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『パインの種』の日記 [全332件]
第4回AKB48選抜総選挙の速報発表が23日に行われた。1位は大方の予想通り、大島優子。第1回総選挙で2位(1位は前田敦子)、第2回では1位(2位は前田)、第3回では2位(1位は前田)と、常にエース前田敦子とトップを争ってきた”もう一人のエース”。しかし今年、卒業を発表した前田は総選挙を辞退。順当に行けば大島が再び1位に返り咲く可能性が高いが、ここへ来て速報2位につけた柏木由紀に俄然注目が集まる。 【私が柏木を初めて見たのは2006年12月9日、AKB48劇場からほど近い秋葉原UDXで行われたAKB48誕生1周年記念ライブ『AKB48 1st ANNIVERSARY LIVE~勢ぞろいだぜ!「A」「K」「B」!~』だった。その日柏木は、初の顔見世を行った。当時AKB48には、まだチームAとチームKしかなかった。チームの呼び方もAチーム、Kチームなどとまちまちだったのを、この日運営側からマスコミに「チーム名の表記はチームA、チームKと、『チーム』を先につける形で統一してください」と通達があったのを覚えている。1周年にしてやっとAKB48の基盤が出来上がりつつある印象があった。 大島優子はチームKのメンバーとしてすでに活躍しており、もちろんこの日もステージに登場。柏木はこの時、初お披露目された(旧)チームB候補生19名のうちの1人として紹介された。柏木が、笑顔ながらも緊張を隠せない面持ちで初挨拶をした同じステージ上で、大島はトレードマークのえくぼも愛くるしい笑顔で、元気なパフォーマンスを見せた。 柏木は翌年3月に地元の鹿児島の中学校を卒業すると、4月には旧チームBの一員として公演デビュー。清純な柏木は、まさにアイドルの王道をいくイメージで、”ゆきりん”の愛称で親しまれ、着々と根強いファンを増やしていった。 そして柏木が大きなステップアップをしたのが、2009年だ。4月にTBS系情報番組「ひるおび!」でお天気お姉さんに抜てきされ、6月から7月にかけて行われた第1回選抜総選挙で見事9位、メディア選抜入りを果たした。8月には新生チームBのキャプテン就任が発表され、9月には初ソロ写真集「以上、柏木由紀でしたっ」発売。この写真集は12月26日に放送された「ランク王国歳末総力祭」(TBS系)の年間アイドル写真集ランキングで1位に輝いた。その後も柏木の勢いはとどまる所を知らない。翌2010年には初ソロDVD発売、第2回総選挙では着実に順位をあげて8位、倉持明日香、高城亜樹とユニット「フレンチ・キス」結成発表。そして昨年の総選挙では、なんと3位。一気に順位をあげた。 第1回総選挙では「こうやって(9位に)入れると思ってなかったので、すごくうれしいです。私はファンのみなさんに本当に支えられてるって毎日思って、これからもっともっと一生懸命毎日全力で頑張りたい」。第2回総選挙では「小さい頃から歌とダンスがすごい好きで、アイドルに憧れて、好きなことをやりたいという一心で鹿児島から上京しました。こうやってたくさんの方に投票していただいたことで、本当に私が選んだ道が正しかったんだなぁ、本当に幸せ者だなぁと今改めて思いました」とコメント。常に支えてくれるファンを気遣う謙虚な柏木。ベスト3に入った昨年の第3回総選挙では、自身の順位に驚きながらも「少しだけ自信を持とうと思います」と前向きな言葉を残した。 そして2012年。速報発表で大島に次ぐ2位というポジションに入ってきた柏木。ライバル前田が総選挙から姿を消した今回、柏木の存在は大島にとっても望ましく、喜ばしいことだろう。ここへきて、柏木のシンデレラストーリーは急加速している感がある。6月6日、日本武道館で行われる開票結果が楽しみだ。この勢いをさらに加速させ、AKB48の頂点に立つことができるか-
