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テーマ: ■九州逸品館■ (423)
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正直に言おう。
エンドロールが始まり、シリーズが完結したと分かった瞬間、不覚にも目頭が熱くなってしまった。 さらに正直に言おう。 別に私は「スター・ウォーズ」シリーズに特別な思い入れはない。 自宅に50本以上の映画DVDを所有しているが、「スター・ウォーズ」シリーズは持っていないし、これからも揃えることはないだろう。 では、なぜ目頭が熱くなってしまったのか。 それは28年という長い歳月に対してである。 第一作(EP4)をいつ・誰と・どこで観たか、、、。 このシリーズの話しをした、たくさんの人たちとの思い出、、、。 このシリーズが大好きだったにもかかわらず、 ベイダー卿誕生の瞬間を観ることなく逝ってしまった男、、、。 このシリーズに関連して起こった様々なことが、前後の脈絡もなく一塊となって私の脳裏に蘇ってきてしまったからだ。 今思い返せば、映画が始まった瞬間に、その疾走感から、第一作が話題になった28年前の感覚を思い出していた。 やがて、怒涛のクライマックスから、このシリーズの原風景とも言うべきラストシーン(映像と音楽)を迎える頃には、まるで当時にタイムスリップでもしているかのような感覚だったのである。 だから、スクリーンが暗転し、エンドロールが流れ、我に返った瞬間は、28年の歳月を一気に通り過ぎて現在に戻ってきたようなものだ。 そして、長いエンドロールを眺めながら、現実の『今もこうして生きている自分』を意識していたのだった。 そういえば、観客の中に車椅子の中年男性がいた。 映画館はバリアフリーではない。階段がある。 公開一週間以内にわざわざ観に来るほどの思い入れがあるのだから、ひょっとすると、彼は第一作を自分の足で歩いて観に行ったのかもしれない。 そんな想像もしてしまうほど、28年という歳月は、それぞれに深く刻まれた長い歳月なのだ。 さて、あらためてこのシリーズの公開年を整理しておきたい。 スター・ウォーズ (1977) スター・ウォーズ 帝国の逆襲 (1980) スター・ウォーズ ジェダイの復讐 (1983) スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス (1999) スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃 (2002) スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐 (2005) 第一作「スター・ウォーズ」(EP4)を私は映画館で観た。 まだ、家庭用ビデオが普及する前だ。(日本ビクターが「VHS規格」のVTRを発表したのは1976年のことである) 当時、最新の特撮(SFXという言葉はまだ使われていなかったと思う)に驚かされた。 たとえば宇宙船が爆発するシーンである。 それまでのピアノ線で吊るされた宇宙船であれば、爆発と同時の煙が上昇していった。 無重力の宇宙空間で煙が上昇していくのはおかしいが、その程度の特殊効果だった。 ところが、「スター・ウォーズ」では、きれいな円を描いて閃光が走り、煙などは見えない。 また、高速で飛びまわる宇宙船のスピード感にも驚かされた。 たしかに驚かされはしたが、それほど興奮はしなかった。 これまで宇宙を舞台にしたもので、最もリアルと思われる映画は「2001年 宇宙の旅」('68)である。 そのストーリーも衝撃的だった。 その衝撃に「スター・ウォーズ」は遥かに及ばなかった。 だから、続編が公開されても映画館に足を運ぶことはなかった。 EP5とEP6はビデオで続けざまに見た。 公開されて数年か経っていたが、正確なことは覚えていない。 映画館で観た映画は、いつ・誰と・どこで観たかを覚えいるものだが、ビデオの場合はまったく覚えていないものである。 ともかく、この旧三部作は尻すぼみの印象しか残っていなかった。 ただ、黒澤映画の影響を受けていたことについては、親近感に似た好感を持っていた。 ジェダイやオビ=ワン・ケノービといったネーミング。 C-3POとR2-D2のコンビ。 ルークの服装。 