|
カテゴリ:カテゴリ未分類
光母子殺人事件で死刑判決がでた。皆さんのブログを読んでいると、死刑制度はどうかと思うが遺族感情を考ええるとどう判断していいかわからないという人が多い。私の意見はそれでも「死刑制度には反対」をこのような時だからこそ主張すべきだと思う。
総裁エックスさんの記事の中にこんなのがあった。 判決前に本村さん曰く「納得いく判決が出れば心は癒されるだろうが私が死刑を求めたと言う十字架を背負って生きていかなければならないと言う事に変わりはない」 この木村さんの悩みに皆さん共感している人は多いかもしれない。しかしこういう報道では死刑判決の本質が薄れてしまう。木村さんももしかしたら勘違いしているかもしれない。木村さん、あなたに死刑判決の「責任」はない。あるのは国家なんです。そこを間違ってはいけない。今回はとくに厳罰化を望む風潮を国家がつくり国家が厳罰を下したのです。 木村さんはそれでも「十字架は背負って」いくでしょう。しかしそれは多かれ少なかれ誰もが背負っている十字架です。 私も母が入院したと父から電話があったとき「あまり良くない」という言葉の意味を過小評価してすぐに見舞に行かなかった。次に電話があったのは危篤状態というものだった。ついに一言も言葉をかわさず、逝かせてしまった。もう19年前の話ですが、あの時の申し訳なさ、悔しさは年々大きくなってきている気がする。 死刑は、国家が下す判断であり、さらには陪審員制度で世の中が熱狂的になったときはどのように変貌するかわからない。だから私は死刑制度に反対する。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|