありきたりの統計も
鵜呑みにはしない じぶんなりの調整が可能である 地球のあちらこちらでこういうことは起こっているだろう それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして 一人と一人のつきあいが 小さなつむじ風になって 電波は自由に飛びかっている 電波はすばやく飛びかっている 電波よりのろくはあるが なにかがキャッチされ なにかが投げ返され 外国人を見たらスパイと思え そんなふうに教えられた 私の少女時代には 考えられもしなかったもの 茨木のり子「あの人の棲む国」(文庫「倚りかからず」より) 茨木のり子は「一人と一人のつきあい」を、おそらくその頃つきあいを始めたばかりの韓国の詩人のことを思って書いたのだろう。けれども私には、別の「つきあい」として読んだ。‥‥‥そもそも詩とはそのように読まれるものである。 それは、ブログの「つきあい」として読んだのである。 ブログの最大の特徴であり、能力は「繋がる力」である。 私自身もブログを始める前は、ここまで全世界、或いはあらゆる素敵な人たちとつながることが出来るとは思っても見なかった。中国、韓国、フランス、アメリカ‥‥‥或いは一定分野の専門家、或いは市民運動家‥‥‥(具体的に書こうと思ったけど、文章が散漫になるのでやめます。去年一番びっくりしたのは、映画「選挙」の批評(批判)を書いたら当の監督から反論が来たこと) 私はその人たちとのキャッチボールを大切にしたいと思います。 その人たちと常時「連帯」が組めるとは思っていません。 人と人とはかんたんに分かり合えるものではありません。 毎日病院で顔をつき合わせている瀕死の父親と息子が分かり合えないのだから 電波のつながりのブログの向こうの人たちといつも分かり合えるとは思っていません。 ましてや、「運動」を創るなんて‥‥‥ けれども、 ふとした瞬間に人と人とのつきあいは「小さなつむじ風」になることがあります 父親と息子が今日は分かり合えた気になることがあります。 共謀罪のときにブログが一定の連帯をし、少しだけ運動の成果を持ったことがあったように、一瞬のつむじ風になることがあります。 ブログには可能性がある。 なにかがキャッチされ なにかが投げ返され 一人ひとりは倚りかからず それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[08読書(フィクション)] カテゴリの最新記事
|
|