ライト・セーバーによるチャンバラ。 ワイプによるシーン展開。 そして、三船敏郎にオファーがあったという噂。 黒澤映画が好きな私にとっては、気になる映画ではあった。 さらに、このシリーズがmonumentalな映画であることは間違いない。 この映画の大ヒット後、SF映画全盛の時代を迎えたのだ。 「2001年 宇宙の旅」は、あまりに衝撃的過ぎてSF映画を萎縮させてしまった。 私はSF映画が好きだが、「2001年 宇宙の旅」が公開された1968年から「スター・ウォーズ」が公開される1977年までの間、SF映画を観た記憶がない。 「スター・ウォーズ」で、SF映画は「2001年 宇宙の旅」の呪縛から解き放たれたのだと思っている。 「スター・ウォーズ」後、もどき映画がたくさん公開された。 そのスピード感を可能にした特殊なカメラ(レンズ)も話題になり、似たような映像があふれた。 しかし、その中で今も話題になるのは、「エイリアン」('79)くらいだろうか。 そして、さらに十数年が過ぎ、新三部作の製作が発表された時には、少し期待している自分がいた。 旧三部作はヒーロー譚だったが、新三部作はあきらかに悲劇となる。 ギリシャ悲劇の昔から、シェークスピアの時代を経ても、人は悲劇が好きである。 話題の映画だから、公開が迫ってくるにしたがって様々な情報が入ってきたが、EP1のポスターほど、人を惹きつけるものは珍しい。 幼さが残る少年が砂地に立っている。 彼の後ろに伸びる影、それが悪の権化であるダース・ベイダーになっている。 たったそれだけの、他に何もない単純な構図ではあるが、旧三部作を知っているものにとって、新三部作の完結を待ち遠しく感じさせ、期待を抱かせるに十分なポスターだった。 しかし、クライマックスまでには、まだ数年が必要だ。 EP1とEP2を、私は、それぞれDVDがリリースされてすぐに鑑賞した。 クライマックスを見たいために、仕方なく見ているような気分だった。 そして、いよいよEP3の公開である。 シリーズ完結編である。 是非映画館で観たいと思った。 混んでいる中で観るのは厭だから、学生が夏休みに入る前の平日に会社を休んで観にいった。 THXシアターの一番良い席をネットで予約して、、、。 事前に分かりきっているストーリーなのに、これほど楽しめる映画は、そうあるものではない。 しかし、結果が分かりきっているからといって、ここでそのプロセスを細かく語ることもないだろう。 それに私の記憶力もかなり落ちてしまった。 お約束の"I have a bat feeling about this!"のセリフが出てきた時に、それと気づいたのだが、今は、どこで誰が言ったのかを思い出せないのだ。 オビ=ワンの最初のセリフだったか? まあ、どうでも良いことなのだが、、、。 ただ、これだけは言っておこう。 ルーカス監督は、ファンが何を観たいのかを良く知っていた。 映画館を出るときの満足感、それはまるで旧い友が忘れかけていた遠い約束を果たしてくれたような気分に似ていた。 だから、微細なところが気にかかっても、大目に見ようではないか。 約束を守るためには、少々強引なことも必要なのだ。 シリーズ6作の中でもっとも楽しめたのだから、それで充分だ。 何より、EP1・EP2で感じたようなCGを多用した映像に対する違和感が、今回ほとんどなかったのが嬉しい。 これで、旧三部作の尻すぼみ感を完全に帳消しにしてくれた。 私は、どんな映画でもエンドロールの最後まで席を立たない。 だから、時には広い館内に1人だけ取り残されていることもある。 その日は平日の昼間で、観客は20~30人ほどだったが、そのほとんどが最後まで席を立たなかった。 皆、名残惜しかったのではないだろうか。 さて、ついにシリーズは完結した。 新しく始まると言われるTVシリーズで余韻を楽しむことはできるかもしれないが、もう新作を映画館で観る事はできない。 まだ残っている三つのエピソードに期待する物語などない。 しかたがない。いつものように、また自分自身の物語に戻ろうか。 May the force be with you! フォースがともにあらんことを お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月31日 00時20分54秒
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