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カテゴリ:洋画(09~)
「そして、私たちは愛に帰る」
この題名はよくないと思う。また、宣伝用のあおり文句もよくないと思う。こんな文句だ。「幸せと不幸せは、背中合わせ。だから人生はいつだってやり直せる」「ドイツ・ハンブルグ、トルコ・イスタンブール。2000キロにわたってすれ違う、3組の親子が、人生の旅路をさすらいながら見出す愛と希望の光」 ちょいと粗筋 ハンブルクに住む大学教授のネジャットの老父アリはブレーメンで一人暮らしだったが、同郷の娼婦イェテルと暮らし始める。ところが、アリは誤ってイェテルを死なせてしまう。ネジャットはイェテルが故郷トルコに残してきた娘アイテンに会うためにイスタンブールに向かう。そのアイテンは反政府活動家として警察に追われ、出稼ぎでドイツへ渡った母を頼って偽造パスポートで出国し、ドイツ人学生ロッテと知りあう。 監督 : ファティ・アキン 出演 : バーキ・ダヴラク 、 ハンナ・シグラ 、 ヌルセル・キョセ 、 トゥンジェル・クルティズ 、 ヌルギュル・イェシルチャイ 、 パトリシア・ジオクロース まるで「愛と希望」がこの映画のテーマであるかのようなあおり文句である。しかしそうではなく、「家族」あるいは「死に別れ」がこの映画の主題なのである。 離れ離れになっていても、冷たくしていても、知り合いの息子が入院中の父親にのことをふと思ってアパートで栽培している「トマトを持っていこうかな」と呟くだけで、トルコ人娼婦イェテルは郷里に残してきた娘のことを思って泣き崩れてしまう。しかし、親子ならばいつかは別れ別れになるという運命も背負っている。親子はよっぽどのことがない限り、同時には死なない。 突然の死、それをどう受け止めるべきなのか。 俊英ファティ・アキン監督は背景にドイツのトルコ移民問題を巧みに織り込みながら、親子の「運命」を描いてみせる。 ただ、欲張りすぎたせいか、少し説明不足のところもある。確かにロッテの母親役のハンナ・シグラは存在感のある演技を見せた。それでも最後の彼女の選択は少しやりすぎだろう、と思う。 希望の一歩手前で終わらせるエンドクレジットもよくある手法で新鮮味は無い。ただ、作品中三度も流れるチェルノブイリの影響で死んだといわれるトルコ歌手の歌は、最後のエンドクレジットで最後まで歌詞付きで歌われ、非常に意味深である。何がいいたかったのか、誰か教えて欲しい。 原題は「The Edge Of Heaven」(天国のほとりで)。家族はいつ死に別れるか、分らない。けれども天国のほとりで、ギリギリのところで、あるいはギリギリ間に合わなくても、「分かり合える」ことがある。「死に別れ」の意味のこもったこの原題の方がよっぽとこの映画にふさわしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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