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カテゴリ:社会時評
「こどもたち」
茨木のり子 こどもたちの視るものはいつも断片 それだけでは何の意味もなさない断片 たとえ視られても おとなたちは安心している なんもわかりはしないさ あれだけぢゃ しかし それら一つ一つとの出会いは すばらしく新鮮なので こどもたちは永く記憶にとどめている よろこびであつたもの 驚いたもの 神秘なもの 醜いものなどを 青春が嵐のようにどつと襲ってくると こどもたちはなぎ倒されながら ふいにすべての記憶を紡ぎはじめる かれらはかれらのゴブラン織を織りはじめる その時に 父や母 教師や祖国などが 海蛇や毒草 こわれた瓶 ゆがんだ顔の イメージで ちいさくかたどられるとしたら それはやはり哀しいことではないのか おとなたちにとつて ゆめゆめ油断のならないのは なによりもまづ まわりを走るこどもたち 今はお菓子ばかりをねらいにかかっている この栗鼠どもなのである 『対話』より 本当はもっとまえにこの詩を紹介するべきだったのかもしれない。今日の選択は四年前の9.11と同等の深い意味を持っている。本当に民主党に独り勝ちをさせてもいいんですか。憲法の平和や民主条項などの根本理念を変える可能性のある議員を当選させてもいいのですか。新自由主義を推し進める国会を作ってもいいのですか。「子供手当てが欲しいから、後はよく分らんけどとりあえず」「どうも空気がそんなんだから、皆と一緒で‥‥‥」というよな夫婦の会話を、子供が聞いていてもいいのですか? けれども、私のブログにそんな影響力を期待するほうがチャンチャラおかしい。まあこれから投票に行く前に、本や映画の紹介よりも、今の私の気分の証として、未来の子供たちに恥ずかしくない行動をしようと思っているということで、こんな詩の紹介の方がいいかな、と思って書いてみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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