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Washiroh その日その日 [全1071件]
![]() 曇りや雨の日がつづいたといってもじつはほんの数日のことで、それで気分がげんなりしていてはしょうがないんだよな、ホントは。 日本海沿岸とかヨーロッパ各地での暮らしを思えば悪天候の数日間なんぞは一瞬にも等しい程度のものだろう。 行きの電車で、小林信彦著『昭和のまぼろし』を読み終えた。2005年の週刊文春に連載された「本音を申せば」をまとめたもので、たぶん2度目か3度目の読了だ。 今回また読みたくなったのは「2005年」をもう一度たしかめたくなったからだ。 前年の晩秋に八王子に移住。 2005年の正月、龍谷寺でおみくじを買うなどまったく新しいかたちで迎えたのを覚えている。 この年の9月には総選挙があり、あの忌まわしい小泉自民党圧勝という結果がもたらされたのだった。 ちょっとばかり同書から引用させてください。 小泉圧勝を裏から支えたテレビメディアを批判するくだりの数行だ。 「郵政改革を急ぐ必要があるのかどうか、年金や医療費や米軍基地再編をどうするのか、といった問題は、人々がいかに歯噛(はが)みをしても、どこかへ消えてしまい、女性軍団(例の『刺客たち』)の動きをこまかく報道する。ワイドショーは彼女たちのスキャンダルも含めて肥大する一方だ」。 つづきを書かねばならないが用事ができた。 追ってまた。
![]() カーテンを開けるとすさまじいほどいい天気だった。 コーヒーを淹れ田舎パンを焼き、喰う。 やがてかみさんがきて、そこへ陽次郎くんもきて、同じように田舎パンを焼き、喰う。 あまりにいい天気、という話になるのは当然ともいえるが、かみさんとぼくはその後も同じ感嘆を何度となく繰り返した。 で、出かけることにしようと決め、用事が2つ、いや3つほどあるということでちょうどいいから府中の伊勢丹に行こうとなった。 ところが家の中でぼんやり過ごしたくもある。 しばらくの間、ぼくは図書館で借りたウテ・レンパー(UTE LEMPER)のCDを聞いていた。 かみさんは編み物をしている。 陽くんはパソコン。 何時間か過ぎ、ぼくがパソコンで戯れていると陽くんが入ってきて、ハーモニカを買いたいという。買えばいいだろというと、楽天で買えばポイントになるだろという。 うむ、たしかにそうだ。 ポイントをためてワインを買おう。 で、穴が10個のハーモニカを申し込んだのだ。 陽次郎はたまに自己流でピアノを弾いているが、たとえば『エリーゼ』を3日もやるとなんとなくエリーゼらしく聞こえてくる。 ハーモニカもうるさいだけとはならないだろう。 とか何とかやっているうちに午後3時、そろそろ着替えようぜといい合い、ぼくは髭も剃らずに外に出た。 今月末、友人2人と連れだって近江へ行く予定がある。 湖北(琵琶湖北部)の鴨を喰いに行こうという話が持ち上がり、てきぱきと決まった。 ついては、お世話になる民親くんの夫人、春子さんにおみやげを持っていきたい。 かみさんにも見立てを手伝ってもらい、英国リバティー・ブランドのエプロンとトートバッグというのか、つまりは買い物袋を合わせたプレゼントにした。 大坂間さんの誕生パーティーを家でやるので、その買い物もある。 合間に陶磁器の売り場を歩き回り、いいものを見つめてきた。 気に入ったのは砥部焼の皿や茶碗でありました。カネもないのに買ってしまうところだったよ。奥の、漆塗りコーナーで弁当箱を探したがなく、大館で造られた塗りではないがわっぱの木製弁当箱があった。 ヴィタクラフトの新製品も出ていて、2点で21000円という。 うわ、安い。 カネがあったら買ってしまいたかったがあきらめた。 ほかには清水焼の茶飲みがよく、美濃焼の茶碗もよかった。 ぐるっと回って砥部焼のコーナーに戻ると、おもしろいもので気分がすうーっと落ち着いたものであった。 川島春子さんと大坂間玲子さんへのプレゼントに、いいものが買えてうれしい。 地下の食品売り場へ向かい、たらこやほっけを買う。 チョコレートも買いたかったが、品定めに時間がかかり、きりがないのでこれはやめた。 帰ってきて、鱈のにんにくオリーブ油炒めの夕食。 添え物のグリンピースがびっくりするうまさで、豆のおかわりをした。 薬をのんで、もう寝る。
