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ザビ神父の証言
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ザビ神父の証言

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2010.03.10 楽天プロフィール Add to Google XML

ハイチに贈る(53)
[ 外国史 ]    

ハイチに贈る(53)

フランスのカリブ海や南米植民地における奴隷制の廃止は、イギリスやスペインの手から植民地を守るために提起され、実現を見ました。

この決議が実現するためには、確かに「人権宣言」の存在が大きく影響していますし、サン・ドマングにおける、黒人奴隷自身による解放運動の展開が必要でした。ですが、これだけではまだ足りません。もしサン・ドマングがフランスにとって、さほど重要な植民地でなかったとしたら、フランスは同地を放棄してしまい、奴隷制の廃止決議はなされなかったと思えるのです。

しかし、サン・ドマングは、「カリブ海の真珠」と称され、なんとしても死守しなければならない、最重要の植民地でした。それゆえフランスは、黒人奴隷と手を結んでまで、サン・ドマングを死守しようとしたのです。

この点は、1794年7月27日、テルミドールのクーデタによって、ロベスピエールらジャコバン主流が失脚して、恐怖政治が廃止されても、事情は変わりませんでした。クーデタ後のテルミドール公会も、その後の総裁政府も、植民地のプランターや貿易商人の請願は全て却下して、「植民地は共和国の不可分の一部である」とする姿勢を変えなかったのです。

フランス本国の姿勢が変化するのは、1799年11月のブリュメールのクーデタで、ナポレオンが登場してからのことになります。
                        続く


最終更新日  2010.03.10 14:11:15
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奴隷制の廃止   夢穂さん


Re:奴隷制の廃止(03/10)   ザビ神父さん


Re:ハイチに贈る(53)(03/10)   Mrs. Lindaさん


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