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カテゴリ:邦画(09~)
松井久子監督の前二作はDVDになっていない。全国での上映運動で制作費を回収するという手段を取っており、実際それによって同時期上映の「フラガール」よりも多い入場者を獲得するという一種理想的な映画つくりを実現させたからである。
監督・脚本・制作 : 松井久子 出演 : エミリー・モーティマー 、 中村獅童 、 原田美枝子 、 竹下景子 、 クリスティーナ・ヘンドリックス 、 メアリー・ケイ・プレイス 、 柏原崇 、 山野海 、 大地康雄 「レオニー」の上映形式がどのような運命をたどるのかは知らない。「折り梅」も最初は映画館で公開されていたということを考えると、今回もそうなるのかもしれない。ただ、驚いたのは、想像以上にお金をかけたセットを作り、1900年代のアメリカの街や日本の横浜、あるいは富士山が見える丘に建てる息子のイサムが設計した実物大の家などを映像として残していたのである。これが物語に厚みを加えているのは間違いが無い。 古いアメリカと大正期の日本を再現させてまで描こうとしたのはなんだったのか。アメリカでもまだ女性の自立が一般的ではなかった時代、さらに因習に囲まれた日本で、二人の子供を抱え、日本語を一切習おうとせず、数年間を生きた女性の実像とはなんだったのか、それに迫ろうとしたのではなかったのではないか。 松井監督の演出はいつも淡々としていている。だから大事なところはつい見落としがちになる。レオニーが日本に行こうと決意するところ、イサムに家を設計させるところなどは、すがすがしいほどさっぱりしていて、そういう生き方が「芸術家」を生んだのかもしれない。女性は時代に抗う力が弱い、けれども命を産み落とす力がある。命の力は無限大である。 しかし、一方でこの映画にはレオニーに関する幾つかの「謎」をそのままにしているという特徴がある。彼女が野口の援助を断った時点でなぜ何年も生きていけたのか、結局分からない。もちろん想像は出来る。おそらく(妹の)父親は中村雅俊だと思う。ただ、その事実と彼女の自立心との関係が良く分からない。そして何故アメリカに渡ったのか、すぐにイサムに会わなかったのか、どのように生活したのかも謎である。また、いったん医学の道を志したイサムが芸術の道に改心する経緯も、レオニーの信念の立つ所以も、あまりにもあっさり描いていて、私には説明不足のように感じる。 「幸せだったかどうかは、死ぬときに決まるのよ」 アメリカを発つときに母親に言い放ったこの言葉は、これから多くの女性を励ますのだろうか。男の私にとっては、野口米次郎に対する共感は一切もてないが、レオニーに対しても、したたかというか、ちょっと畏怖に似た気持ちを抱くのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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