![]() が、カーテンが閉じているのに朝の光が透けて見える。ふだんこの季節は、5時に目覚めるとまだ日の出まえ、朝の光はないのだ。 それできょうは土曜日だと気がついた。 仕事には出かけないのだから起きても起きなくてもいいのだとしあわせな気分になった。 枕元のラジオをつけると、7時55分になりましたといっている。え? あと5分で8時ではないか。 見ると早番のかみさんはとっくに出かけたようす。 ふうむ、ずいぶん寝坊したものだな。 起きあがり、パジャマを脱いで服を着、居間に出て行く。じつをいうと、これだけの動作がぼくにとってはかなりきつく、すでに息が上がっている。 服を着替えるという行為はCOPDの罹患者にとってけっこうな運動なのだなといつも思うわけで、ま、困ったものである。 まず、吸飲薬を取り出した。 毎朝の習慣となっている吸飲だが、休みの日には忘れてしまうことがある。だいたい5時半までには吸飲し終えるわけで8時に吸飲すること自体がめったにないことなのだ。 2種類あるうちのアド・エアを先に吸い込む。正確にいうと「アドエア500ディスカス28 吸入用」といい、喘息薬なのだがぼくのCOPDにも役立っている。 キッチンのテーブルにパンをのせた皿がある。 大坂間さんがパリから送ってくれた「焼くばかりになった半製品」のパンと、バーゼルのカンパーニュ・パンだ。 両方とも食べた。 まことにうまい。 コーヒーを濃いめに淹れ、新聞を読みながら飲んだ。 これもうまい。 午後はパソコンの手入れ。 手入れといっても不要ファイルを棄てたり、ソフトを再インストールしたりするだけだが、気になることがあるのでいろいろ試したいのである。 ぼくはワープロソフトに「Wz editor」を愛用していたのだが、最近はWordのnote padを使うことが多くなっていた。以前のように原稿ばかり書いている状態ではなくなったのと、OSをXPに換えた際にWz editorのインストールがうまくできなかったからだ。 気になることとは、Wz editorをインストールしたにもかかわらず、保存しようとするとどうしてもnote padで保存されてしまうことなのだ。どうしてWz editorの形式で保存できないのだろう、以前は問題なくできていたのに。 インストールなどパソコンいじりをしている間、映画音楽を聞いていた。 ドクトル・ジバゴの「ララのテーマ」とか「パピヨン」のテーマとか、懐かしの洋画シリーズだ。「戦場にかける橋」なんぞ、映画を観たのが中学3年だったけれどアレック・ギネスの将校ぶりやウィアム・ホールデンがあの青い眼を左右に動かしながら顔をしかめて状況を見つめるショットなど、刷り込まれたように覚えている場面を思い浮かべながら聞いた。 雨に始まった日だったが、午後にはやんでいた。 陽射しこそないけれど今週は何日か雨がつづいていたので何となくほっとし、どこかへ出かけたくなったものである。 が、きょうは出ない。 ただひたすらのんびりしたい。 これからしばらく音楽を聞こう、シナトラやレッド・ガーランドやバッハの曲を。 ○ ○ ○ 夜になってから、気になっていた「エディター 保存」のことを調べてみたら、何のことはない、要するにヴァージョンが旧いゆえの不具合らしい。 こうなったら最新ヴァージョンを買ってやろうじゃないかといったんは決めたけれどカネがない折にしんどいことだ。 しょうがないからWordを使うことにしたよ。Wordは余計な装置をたくさん抱え込んでいて、パソコンの動作が重くなるばかりなので避けたかったのだが。 バッハではなくヴィヴァルディを聴いた。 協奏曲集『調和の霊感』を。
![]() 今朝もそうだった。 きのうもそうだったが、雲が低く、暗く、寒い。 でも、早番のため一緒に出た妻は「冬っぽくなってきたわ、うれしい」という。 母子3人でウィーンへ行っていた十数年前、彼女は毎朝6時にアパートを出てウィーン大学にかよっていたのだが、その真冬を思い出してのことばである。 朝早くから昼まで、ウィーン大学ではドイツ語の講習を受けていたのだ。 東京にいたぼくは、毎朝6時に家を出ることにすっかり感服したものだった。「ウィーンで朝早く出て歩いていたから……」という妻に「そうだろうね、わかるよ」と答えた。 高井戸から環八沿いを仕事場に向かう道筋では、同じ曇りぞらでもすっかり明るくなっていた。 途中、人見街道の角で赤信号に変わり、ぼんやり待つ。 ふと大通りの向こうを眺め、思い立って写真を撮った(上掲)。 東京の町並みはきたない。 景観を考えないまま、カネの動きに流されながら造られた都市だなとつくづく思う。 同じことを30余年も前に成田空港からの帰り道で感じたことがある。都市に見た目のよさを持ち込んだヨーロッパから帰ってくると、ただごみごみと建物が並ぶ東京の景色がきたなく見えるのだ。 あれから街の様子がずいぶん変わったと思っていたが、変わってないな、東京。 小林信彦さんは著書のあちこちで「東京オリンピックが東京を壊した」と書いている。 