人気アイドルグループAKB48の結成以来の悲願だった、東京ドーム公演が8月24・25・26日の3日間行われることが決定した。きょう東京ドームシティホールで行われたリバイバル公演『見逃した君たちへ2』最終日のステージで発表された。これに伴って、エース前田敦子が、同公演と翌27日に“原点”である東京・秋葉原のAKB48劇場公演をもって卒業することが決まった。 3月25日のさいたまスーパーアリーナ公演で「時期は未定」としながらもAKB卒業を電撃発表してから2ヶ月。ついに、前田のXデーが8・27に決定した。 最終公演のアンコールがかかると、ステージ上のスクリーンには読売新聞本社を訪れる高橋みなみの姿が映しだされた。扉の向こうに待ち受けていたのは、“ナベツネ”こと読売新聞の渡辺恒雄会長。両者の対談のなかで渡辺氏が、ドーム公演の日付を明言した。「すみません、いま知りました」と呆然とする高橋をよそに「4万何千人、3日間で10数万人ぎっしり埋まりますよ。最大のコンサートになると思います」と太鼓判を押し、前田は「これからも皆さんの前で、たくさんパフォーマンスをお見せすると思いますので、皆さんの胸に焼きつけてくれたら嬉しいです」と伝えた。 公式ブログのタイトルに『~TOKYO DOMEまでの軌跡~』と掲げているように、東京ドーム公演は2005年に結成したAKB48の悲願。高橋は「AKB48初の東京ドームでのコンサートの日程が決定しました。その次の日にあっちゃんが卒業するということも発表され、AKBの一つの節目、一つの終着点のように皆さん思われるかもしれませんが、東京ドームというゴールラインをスタートラインに変えて、成長していく姿をこれからも見守っていただければと思います」と会場の2100人のファンに呼びかけた。 この日、1・2期生を中心としたメンバーがパフォーマンスしたのは、2005年12月8日に初期メンバーがAKB48劇場でデビューした際に披露した最も古いセットリスト。14歳当時の衣装に身を包んだ前田、高橋、板野らは感慨深そうに当時の思い出を振り返っていた。
米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で5年ぶりに実施されている空母艦載機の夜間離着陸訓練(NLP)は23日、2日目を迎えた。午前中に開始した連続離着陸訓練の一環で、藤沢、茅ケ崎市などを含め県内の広範囲で空を切り裂くようなジェット機の爆音が響いた。「ここは一体どこの国なんだ」「沖縄だけでなく、ここもひどい」。各市などに住民から殺到した苦情は少なくとも1500件超。大和、綾瀬市ではここ10年で最多となり、海老名市では昨年度の総計を1日で超えた。現地入りした黒岩祐治知事も「身の毛がよだつ恐怖感だ」と憤った。 午前9時10分に開始したこの日の訓練は、非常に騒音が大きい戦闘攻撃機FA18スーパーホーネットが滑走路を空母の飛行甲板に見立て、着陸直後に離陸する「タッチ・アンド・ゴー」を数十秒から数分の間隔で繰り返した。午後9時59分まで続き、大和市内では一時、乗用車の警笛に例えられる110デシベルを大きく超える115・9デシベルを計測した。 苦情が集中した各市の基地対策課ではしばしば電話がパンクした。苦情は深夜にも及び、綾瀬市は最近では最多だった2001年9月15日の80件の5倍超となる457件を記録。大和市も384件と過去10年で最多に。海老名市は120件で、昨年度1年間の54件の2倍を超えた。一部は座間防衛事務所や米海軍厚木基地にも寄せられた。 綾瀬市基地対策課の森田純生課長は「飛行間隔が短く、爆音はひっきりなしだった。これまで苦情を表だって言わなかった人も、ついに我慢の限界を超えたのではないか」と話した。一方で、米海軍厚木基地は「離着陸訓練には規定の着陸回数がある。夜遅くまで長引かないようにするために、短い間隔で飛行する必要があった」と説明した。 綾瀬市内のある小学校では爆音で授業が頻繁に中断。落ち着きをなくす児童が低学年を中心に相次いだという。日中は汗ばむ暑さだったが、大和市に住む2歳の長男を持つ主婦(29)は「節電したいが、窓を開けられないのでクーラーをつけるしかない。子どもがひきつけを起こさないか心配だ」と話した。基地近くで自動車整備工場を経営する(66)は「商売柄、騒音には耐性があると思っていたが、限度を超えた」と疲れ切った表情を浮かべた。 市民団体「厚木基地爆音防止期成同盟」は23日午前11時ごろ、メンバーら30人が基地を訪れ、NLP中止を求めた。応対したグレッグ・クンツ広報部長(51)は「近隣住民の心配は承知している。急きょ、NLPを実施することになり、遺憾に思っているが、部隊の運用のため必要な訓練なので理解してほしい」と話した。
