カテゴリ:日本経済
バブルを考える(39)
大蔵省の大失策 1997年11月、立て続けに金融機関の破綻が起きました。3日の三洋証券、16日の拓銀、そして24日が山一、26日の徳陽シティと破綻のラッシュが起きました。 夫々が危ない金融機関と名指しされていたことは事実です。しかし、何故これほど立て続けに連鎖倒産が起きたのか。その原因を探ると、3日の三洋証券の倒産劇に行きつきます。 三洋証券がコール市場から取りいれていた,4日期限の10億円の無担保コール翌日物の返済を無視して、同社が3日に会社更正法を申請することを、許可してしまったのです。 証券会社も銀行も、いずれも営業免許は大蔵省から受けています。それゆえ、大蔵省に相談なく、会社更正法の申請をすることはありえません。もし、三洋証券が3日でなく、4日に更正法を申請していれば、10億円の無担保コールは返済され、短期資本市場が機能マヒに陥ることなどありえなかったのですから、これは明らかに大蔵省のミスでした。 コール市場とは、ユーロ市場の国内版であり、金融機関や商社などが、互いに不急資金を融通し合って、資金の流れを円滑に保つための、潤滑油としている市場です。銀行預金の付利単位は1ヶ月であり、1ヶ月に満たない部分については、利息は計上されません。そこで、3日後に使用予定のある10億円の資金が手元にある場合、コール市場で3日間運用すれば、3日分の利子が入ります。他方に3日後に資金が入る予定だが、今日支払う10億円が手元にない企業があるとすると、喜んで3日間、この10億円を借りるのです。 資本主義経済は、資金の循環を血液として、回っている市場です。企業毎に資金の出入りは違っています。この点を利用して企業同士が大口の資金を融通し合う場が、コール市場です。そこは、短期大口取引の場でもありますが、そこでの最重要な原則は、絶対にデフォルト(債務不履行)を出さないということでした。その点は、ユーロ市場での信用危機への対応として、BIS規制が誕生したことを考えれば、すぐにわかることです。大蔵省は、このことを忘れていたか、あるいは気付いても無視したかのどちらかでした。 こうして群馬中央信用金庫が用立てた10億円の無担保コールはデフォルト扱いとなり、返済されなかったのです。コール市場のデフォルトなしの原則は、大蔵省によって破られてしまったのです。コール市場では10億円は少額でした。それ故に見逃されてしまったのかもしれません、しかし、それは市場を軽くみた大失態だったのです。そのことは旬日を経ずして明らかになりました。コール市場でもデフォルトは起こり得ることになったのです。貸し手は慎重に借り手を選ぶようになります。デフォルトがない市場だからこそ、危ない相手でも,黙って貸していたのです。禁が破られた以上、危ない相手には、貸し手は現れなくなったのです。 ホゾを噛んでも後の祭でした。コール市場で資金の取れない危ない参加者は、力尽きて倒れるしかなかったのです。拓銀も山一も、いずれも三洋ショックで連鎖的に倒れたのでした。大蔵省の取り返しのつかない凡ミスでした。 確かに、拓銀も山一も巨額の不良債権を抱え、行き詰まっていましたから、三洋ショックがなくても、どこかで倒れていたでしょう。しかし、それが三洋の直後であったかどうかというと、そうではなかった可能性の方が高かったように思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.11.09 01:22:44
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