ぼくも同感だ、心底から同感する。 仕事場に着くと、やはり高城さんが先に来ていて青戸さんと話していた。 このごろ来るのがぼくよりも早く、おかげで仕事場に着いて間もなく、その日の何ごとかを話題に軽口をたたき合うことができる。愉しいことだ。 今朝は岩永さんの誕生日プレゼントについて短くやりとりした。 「プレゼント、持ってきたかい?」 「うん持ってきたよ、いいものを。巖谷さんは?」 「持ってきた」 きのうデザートを求めて寄ったバーゼルで、ガトォ・ド・ノアも入った小さなお菓子セットを買っておいたのだ。 高城さんとは帰りの電車でも一緒になり、岩永さんへプレゼントを話題にした。 そこでぼくは、初めて「メチルパラベン」という物質の存在を知った。 岩永さんは肌が敏感で、化粧品に気を遣っていると知っていたのでメチルパラベンを使ってないこれこれのものを探してプレゼントしたといっていた。 高城さんの説明を聞きながら女の人はたいへんだなと思うばかりだった。しかし、敏感な肌には向かないものを化粧品に用いるというのはどういことなのだろう。 調理の腕を競い合う2人のシェフがいて、片方が調味料に毒を使う料理をもって勝利するというミステリの短編があるが、ある種の肌には毒にもなる化粧品というのはその話に似た感じが付きまとう。 もっとも医薬品には副作用があり、だから薬品としての効果もあるわけだ。毒をもって毒を制すともいうし、ま、そういうものなのだろう。 仕事のあと、病院に父親を見舞った妻とメイル連絡を取り合い、京王八王子駅で落ち合う。 「生イクラとタラをしこたま買った」という。 イクラは久保田(日本酒)を使っていくらづけに、タラは土鍋でタラチリに。 うまいうまいと食べ、今夜もおなかがいっぱいになった。 元気で1日を過ごせ、うまい家庭料理を食べられる。 ありがたいことだ。
![]() バス停に向かいながら冬の日本海沿岸を連想したものだ。 低く暗い雲と日本海。 使い古されたフレイズだが、すうっと浮かんでくるのが秋田県の海辺の村で見た真冬の風景なのだ。 東京しか知らないぼくにとって、低い雲に重量感さえ感じるあの景色は強烈な印象だった。 高井戸駅を出、環八沿いに歩いていると雨が降り始めた。 かばんから、用意してきた折り畳み傘を出し、拡げる。 それだけの動作で息が上がった。 井の頭線に乗っているあいだに征行さん宛の誕生日祝いメイルを発信。きょうが征行さんの誕生日と知ったのは最近のことだ。 たぶん横浜中華街で木村翠ちゃんともども、かみさんも一緒にごちそうになったときだったから、2年か3年前か。 遠藤征行さんとは中学時代から2人で映画を観たり銀座のジャズ喫茶に行っていた間柄なのに誕生日を知らないで過ごしてきたとはと、そのとき我ながらびっくりしたのを覚えている。 そういえばあのころ、誕生日を意識することってあったかな。 クリスマスのごちそうはよく覚えている。 和田直子さんという近所の若いひとが毎年のクリスマスに手作りショートケーキを持ってきてくれたものだった。 ぼくは直ちゃん(と呼んでいた)の手作りケーキで生クリームのおいしさを知ったのだ。 しかし、たとえばぼくの父親・母親がぼくや妹の誕生祝いをしたことってあっただろうか。 きっとあったのだろうが遙かに小さなころだったのではないかな、小学校高学年や中学時代に何か祝い事をやってくれていたにしても記憶に残っていない。 ところできょう12日はお酉さまだ。 去年はかみさんと八王子の大鳥神社へお参りに行った。 で、ちょっと行ってみようかと思い、仕事場からの帰り道、かみさんにメイルを送ってみたのだが、雨だし、寒いし、あした早番だといっていたしとあれこれ考え、思い直してまっすぐ帰ることにしたのだった。 入れ違いにメイルが入っていて「お酉さまに行くつもりで待ち合わせようかどうしようかとさんざん迷ったけど」とある。 ぼくも行くつもりだったけど、行ったら帰りに酒を呑まずにいられなくなる。にも関わらず、ポケットには僅かな額しかないのだ。 お酉さまはやめて、何かふだん買わないものを買って帰ろうと京王八王子駅の脇にあるウィーン風洋菓子店バーゼルに寄ったのだった。