東急田園都市線の桜新町駅(東京都世田谷区)の駅前に設置された人気漫画「サザエさん」一家の銅像のうち、波平さん=写真左・藤沢美由紀撮影=の頭に生えている毛1本が2回にわたって抜かれる被害に遭っていたことが分かった。同駅周辺は作者の長谷川町子さん(1920~92)が住んでいたゆかりの地。銅像は作品誕生65年を記念して企画され、今年3月に設置された。 波平像は身長約130センチで、髪の毛は約10センチ。壊されないよう、毛はペンチでも切れない高硬度ワイヤを使い、頭にねじ込んで接着剤で固定する厳重な「抜け毛対策」も施していた。しかし今月7日ごろ、毛が根元から抜き取られているのが見つかった。設置した桜新町商店街振興組合は予備の毛を取り付けたが、今月20日に再び抜かれたという。
◇大魔神か、巡礼地か 「なんだあの見苦しいものは?」。この春、ローマから4年ぶりに帰国し「東京スカイツリー」を初めて目にしたときの第一印象だ。そんな話を周辺にすると、「えっ」「何言ってんの」という反応をされた。60歳代の同僚記者には「そんなこと言ったら『非国民』って言われるぞ」と半ば冗談、半ば本気で諭された。それでも私の目には大魔神のように見える。あの「世界一の電波塔」は本当に必要なのか。【藤原章生】 ◇高さ競争「くだらない」 そもそも必要だった? 22日の開業を前に、メディアもスカイツリーで大騒ぎだ。大多数の声に惑わされず社会を見てきたこの人なら意見が合うだろうと、作家、曽野綾子さんに電話をしてみた。 「あれですか? 私はわざわざ見に行きません。どうしても電波塔が必要なら仕方ないんでしょうけど、まず、その辺をお調べになって、それから話をしましょう」と言われた。私はテレビが嫌いでめったに見ることはない。それでも必要性は認めるので、確かにあの塔がなければテレビが見られないという公共性があるなら我慢するしかない。 事業主体、東武タワースカイツリー社の広報宣伝部に聞いてみると「電波のことですか? それは一つのきっかけにすぎません」とあっさり言われた。むしろ大事なのは観光、町おこしなのだという。同社のサイトにはあの塔の「基本理念」として(1)活力のある街づくり(2)時空を超えたランドスケープ(3)防災面での安心と安全――の3本柱があり、電波には触れていない。 時空を超えたランドスケープ? SF映画か遊園地の宣伝文句のようだが、「この辺り、押上周辺は東京大空襲でも焼け残り、江戸情緒のある町並みがありますので、その風景を乱さず地域と一緒に発展していければ……」という思いが「ランドスケープ」に込められているそうだ。しかし、江戸情緒とあの塔がどうからむのか。ツリーがすでに死にかけた「江戸情緒」にとどめをさすというのならわかるが。「シュール(レアリスム的=超現実主義的)にしか見えません」と進言しても、「そうですね、シュールな風景かもしれません」とツリー社はいたって前向きなのだ。 「電波塔としての役目」をしつこく聞くと、「その辺の事情は総務省に聞いてほしい」との話だ。だが同省も「私たちは基準にのっとり許可を出すだけで、電波塔の必要性といった話にはどの課も答えられない」。そこで03年暮れに「新タワー推進プロジェクト」をつくり建設を促してきた放送6社の代表格、NHKに聞くと「東京タワーの電波発信地点は高さ200メートル強で、都内に200メートル級の高層ビルが林立したため、一部地域で映りが悪くなる可能性があると感じていた」と広報の男性が説く。ただし、放送局側が電波塔を強く求めたのか、造る側が建てたいと言い出したのかは「鶏と卵の関係で、はっきりしない」と言う。 電波塔の役割について東武、総務省、放送局のいずれも歯切れが悪いのは、「私たちこそが求めた」という強い自主性がないまま何となく進んできたからのようだ。 現時点ではみな東京タワーからの電波で地上波デジタル放送を見ているが、広範囲で見えないという話は聞かない。仮に見えなくても、衛星やケーブル、あるいはネット、携帯電話でもテレビは見られる。NHKも「映りの悪い世帯については個別に対応している」と言い、東京タワー一本で何とかしのげるわけだ。 そんな話を曽野さんにすると「でも、庶民の中には、東京タワーではテレビが見えなくなるからスカイツリーを造ったと思っている人、たくさんいます。私もその一人」と言う。 「東日本大震災前に計画されたものだから、ぜいたくに浮かれたんですかね。日本人って本当に無駄、ぜいたくをしていました。しなくていいことをして、買わなくていい物を買って。ひとのぜいたくを何とも言えませんけど、嫌なのは『これを見ないと』というあの熱狂ぶり。それを『軽薄だ』と教える人がいない、教育不在ですね」 ツリー社は総事業費650億円という。