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カテゴリ:水滸伝
「水滸伝」朱雀の章 北方謙三 集英社文庫 「俺は志を抱いて生きた。志のかぎり、生き続けたかった。しかし、ここで倒れることになった。楊令、この無念さがわかるか。俺は、すべてを達観して、おまえと語ったつもりだった。しかし、心の底の無念さだけは語らなかった。おまえに見せようと思ったからだ。」そう言って魯達は自ら腹を切り、腸を自分の手で取り出して言う。 「無念な思いは、こんなふうに人を殺すのだ、楊令。俺のような男のことなど、忘れていい。俺を殺す、こういうはらわたがあることだけ、憶えておけ」 魯達は、はらわたを引き摺り出し、それは盥に立った魯達の足もとで、別のもののように赤い湯に見え隠れしていた。 倒れかかった魯達を、楊令は抱きとめた。 かっと眼を見開いていたが、もう息はしていなかった。 この巻で魯達つまり花和尚魯智深が死んだ。 山東、密州塩職人の子。父は謀略に遇い、殺される。十二歳で母を失い、出家させられる。暴れん坊。放浪の末、宋江に出会う。 宋江の語ったことを魯智深が書きとめ「替天行道」にまとめる。詩才があったのかもしれない。この替天行道のもと、梁山泊の英雄たちは志を一つにしてまとまるのである。 しかし、魯智深の真の才能はオルガナイザー。 敵方の優秀な大将を一人またひとりと梁山泊に引き入れる。元青洲の将軍、秦明。元雄州の将軍、関勝。元代州の将軍、呼延灼。そして楊令の父楊志。その副官も付いてくる。魯智深がそれらを含め、味方にいきいれたのは、108人の英雄のうち半分近くになるだろう。さらに彼は、女真の地(やがて宋の国を倒すことになる金の国の故郷)の開拓を先鞭を取る。失敗して片腕をなくすということにもなるが、そのとき、その腕を切り取り、料理して自ら林冲とともに食べる。また、楊令の成長をずっと見守り、最期に楊令の元で暮らし、梁山泊のすべてを伝えて果てる。 原作は知らないが、非常に知的で、将来の先の先を見通していながら、常に裏方に回り、時には「人たらし」と言うのが最も適切な、綺麗な仕事をしない人間になる。けれども、人は梁山泊の下に集まったのだから、根本的なところでは、人間を裏切ってはいなかった。まさに戦以外のすべての場面でこの「水滸伝」をリードする存在であった。 それがあと二巻を数えるところで死んでしまった。何てことだ。殺されたのではない。おそらく胃ガンで死んだのではないか。最期の最期まで弱音をはかない、どころか冒頭のような人を越えたところで死んでしまった。小説だから、とは思う。でもやはり男としてあこがれる死に様ではある。彼は無茶をしたのではない。志のために、最も見せるべき男、当時まだ15歳の楊令に見せるために、するべきことをして死んだのである。 ひたすら、漢(おとこ)として憧れる。 三月の初め、NHKのETV特集で「小田実遺す言葉」を見た。 壮絶な闘いようを本人の希望なのだろう、テレビの映像として遺してくれた。 死ぬ一ヵ月半前、娘さんが「いま口述筆記が始まりました」といってくる。テレビカメラが病室に入る。デモクラシーの故郷たるギリシャの神殿に棲む猫たちの世界会議の様子を小説として残そうとする執念!! それを境としてテレビ映像はない。果たしてどのような病との闘いがあったのか。そのころ書かれたであろう、メモだけが紹介されていた。 「九条が基本」 「世界は世直しを求めている」 小田実は次の英雄たる楊令に言葉を残したのではない。 「小さな人間」に遺そうとしたのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月04日 23時00分26秒
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