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ラッコの映画生活

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2007.01.19
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カテゴリ:フランス映画
ELISA
Jean Becker

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VHSを持っていたのですが、ビデオジャケット(上左)がちょっと気色悪くて、見ていませんでした。監督ベッケルの『殺意の夏』は好きだし、製作フェシュネール、音楽プレイスネル、興味をそそられる点は多かったのですが。DVDジャケット(上右)は少しマシになっていますね。というわけで2.35対1のシネマスコープの映画をテレビ画面に合わせて左右をカットしたバージョンでの半端な鑑賞。

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『殺意の夏』と大筋で似たところがあります。主人公の若い娘、どちらも素行的に不良っぽい娘が、過去に母が受けた不幸の犯人に復讐しようとするサスペンス調物語です。『殺意の夏』はイザベル・アジャーニ、こちらはヴァネッサ・パラディ。どちらも脚本が綿密に構築されています。どうなんでしょうね、どちらの作品も構想の段階からアジャーニやパラディが監督の念頭にあったと思います。映画を見ながらよく思うことがあります。4分の3ぐらいまで見たところで、そこまでとてもいい映画なんですが、いったいどういう風に終わらせるのかな?、と。もし文句の付けようのないラストであればその映画は傑作です。でも「あれ?!」ってラストの映画もある。例えば復讐のドラマなら、復讐に成功しても復讐を結局しなくても、どちらのラストでも観客からは評価と批判の両方があったりする。我々はスッキリと完結した物語を求めるわけですが、復讐に情熱を燃やす主人公の心理と行動を描くことが目的でもいいのではないかな。ならラストが多少「あれ?!」であってもいいのかな、と思うんです。この作品も見る人によっては、そういうラストのスッキリしない映画かも知れません。

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映画の題名は『エリザ』。パラディの演ずる娘はマリーです。「エリザ」はマリーの母の名であり、また監督がたぶん構想を得、作品を捧げたセルジュ・ゲンズブールのシャンソンの題名『エリザ』でもある。映画の中でゲンズブールを思わせる音楽家(フィリップ・レオタール)が出てきます。彼はフランスたばこ「ジタンヌ」のヘビースモーカーとして登場し、風貌も似ています。彼がマリーに語るリボヴィッチという音楽家の物語はゲンズブールの物語でもある。ゲンズブールの両親はロシア系ユダヤ人で、ゲンズブールは戦争中黄色いダビデの星を服の胸に付けさせられ、ナチから逃げ隠れもした子供時代を送っています。作中のリボヴィッチもユダヤ人で、両親がフランス名のデムーランに変えたとジタンヌを吸う音楽家は語りますが、彼が語るレボヴィッチと語る彼自身を合わせてゲンズブールなわけです。そしてゲンズブールの『エリザ』という曲を作曲したのが、作中では妻エリザを思ってのリボヴィッチという設定になっているわけです。

映画が捧げられたゲンズブールのことを長々と書きましたが、メインのマリーの物語と同時に、ゲンズブールへのオマージュは作品の重要な要素です。またマリーが「いつも幸せは同じ人ばかりにしかめぐまれない」と言うように、孤児院出身のマリーやソランジュ(クロチルド・クロー)、黒人の子アメド、しがない書店の初老の店主サミュエル(ミッシェル・ブーケ)、あるいはユダヤ人など、マージナルな人々を描くことも主題にあると思います。

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物語は14年前のクリスマスイヴの悲劇から始まります。建物の配管が最初に映しだされ、その配管を伝ってくる各家庭のクリスマスの楽しげな話し声。配管を追ったカメラはやがて一室の洗面台の蛇口に到達する。その部屋で3才のマリーはクリスマス・ツリーの絵を書いています。母エリザは思い詰めた様子。マリーをベッドに寝かせ、『エリザ』のシングル盤をかけると、枕を娘の顔に押しあて窒息死させ、自分は拳銃で自殺。奇跡的に助かり17才になった娘マリーの回想です。それからマリーと同じ孤児院で育った仲良しのソランジュとマリーを慕っている黒人の子供アメド。いつもつるんでいる3人のかっぱらいや詐欺などの日々の様子が明るく描かれます。その合間に、何かをきっかけとして、冬の寒い日(悲劇の直前)に幼いマリーを連れて両親の家を訪ね、「しばらく家に置いてくれ」と頼んだけれどすげなく追い出す両親(マリーの祖父母)との場面、孤児院での様子、そうした過去のマリーの回想が挿入されます。

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(以下ネタバレ)
マリーは自分の母を自殺に追いやった父の消息をたどる。そして母が売春をしていたことを知る。父はジャック・デムーラン(ジェラール・ドパルデュー)。マリーが孤児院に入ったとき、売春斡旋罪容疑で法廷不出廷で3年の刑で服役中。マリーは父親を探し出して母の復讐をすることを決心する。マリーは駅のロッカーから思い出の品を入れた靴箱とお金を取り出し、密売人から拳銃を購入。駅のトイレの個室で靴箱の中の品々、映画冒頭で映されたぬいぐるみやクリスマス飾り、あの日描いていたツリーの絵、一つ一つ思い深げに脳裏に焼きつけると便器の中に捨てていく。そして購入した拳銃を握りしめる。