元を取るのに何年かかるかは知らないが、それにしても、人はなぜ2000~3500円もの切符を買って高い人工物に上りたがるのか。私は5歳のころ歩いて東京タワーに一度上ったが、階段は覚えていても、上からの風景は全く覚えていない。よほど天気のいい日は別にして高い所から見る東京の光景は似たり寄ったりで、何の感動もない。 「私は高い所に興味がない。高所は『民のかまどはにぎわっておるな』という皇帝、統べる者の視点、殿様の願望ですよ。私は本当に展望台が嫌い。あんな所にいる必要を私は認めないんです。実に退屈な光景ですよ。見る物が遠いと意味がない。作家は地面をはって調べる方ですから。浅草だったら仲見世通りの裏口に人生を見つける。大事なのは音と匂い、盗み聞きができることですから」 曽野さんはこうも言う。 「一番ばかな発言は、『こういうものがある町を誇りに思う』という言い方。テレビで地元の教師が言ってました。出身地から誰が出ているから誇りを持てるとか、そんなこと何も関係ないですよ。うちの村からあの有名人が生まれたと威張る人がいるけれど、個人とは無関係。その人の才能や努力とは何の関わりもないことですから。それを子供にはっきり教えないといけません」 「電波塔として世界一」がツリーの宣伝文句だが、ノスタルジー映画が美化する高度成長の時代でもあるまいし、と思う。私も子供のころは「東京タワー」「霞が関ビル」と騒いだが、ずいぶん前から新宿の都庁ビル、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンとむやみに高層ビルを建てる東京にうんざりしている。むしろ人口が減り、もっと小さい都市になってほしいと思っている。 「高さ競争は後発国のやることではないですか。もっと大人になってもらいたいですね。どんな高い塔も今に抜かれます」 1958年完成の東京タワーができた頃を懐かしむ人が結構いるという。ツリーは半世紀後、どうなっているのだろう。遷都が求められる中、首都圏の人口が大幅に増えているとは思えない。高齢化も相当進んでいることだろう。「時空を超えたランドスケープ」は、「成長を追い求めた時代」をしのぶ巡礼地になっているだろうか。
太陽に月が重なり、指輪のような形に見える「金環日食」が観測できる時間帯に入りました。 鹿児島県阿久根市では午前7時21分ごろ、高知県の室戸岬では午前7時24分ごろ、リング状につながった金環日食が観測されました。 東北南部から四国にかけての内陸や沿岸の一部は雲が薄く、部分日食が観測されていて、このあと金環日食が見られる見込みで、世紀の天体ショーへの期待が高まっています。 国内では昭和62年の沖縄県以来、25年ぶりとなる「金環日食」は、午前7時16分ごろに鹿児島県の離島から始まり、西から東へリレーするように観測ポイントが移っていきます。 日本で最も早く金環日食を観測できる場所の一つ鹿児島県三島村の硫黄島では、厚い雲に覆われ残念ながら太陽が隠れてみえませんでしたが、同じ鹿児島県の阿久根市では、7時21分ごろ雲の切れ間からリング状につながった金環日食が観測されました。 また、7時24分ごろには高知県室戸岬でもきれいに輪になった金環日食が見られました。 NHKが金環日食の観測のために全国に展開している取材班では、ほかに和歌山県潮岬や名古屋市、群馬県前橋市、長野県塩尻など各地で部分日食を捉えており、このあと、金環日食が見られる見込みです。 今回は、金環日食が見られない地域でも太陽が80%から90%欠ける部分日食が観測できることから、全国各地で観測会が予定されているほか、小学校などでは登校を早めて全校児童で観測しているところなどもあります。 国立天文台などでは、曇りの場合であっても、突然、雲が晴れて太陽の強い日ざしが差し込むこともあるとして、観測する際には、専用の日食グラスを使うか、日食グラスがない場合は、絶対に直接、太陽を見ることはせず、木漏れ日を見るなど、安全な方法で観測してほしいと呼びかけています。