![]() 1959年(昭和34年)に始まる日記エッセイだ。 1932年生まれの小林信彦、26〜7歳。 よって、42年生まれのぼくは16〜7歳。 各章のはじめに年表ふうのページがあり、その年に起きたできごとが並べられている。 これが簡にして要を得、社会事象だけでなく自らの身辺で何が起きたかをたちどころに思い出す。 それから本文に入るわけで、語り口のよさゆえのことだろうが、50年前の日々が目の前に展開する仕掛けに引きずり込まれ、いやまぁおもしろいこと、文字通り本を手放せなくなってしまった。 ことに1962年の章が身近なのは、この年、ぼくが大学に入学したからだろう。 しかし、たとえば東京都の常住人口が1000万人を突破、世界初の1000万都市が出現したのがこの年だったことなど、まったく知らなかった。いや、知っていたかも知れないが、この本を読むまでそれが意識に上ることがなかったといったほうがいい。 マリリン・モンローの死。 小型ヨットで太平洋を横断した堀江謙一の快挙。 美空ひばりと小林旭の結婚。 そして著者は、このころヒッチコック・マガジンの編集長を務めるかたわら長編小説の執筆を続け、ついに完成させるのだ。 しかし出版にはなかなか結びつかない。 ぼくは4月に早稲田大学第1文学部へ入学、露文学専修の1年生となり新たな友人とほとんど毎日、しゃべり続ける季節を迎えていたのだった。 5月には世界で最初に宇宙を飛んだユーリ・A・ガガーリンが早稲田の体育館で講演、ぼくは聞きに行ったわけではないけれど、大きな話題となったものだった。 この項、まだまだつづきそう。
![]() 近所の公園で見かけた木だが、この季節にずいぶんたくさんの葉が茂っているものだと感心しながら撮った。葉が落ちない種類の木なのかな。 このごろ、休みというと強引に時間をつくって音楽を聴いている。 ……と書いてふと思うけど、いま書いた「音楽」という語はじつに広く大きな概念をもっているんだな。三島由紀夫の著作に『音楽』という表題のすぐれた小説があるが、そこで描かれるのはロックでもクラシックでもなく、人間にそなわったある大切な感覚のことなのだ。 つまり、三島の作品における「音楽」の語はみごとに決まった喩えであって、音楽を聴くというだけでは本当のところが何もわからないに等しい。 そういう意味では「音楽」の語がもつ概念は大きすぎるぐらいだ。 このごろ聴いているのは「ポップス」です。いや正確には「ジャズ・ヴォーカル」というべきか、もっぱらフランク・シナトラを聴いているのです。 なにごとが起きたのか自分でもわからないのだが、ひと月ほど前からフランク・シナトラの歌の魅力に引きずり込まれてしまった。 伏線ふうのできごとがなかったわけではない。 もう3年以上前になるが、図書館で見つけたオスカー・ピーターソン・トリオのCDがすっかり気に入り、そのころよく使っていたアイポッドナノに保存したりしたものだった。 演奏には「the Singers Unlimited」の名花ボニー・ハーマン(Bonnie Herman)が加わっている。 この歌いっぷりがいいのだ。 ちょっと大人っぽく、それでも可愛く、明るく、あたたかく、しかし物憂げに、えもいわれぬ味わいで『Once upon a summertime』を歌い上げる。合間にはいうまでもなくオスカー・ピーターソンのピアノ。 このCD、タイトルはなんといったか。 もちろん『IN TUNE』という名高いアルバムがあることは知っているがそのままでいいのかどうか、覚えていない。 ごく最近、この歌を何人かのひとに薦めた。 薦めた以上はたしかめておこうと思い、先週も先々週も、きょうも、ボニー・ハーマンを聴いた。 ほんとうにもう、涙が出るほどいい。 そこで感じた「よさ」は、歌の中身に男と女のせつなくなるようなドラマがあり、歌いかたそのものにも同じようにドラマがあるというふうなよさなのだが、こういっただけではふだんジャズ・ヴォーカルを聴いていないひとには伝わらないかも知れない。 いいかたを換えるなら、まず、ことばが聞き取りやすい(英語だけど)。 よくいう「滑舌がいい」というやつで、歌詞そのものがきわめてわかりやすい。 ワンス・アポンナ・タイムとくれば「むかしむかし」とか「嘗てのあのころ」という意味になると中学校で教わったものだが、いきなりボニー・ハーマンの声が ♪ワンス アポン ナ サマータイム アイ リコール…… と始まるなり目の前に陽射しの明るい街角が浮かんでくる。 そして、いまはむかしとなったその夏、あなたはわたしを愛したわと回想する。日常生活のほんの一瞬の間を襲う追憶の甘い迫力が、じつに何とも味のある密度をつくるのだ。 フランク・シナトラの魅力について述べるなら、そこにはいま書いた歌のわかりやすさや味わいがそのままある。 たとえば『They can't take that away from me(誰も奪えぬこの想い)』や『楽しかったあの頃』なんぞを聴いてごらんなさい、やめられなくなるから。 |一覧| |
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