過去の暗い回想が挿入されるものの、ここまではマリーの明るく生きる様子をむしろ楽しく描いていた映画が、密売人から拳銃を購入してトイレに向かう途中、ジプシーか何かの物乞い路上音楽家がいて、その悲しいメロディーと憂いの表情をした少女が映され、この音楽と映像によるマリーの内省と復讐の思いへの心理の移行が実に良く描かれている。上の方で映画全体での物語の完結性の必要・不必要性のことを書いたが、ロッカーからトイレまでの部分のパラディ、これだけを見せてくれるだけでこの映画はボクにとっては名作だ。

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マリーは季節外れのクリスマスパーティーを優しくしてくれたケビンやサミュエル、仲間のソランジュやアメドを招いて開き、それぞれに贈り物を贈る。サミュエルにはアメドの世話を頼み、彼にだけ自分が去ることをもらし、こうして親しい人々との別れを密かにする。マリーはジタンヌの音楽家から父のことを聞き、遺品にあった『エリザ』の譜面の書かれた父から母へのサン島の絵はがきを見て、面積58ヘクタール、人口250のブルターニュ半島先端の沖にある小島サン島にやってくる。町のカフェにいると、そこにレボと呼ばれる飲んだくれの男を発見。雨の中店を出た彼を追い、酔いで倒れた男にマリーは拳銃を向けるが引き金を引くことはできず、拳銃を海に投げ捨てる。翌日から彼女は男に付きまとうが、自分の名はエリザだと名乗り、自転車をこぎながら露わになった太ももを見せつけたり、海岸で全裸になったりして男を挑発する。島のダンスパーティーの日、マリーはソバージュの髪をアップにし、派手な化粧をして会場に現れる。男はステージ上でキーボードを弾いている。ダンスをした男性に「私と付き合いたかったら、ステージのあの男に500フラン払って。」と言う。父が母に売春をさせていたヒモだったことの当てつけだ。男と500フラン払いにきた男性は喧嘩になる。男が家に帰るとそこにはマリーがいた。先に寝てしまった男に全裸のマリーはすがり、「私を愛せるか?」と訊き、男は「愛している」と答える。彼女が眠ると男は島でつき合っている女性の部屋へ。「愛、愛なんてオレにはもう」。男は鏡を見ながら妻エリザを去ったときを回想する。男は妻との生活や売れない音楽家としての生活に疲れ、「音楽を続けてもらうために、売春までして生活費を稼いでいたのよ。行かないで。」と言う妻を捨てたのだ。翌朝男が家に帰るとマリーはいない。マリーは、男があの悲劇のクリスマスの頃妻に出し、宛先人死亡で返送されてきた手紙、「お前が忘れられない、愛している」という手紙を読み、母と自分の写った写真とあのサン島の絵はがきを置き、「このろくでなし」と書いて去ったのだった。それを見て男はすべてを理解した。男が灯台に行ってみると、波打ち際で震える彼女がいた。男は彼女を抱きしめ、「お前は20でオレは40。人がなんと言おうと関係ない。」とシャンソン『エリザ』のセリフを口ずさみ、抱き合う2人のバックにゲンズブールの『エリザ』が流れるエンディング。

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脚本が巧みに書かれていますね。男の服役は法廷不出廷であって売春斡旋や強要はたぶんしてないこと。だから法廷不出廷という言葉は聞き落としてはいけない。これは逃げたのではなく、法廷に出ていれば妻の売春を事実とすることになるので、妻をかばって法廷不出廷の罪を負ったんですね。そして父と母との別れの経緯はちゃんと男の回想で描かれる。まだ生まれていないマリーが知るはずのないこと。事実の視点がしっかりしています。マリーと父親と、どちらが何を知っているか、その差がちゃんとしています。両方の回想を知っているのは観客だけですね。途中に『市民ケーン』の引用を思わせるスノーボールが出てきますがオーソン・ウェルズの傑作に対するオマージュでしょうか。『市民ケーン』も「薔薇のつぼみ」の謎は観客しか知らないわけです。マリーの回想について3才の記憶があるだろうかという疑問を持つ方もいるでしょうか。ちょうどこのマリーぐらいの年齢の頃、母親が自殺未遂をした友人がいるんですが、両親は子供は知らないと思っているようですが、友人はしっかりと記憶があるそうです。最後がちょっと「あれ?!」ですが、『殺意の夏』とちがい暗いものではないので、何度も見たい映画です。あと、パラディとクローの2人がいいですね。

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Last updated  2008.04.25 05:16:31
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