日産自動車が、最上位セダン「シーマ」を21日に発売する。バブル景気まっただ中の1988年の初代発売時には「シーマ現象」と呼ばれるブームとなった人気高級車。2010年8月に生産を停止したが、根強い人気を背景に、ハイブリッド車(HV)専用で、旗艦車種として復活させた。シーマ復活の意義、HV化の狙い、そして高級車としての造り込みのこだわりは何か。商品企画を担当したマーケティング本部の橘川泰介マーケティング・ダイレクターに聞いた。 --新型で最も重視したポイントは 「フラッグシップ(旗艦)の最上位セダンとして車格感のあるデザイン、圧倒的に広い後部座席の空間スペース、そしてこの時代の高級車として高い次元で求められる走行性能と環境性能の両立の3つが大きなアピールポイントだ」 「サイズとしては全長、全幅は前モデルと同じだが、全高は20ミリプラスし、ホイールベースも180ミリ長い3050ミリだ。これによって後部座席スペースは競合の国産高級車や欧州高級車と比べても断然広くなっている。ホイールベースの延長をすべて室内スペースに費やしている」 --HV専用モデルとしたが 「シーマのエンジンは、初代がV型6気筒3000cc、2代目、3代目がV型8気筒自然吸気の4100cc、4代目がV型8気筒4500ccで、280馬力だった。5代目となる新型は『V8で5600cc』なんてことが言われたこともあったが、そうなれば燃費はリッター(ガソリン1リットルあたり)6キロ程度になる。この時代にその燃費が受け入れられるわけはない」 「同時にシーマが、最高級セダンであることを考えて、選んだのがHVだ。日産のHVとして特長を出せる『1モーター2クラッチ』を採用した。V型6気筒3500ccエンジンとモーターによって、出力は364馬力と、これまでで最も高出力となった。モーターは立ち上がりの速さが特長で、スタートから時速100キロに到達するのに6・6秒だ。走りのよさは4代目を大きく上回った。その上、リッター18・8キロの燃費は、4代目の2倍以上。競合に比べても50%程度向上させている」 --生産停止から2年弱での復活となった 「シーマを一旦廃止した理由は、新しく導入された安全基準に適合できなくなったからだ。2000年に投入した4代目を一部改良して対応するのは難しかった。次期モデルも検討していたが、08年のリーマン・ショックで高級車需要が激減したことあって、一旦廃止することを決めた」 「実は高級セダンの『フーガ』がシーマの顧客をカバーできると考えていた。10年前のモデルであるフーガを『ピカピカの新車であるフーガで代用できる』と日産も考えていたし、販売店も同じようにみていた。しかし、シーマの顧客からの反応は厳しく、『シーマでなくてはいけないんだ』という熱烈なファンからおしかりを受けた。今回、シーマとして復活させたが、このクルマをまったく違うネーミングにしたら、お客さまの反応は(もっと冷めた)違うものになっていただろう。『日産の最高級車はシーマ』と考えてくれるお客が多いことに感謝している」 --シーマのユーザーは、企業の経営者に多い 「それもシーマ復活の大きな要因だ。シーマを持つ経営者は、会社保有を含め、平均5~6台の自動車を併有している。シーマを頂点にして、日産車が多く入る構造になっているが、シーマが生産中止になっている期間に、社長車が他社に代わり、それに引きずられて、それ以外のクルマも他社に置き換えられるといったこともあった。シーマがピラミッドの頂点にあることで、営業戦略上、有利に働くことになるだろう」 --高級車にふさわしく、手作業による塗装工程などにもこだわりがある 「栃木工場(栃木県上三川町)では、シーマ専用に塗装、検査工程を設定した。ともに高度な技術をもつ技能者『匠(たくみ)』による手作業が特長だ。塗装では製造ラインのレールからシーマを外し、『水研ぎ』の作業をする。塗装の下塗りと上塗りの間に、約40分をかけ、手作業で塗膜の平滑性をあげ、色や艶を良くしていく」 「検査工程でもトータル4時間かけて、外装、内装、走行時の静粛性などを検査するなど、匠の資格を持つ検査員が担当するなど、人手による造り込みで、最高品質を追求している」 --「シーマ現象」という流行語を生み出したクルマの復活となる 「初代シーマは、『ドッカンターボ』と呼ばれる走りのよさで、1988年には月3000台、年間3万6000台の販売と、大ヒットした。しかし、700万円以上の高級セダン市場は2000年当時は年10万台程度あったとみられるが、リーマン・ショック後は2万台程度だ。市場が縮小しているため、かつてのような台数は難しいが、日産のブランド力向上には不可欠なクルマだ」 |一覧|おすすめアイテム
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