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カテゴリ:洋画(09~)
昨日の記事の「ハピネス」のホ・ジノもそうだが、韓国の実力派監督の作品は基本的に見逃すべきではないということを肝に銘じよう。「殺人の追憶」「グムエル 漢江の怪物」のポン・ジュノ監督の作品である。
監督・原案・脚本 : ポン・ジュノ 出演 : キム・ヘジャ 、 ウォンビン 、 チン・グ 、 ユン・ジェムン 、 チョン・ミソン 枯野をひとりのオンマ(母)がやってくる。立ち止まる。後ろを振り向く。誰もいない。オンマの中で音楽が奏でられる。彼女はおずおずと踊りだす。表情は陶酔しているようにも見えるし、泣いているようにも見える。 これがオープニングである。 同じ母ものと言っても、「マラソン」のような感動ものの親子物語ではない、と最初に宣言したというわけだ。 ついに母親は「オンマ」としか呼ばれず、名前は出てこなかった。母親に名前を与えない、という監督の意図はわれわれに更に重たいものを突きつけてくる。たしかに普通にいる母親ではない。特別なこともする。しかし、映画が終わってみれば、母親とこの息子の関係は、お互い罪をかぶせ、そして罪を被り、そして善いとろも、全てをひっくるめて愛し合っている。そういう濃厚な親子の関係はもしかしたら普遍的なものなのかもしれない、とわれわれに突きつけている。 たとえば、母親は息子が5歳のときに二人で生きてていくのがつらくなり、農薬を使って心中を図っている。しかし、安い農薬を買ってしまったために、未遂に終わってしまった。息子は、ふとした拍子にそこの過去を思い出し、「もう二度と会いたくない」という。しかし、そう言ったことはすぐに忘れてしまう。ここに二人における貧困と愛が見える。 前世代の韓国映画のおける代表的な「恨(ハン)」(克服すべき課題)は「南北問題(朝鮮戦争)」「光州事件(独裁政治)」であり、「アメリカ(米軍)」であった。しかし、最近の韓国映画をみていると、もうひとつ加わっているように思う。それは「貧困」である。 韓国映画はつねに何かに対して「申し立て」をせずにはいられない。特にポン・ジュノ監督はそれを独自のかたちで突きつける。手作業で漢方薬を作り、闇鍼でやっと暮らせる生活、街頭の無い(韓国ではいたるところにある)坂道、援助交際少女の現実、雨でぬかるんだ道、韓国の田舎のなんとも貧しい風景が底に広がっている。過去の話ではない。2006年の韓国の田舎なのである。90年前後のIMF危機は、韓国の末端に至るまで「貧困」をみごとに根付かせたようだ。そういう背景のなかで、このクライムサスペンスは、一つ一つの映像を緊張感を持って最後まで描ききる。冒頭と最後がみごとにつながっていく。 それにしても、韓国の科学捜査の何という杜撰なことか。本当にこれが現実なのだろうか。映画として成り立つということは、観客の本土とがそれを追認しているということなのだから、現実なのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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